森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

2005-10-04 21:46:23 | 旅の写真 国内篇
京都の等持院だと思うが、そこの掛け軸で恐らく「忍」と言う字だろう。私はお寺が好きだが横着であまり調べていかないし、見た目の直感だけで写真を撮るので記憶に無いことが多い。いわば好き嫌いが優先するのだ。
 この忍と言う書は、部屋の雰囲気に合っていて、時代を感じさせる。私は書は全くわからないが、勢いがあり、生半可な忍ではないぞと思った。
 今は「忍」よりも「饒舌」の時代である。このブログも一歩間違うとその世界に嵌まっていて、もうすでに手遅れかもしれない。
 人と話していて、阿吽の呼吸でピンと来ることが少なくなったように感じている。相手も同じように考えているのかもしれない。話す言葉は心の表現ではない。
 コミュニケーションの道具なのだ。言葉や文章は、根底に人の持つ感性や価値観がどこかに出て来るものなのだろう。だとしたら、私の言葉や文章は、きっとへそ曲がりが茶を沸かしたようなものかなあ。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝉しぐれ

2005-10-04 00:26:16 | 日々の写真
宝塚、売布のシネピピアのレイトショーで「蝉しぐれ」を見る。藤沢周平原作の話題の映画だ。映像とストーリーが藤沢周平の世界を描き出して、日本の原風景と、全体にぐっと抑えた表現で、人間の気高さと切なさ、そして迫力も感じさせるいい映画だった。黒土三男監督の映画は初めてみたが、映画の面白さに圧倒されて胸がジーンと来た。
 
 ある日あるとき珍しく村山聖に「これ読みましたから、どうぞ。面白いですよ」と渡されたのが、藤沢周平の文庫本だった。私も数冊は読んだことがあったが、村山君と藤沢周平の取り合わせは、わかるような気がする。
 藤沢作品の、歴史上の人物でなく普通の人の視点から捉えた感性が、今の人間が薄められた時代だからこそ、心を潤す感動があるのだろう。
 今は真面目さや耐えるということが、あまり受けない時代だ。だからこそ心のどこかに、古きものを求め、損得に走るのはもうういいやみたいな気持ちが芽生えて来ているのかもしれない。
 いやいや、それは思い違いで、ますます節操のない時代に突入しているとも言えるのだろう。
 本物の魅力、それは余韻であり、哀しみなのだと思う。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする