現代川柳『泥』終刊号に
たしかに、<現代の詩>たり得る必須条件の一つは、<批判性>であり、短章に限定された川柳に、どれほどの<批判性>の質量が可能なのか、は、一つの今日的な課題たり得るが、つぎの作品などは、時代を文明批評の顎にくわえこもうとする発想があらわだ。
奸計にたっぷり堕ちたかユダの耳 青葉テイ子
私の聖書解読法としては「ユダ=裏切り者」説に重大な疑問説を抱くが、それはさておき、21世紀世界を血まみれにしているさる権力者とダブルイメージになっているともとれるこの詩行、人間性の暗部の根幹までをも透視した<見者>の認識を思わせる。
半開き扉から火まみれの苔しなる テイ子
この極限の風景が暗喩するものは、日常の人間関係の血まみれの切断面であると同時に、その深奥へと無限に延長されていく今世紀人類の倒錯性であり、堕落であり、頽廃でもあろう。
海を抱きうそぶくユダと握手する テイ子
ユダに仮構された人間存在の本質的な不条理性は、己と他者の共有物でもある、という自己認識へ到達することによって、処刑性を帯びてくる。
日和見のユダと虚実語り合う
夕陽と堕ちてゆくノスタルジィな影
間の抜けたサタンと不意にする会話 テイ子
これらの詩行は、すでに、定型詩につきまとう<前現代性>をこえた、自己処刑までに到る厳しい批評性によって、<現代性>へと肉迫するに十分な質を予感させる。
しかし、それは、同時に、『泥』の三人の書き手に共通の資質でもあろう。惜しまれて去る潔さに拍手!
2007年ともあと一時間でお別れです。
このブログを読んでくださった皆様にとって、素晴らしい2008年でありますよう、一緒にすてきなイマジネーションで一日一日を重ねていきたいものです。
ありがとうございました。また、来年!
たしかに、<現代の詩>たり得る必須条件の一つは、<批判性>であり、短章に限定された川柳に、どれほどの<批判性>の質量が可能なのか、は、一つの今日的な課題たり得るが、つぎの作品などは、時代を文明批評の顎にくわえこもうとする発想があらわだ。
奸計にたっぷり堕ちたかユダの耳 青葉テイ子
私の聖書解読法としては「ユダ=裏切り者」説に重大な疑問説を抱くが、それはさておき、21世紀世界を血まみれにしているさる権力者とダブルイメージになっているともとれるこの詩行、人間性の暗部の根幹までをも透視した<見者>の認識を思わせる。
半開き扉から火まみれの苔しなる テイ子
この極限の風景が暗喩するものは、日常の人間関係の血まみれの切断面であると同時に、その深奥へと無限に延長されていく今世紀人類の倒錯性であり、堕落であり、頽廃でもあろう。
海を抱きうそぶくユダと握手する テイ子
ユダに仮構された人間存在の本質的な不条理性は、己と他者の共有物でもある、という自己認識へ到達することによって、処刑性を帯びてくる。
日和見のユダと虚実語り合う
夕陽と堕ちてゆくノスタルジィな影
間の抜けたサタンと不意にする会話 テイ子
これらの詩行は、すでに、定型詩につきまとう<前現代性>をこえた、自己処刑までに到る厳しい批評性によって、<現代性>へと肉迫するに十分な質を予感させる。
しかし、それは、同時に、『泥』の三人の書き手に共通の資質でもあろう。惜しまれて去る潔さに拍手!
2007年ともあと一時間でお別れです。
このブログを読んでくださった皆様にとって、素晴らしい2008年でありますよう、一緒にすてきなイマジネーションで一日一日を重ねていきたいものです。
ありがとうございました。また、来年!