川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

『現代の詩』への肉迫・・・原子修

2007年12月31日 | 川柳
             現代川柳『泥』終刊号に

 たしかに、<現代の詩>たり得る必須条件の一つは、<批判性>であり、短章に限定された川柳に、どれほどの<批判性>の質量が可能なのか、は、一つの今日的な課題たり得るが、つぎの作品などは、時代を文明批評の顎にくわえこもうとする発想があらわだ。

        奸計にたっぷり堕ちたかユダの耳  青葉テイ子

 私の聖書解読法としては「ユダ=裏切り者」説に重大な疑問説を抱くが、それはさておき、21世紀世界を血まみれにしているさる権力者とダブルイメージになっているともとれるこの詩行、人間性の暗部の根幹までをも透視した<見者>の認識を思わせる。

       半開き扉から火まみれの苔しなる   テイ子

 この極限の風景が暗喩するものは、日常の人間関係の血まみれの切断面であると同時に、その深奥へと無限に延長されていく今世紀人類の倒錯性であり、堕落であり、頽廃でもあろう。
 
       海を抱きうそぶくユダと握手する  テイ子

 ユダに仮構された人間存在の本質的な不条理性は、己と他者の共有物でもある、という自己認識へ到達することによって、処刑性を帯びてくる。

       日和見のユダと虚実語り合う
       夕陽と堕ちてゆくノスタルジィな影
       間の抜けたサタンと不意にする会話   テイ子

 これらの詩行は、すでに、定型詩につきまとう<前現代性>をこえた、自己処刑までに到る厳しい批評性によって、<現代性>へと肉迫するに十分な質を予感させる。

 しかし、それは、同時に、『泥』の三人の書き手に共通の資質でもあろう。惜しまれて去る潔さに拍手!


          2007年ともあと一時間でお別れです。

 このブログを読んでくださった皆様にとって、素晴らしい2008年でありますよう、一緒にすてきなイマジネーションで一日一日を重ねていきたいものです。

         ありがとうございました。また、来年!






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『現代の詩』への肉迫・・・原子修

2007年12月30日 | 川柳
            現代川柳『泥』終刊号に

 それにしても、『泥』三人衆に共通の、肉声リズムの響き高さは、いったい、どこからくるのか?

        最後です 月をきれいに拭いている   佐藤容子

 読む者の耳元に唇ををよせてくるような、この肉感的な声調によって、実に巧妙に音数律の枠組みをカモフラージュしてしまう、この、技法を感じさせない技法の冴えは、どこからくるのか。<月をきれいに拭く>という想像力表現を想像力と思わせない。この、超イマジネーションの発露は、いかなる試練の果ての仙術なのか?

         いい顔になったね石を撫でている
         からっぽの抽出し誰の声だろう
         いもの花ごめんなさいを繰り返す
         ありがとうさようなら穴は掘り終えた   佐藤容子

 おそらくは、<石><抽出し><いもの花>などの題材と作者の境界を完全に消滅させ得るだけの、作者の愛の普遍性が、擬人法を媒介として、作者と題材を同一化させ、作者を内部に入りこませてしまうからなのだろう。

         闇ゆたか どこまで開く月の門  佐藤容子

 豊穣な魂だけが測り得る<闇>の<ゆたかさ>・・それもあってこその、慈味あふれる甘美な声の短章なのだ。

 もともとは口誦詩の系譜につながるはずの川柳も、ここまでくれば、すでに、現代の口
誦詩とよぶのがふさわしいのではないか。

         水あって泳がぬ魚を許されよ  佐藤容子

 内省と自己凝視の深奥からせせらぐこの自己批評の果ての想像力の発露は、美しくもむごい。
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『現代の詩』への肉迫・・・原子修

2007年12月29日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号に

 ポエジーは不滅であり、万能であり、時空の制約をはねのけ、ジャンルの壁を突き破り、形態のちがいを超越する。

 たった今この世に誕生したばかりの初発の言葉あれば、自由詩と川柳の差異はけしとび、万人の胸を刺しつらぬく感動の表現あれば、定型詩と非定型詩の区別は霧散する。

 言葉であって言葉ではなく、音数律であって音数律ではなく、生であって生ではなく、死であって死ではないものへの、烈しき渇きと到達と離反こそが、詩というものなのか。

         くらげあわあわ僕の心肺機能かな   さとし

 生の極限をついに追いつめた作者が、<くらげあわあわ>という擬態詞系の感性語の虫捕り網に<くらげ>のイメージを捕捉するとき、すでに、作者の原体験は、解読不能の言語ボトルに密封されて、読者の感応テープルに投げだされる。

         それでいいのか?・・・と、問うなかれ。

 伝達性を拒否した時点で、すでに、伝達不能のものをつかみとったのだから、それ以上を望む必要はない。

 究極の詩・・・それは、ついに、生命現象の不可解さと一致する。
 とすれば、つぎの作品は、奇怪にも、ポエジーの頂点から俗身への、見事な回帰の所産か。

        太い樹にゆっくりゆっくりなればいい   池さとし

禅のパラドックスをそのまま作品として生きる作者のしたたかな哲学を読み落としてはならぬ。イメージ遊戯やレトリックゲームを貫通して向こう側へ抜け出し得た作者の、複雑な思考回路の果ての原言語が、超技法の世界をつくりだしている、と見るのは、深読みか。

 しかし、そのような 視座に立って、はじめて、つぎのような作品群の、きわどい実存の崖が視認できるのだ。

           いつからの黄昏れほうほう後頭部
           そして棺遠方探美の旅に出る
           ネクタイの涙もろさを見てる月
           八月の縄一本の失語症
           追伸の一行がらがら蛇になる    池 さとし


 川柳は禅たり得る・・・と、作者の持論に書いてあるとしても、やはり禅は川柳たり得よう。
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最後です 月をきれいに拭いている・・佐藤容子。

2007年12月28日 | 川柳
         2004年10月現代川柳『泥』終刊号  ゆたかな闇

            最後です 月をきれいに拭いている

三日月の刺さった背なを慈しむ
背を曲げて覗く電池の切れた月
闇ゆたか どこまで開く月の門

声のする方から欠けてしまう月
秋の夜の長さ念々月洗う
ビシバシと顔にぶつかる感嘆符

どの蓋も固すぎないか現在地
いい顔になったね石を撫でている
手花火の終えた暗さに慣れ指は

疎外感じっとり湿っている花火
着メロのあっけらかんとした関係
鍵のないドアの向こうの症候群

からっぽの抽出し誰の声だろう
散乱の机上 助走はもうしない
オカリナもしっぽも革命など思う

いもの花ごめんなさいを繰り返す
ありがとうさようなら穴は掘り終えた
群れるのに少し疲れたシャボン玉

ふりむけば今もきらきら鬼アザミ
にぎやかなページに挟む骨の笛
ハンカチをきっちりたたむ泣かぬため

誤字脱字トコトコトコと着いてくる
風そより身辺整理終わらない
始まりも終わりも濡れている睫

どうしても答えの出せぬ解凍魚
みっつ老いされどされどと泥のひれ
水あって泳がぬ魚許されよ

はればれと秋雨に打たれ泥の魚  

                          
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遠方探美・・・池さとし

2007年12月27日 | 川柳
    2004年10月   現代川柳『泥』終刊号

くらげあわあわ僕の心肺機能かな
いつからか黄昏ほうほう後頭部
るいるいと傷あわあわと岬の灯

一匹の手首と斜に向かい合う
真っ先に人差し指を告訴する
切り株の誤算尖った月が出る

矢印の向こう大きな穴がある
血液はさらさらですね砂時計
そして棺遠方探美の旅に出る

握手した手は薔薇だった刺だった
ネクタイの涙もろさを見てる月
自分史のいたるところが虫食いに

非常口に辞書十冊ほどを積む
中指の愁い遥かなる灯台
夜の底流れるデフォルメされた傷

ポケットをまさぐるぼくだけの楽園
八月の縄一本の失語症
八月炎天先ずは鼻頭から光る

くもの巣の技巧十指の敗北感
電子音じゅげむの森に迷い込む
私小説霧は晴れようともしない

太い樹にゆっくりゆっくりなればいい
追伸の一行がらがら蛇になる
満月をひとり占めする納骨堂

新しい駅で電池を取り替える
人は何故か天国への略図欲しがる
金のなる木夜店で買って来る

寂しい影を優しく包んでくれる闇
喝采のページ捲りを繰り返す
きらめく夜景夢追い人の滑走路

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優しいユダ・・・青葉テイ子

2007年12月26日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

日和見のユダと虚実を語り合う
海を抱きうそぶくユダと握手する
奸計にとっぷり堕ちたかユダの耳

夕暮れの橋に侘つ優しいユダ
夕陽と堕ちてゆくノスタルジィな影
半開きの扉から火まみれの苔しなる

ぼうっと沖の夕陽みている耳の底
甘い懊悩ホーホーホタル持ち歩く
間の抜けたサタンと不意にする会話

熱い一日だったと思うピアノ連弾
鬱の字をどう崩そうか走り梅雨
濡れ衣をはらりと脱いだ冬の蠉

鼻の奥につんと酒とおんなの吐息
媚びるでもなく腹芸ポトリ目が落ちる
朱に染まる腹芸あれはメランコリー

ピクンと動く呆れた記憶と慙愧
裏切りのくちびる淡いピンクがいい
密会の壺から秘めやかなるバドル

レタスパリッと壊れた壺を裏返す
クッキーカリカリ焼けてジハードか
負け犬の自負ご飯はてんこ盛り

ファックスかたかたと鳴る歯ぎしり
あわあわと狂女の面を彫り続け
梟がしきり啼く恋の成就

闇に沈んだ庭にそっと置く倦怠
砂時計さらさらさらと死に支度
寂として水葬の花もて弄ぶ

生かされて名残りの握りめし頬張る
無常観ばっさり捨てた泥人形
おやゆび姫サンバのリズムに良い痴れる
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良質な川柳・・・池さとし

2007年12月25日 | 川柳
        2004年10月 現代川柳『泥』終刊号

 人間は、ひとりひとりが、この世に存在する一個の物体である。一個の個体である。もちろん有機質としての存在である。

 個体としての存在を成り立たせているもの、ひとりひとりのこころに沈在しているカオス・パッション・コスモスなどは、そのいずれもが長い歴史的な背景を基盤にしながら構築されたものであろう。

 歴史的な背景とは、ひとりの人間をとり巻いている全ての要因を含む。それこそ誕生から今日にいたるまでの外的・内的な意識、認識などが総合的に融合しての存在である。(無意識ももちろん包括されている)

      つまりは、その人のパーソナリティーの形成でもある。

 したがって、ひとりの川柳人が精神や魂にかかわるようなことを表現しようとするとき、その川柳人のパーソナリティーが、作品を貫いているはずである。

 表現された川柳には、当然のことながら作者のこころが、必ず染みついている筈である。

         個性のある作品とは、このことを言い表している。

       しかし、残念ながら今の川柳界、コピー化現象が蔓延している。

 類想、類型はもちろん、光を浴びたコトバの氾用などは、あきらかに作者不在の作品となるのだが、毎月各柳誌に発表される作品には、このたぐいのものがこれでもかこれでもかというくらい顔を見せている。

 この状態からの脱出には、各柳社の指導層にある川柳人が、所属する川柳人のひとりひとりが持っている資質を見つけ出してやることにある。

 それこそ、ひとりひとりが違う資質を持っていることを念頭において、適格に掘り起こし育て上げる努力を積み重ねることで、良質の作品が誕生することだろう。

     人集めも大事だが、育てることはより一層大事なことである。
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葦のささやき・・・作品集

2007年12月24日 | 川柳
          現代川柳『泥』終刊号 91名作品

札幌 大雄

ひとつ散りひとつ咲かせた男の譜
いのち残照時間が地から湧いて来ず
生き抜けと仏の掌からまたこぼれ

小樽 はる香

ひたむきに生きよう葦は葦のまま
聞き役にまわろう春の目鼻だち
おしろい花枯れるかけがえのない昨日

東京 久美子

薔薇はブルー 七月の海広げ行く
エメラルドのうねりを残しノーサイド
扉三枚折々に開けユーカラを

江別 詠路

美しい海で寝返り打つピアス
温度差がある大根の微塵切り
何時か朽ちる愚かな影法師

福島 寛二

首枷になるネクタイと日を過ごす
斬られても許してしまう母の味
曖昧な答えに割れる生たまご

尼崎 栄一

手に翳し 土星の神と踊るべし
百歳の小野小町をおもうなり
死ぬ時は 石のオブジェを抱くだろう
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葦のささやき・・・作品集

2007年12月23日 | 川柳
          現代川柳『泥』終刊号 91名作品

旭川 恕葉

倶利伽羅の寄る年波を撫でている
にごり酒いま「五郎八」と同棲中
神ほとけイラクの鳧がまだつかず

室蘭 万依

創られてそれでも薔薇には薔薇の業
泣くもんか雨の日に咲く青いバラ
止せばいいことをして来た手を洗う

登別 碧水

ロングラン花火疲れてきませんか
何を見過ぎたんですか眼科混んでいる
デモの声高いヒマワリの行進だ

江別 涼子

美しい三角だった泥だった
芋掘り菜を摘み異議なしと応える
ドラマではない夕暮の蛇口です

江別 あすか

そこここに涼風 花たちの解夏
何をしようと私を探す耳
聞こえるかも知れない目を瞑る

旭川 敏子

自信喪失いびつに減っていくルージュ
過去は過去あすへ一人の傘を干す
肩書きが取れると風はもう他人

羽生 尚

開き直ったカルテ未明の馬となり
前頭葉にたっぷりとマヨネーズ
掌の中のゼロは太っていくばかり

札幌 晶子

朝採りの曲がったきゅうりもそれなりに
三分咲き五分咲き花は来る年へ
とある日の真清水『泥』に透かされて

青森 省吾

炎天の蜘蛛いつまでも青い睾丸
水鏡水より這い出夜を干す
泥一滴音を立てずに飯を喰う

名古屋 騎久夫

秋が来る 秋には秋の花の彩
それも美学 きれいにさよならを言う
秋の風ぐんぐんせめてくる 独り

青森 洲花

のうぜん花散り果て凪ぎの海へ向く
笑い草つぎつぎ枯れて話のつぎ穂
二人して揚羽の羽化を見ませんか

五所川原 史

桜散る思いの丈が愛になる
散りぎわの花美しい笑顔見せ
世の中を転ばぬ先の知恵さがす
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葦のささやき・・・作品集

2007年12月22日 | 川柳
          現代川柳『泥』終刊号 91名作品

小樽 千鶴

紅刷毛で描く一石の波紋
染斑を残しまつりは終る
鏡の裏に散っては咲いてくる狂気

網走 順子

止まぬ動悸桃も夕陽も毀れもの
手を放すと消えそうな目鼻だち
満月へいつも合掌してしまう

美幌 満知

魂が寒い寒いと津軽三味
大切な物だけ見てる遠眼鏡
愛されているのだろうか樹氷咲く

札幌 美智子

生涯ひそかに跳んでいる微熱
人間砂漠地価に転がる理想論
100円ショップに並ぶ山頭火

札幌 八重

騙し舟ぐらりと揺れる昼の月
理想ない指で桃むく 不埒
病葉散る一瞬 大輪の花火

追分 こうじ

ピカソ展わかったような顔をして
大クラゲ毒の触手がのびてくる
サルビアの焔のことば追ってくる

摂津 恵美子

乾杯もバンザイモよしさるすべり
年金を受ける夾竹桃の盛ん
炎天に自爆したかな花いろいろ

蟹田 岸柳

空を飛ぶ犬の話はもうしたっけ
逢ってきたばかりの肘の生乾き
抱いていなさい寂しい卵なんだから

横浜 卓治

雑兵に問えば浄土は風のなか
裏返すと銃のかたちになる秋刀魚
ひとりずつ語り部を消す蝉時雨

岡山 明

馬になるまでしばらくの青茫
舐めてみる出雲大社の塩加減
ランドセル背負う死の国生の国

青森 寄生木

太陽がのぼるとちさき虫となる
掌中の歩の一枚に風の音
検眼の向こうに昭和八年

松原 洋子

一族と雨の音符は妥協せり
オルガンと椅子 六月を歪み合う
じゃがいもの芽と通じ合う男の悲
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