”時雨をいとうから傘の 濡れてもみじの長楽寺”長楽寺のパンフレットに出ていた歌だ。京の情緒が湧き出ている歌だなあと思った。何ともシャイである。
祇園から数分のところに、静寂な長楽寺がある。時宗の宗祖一遍上人といえば踊念仏だが、諸国を回り、一所不住の旅で説き回ったので「遊行上人」と呼ばれた。
私の家の裏口(勝手口)の表札も「森寓」とある。写真家の西川孟先生に書いてもらったものだ。意味がわからずお聞きすると、呆れたような、やっぱりと言うような表情をされ「生きているあいだの、仮の住まいということです」
ただ住居表示の本に「森寓」と書かれていたのには参った。
その横の西川先生に頂いた苔寺の紅葉の樹も、何とか枯らさないでいる。
長楽寺は建礼門院(安徳天皇の母)が出家したところでもあり、安徳天皇が入水したときの形見の御衣幡も残されている。ちょうど人形でそのシーンを再現した催しも開かれていた。
今なお源氏と平家は日本の歴史を彩る物語である。栄華盛衰はローマ帝国に通じる不変のロマンなのだろう。奢る平家は久しからずやというが、現代でも、さほど教訓には生かされていないような気がするのだが・・・。
観光シーズンの京都を歩いていると、車と人がひしめき合う中で、静寂なお寺のたたずまいがある。
京都へは人の少ない冬にひとりでよく行った。それでもまだまだ訪れたことの無いお寺もいっぱいあって、また何度訪れても、その都度に違う表情を見せてくれる。
内面の自分を、鏡に映し出してくれるのかもしれない。それとも、せわしない日常から離れると、自然の風景はきれいに写るのだろうか。
森寓の表札を見て、崩れそうなバランスを直そうと思うことしきりの日々である。
祇園から数分のところに、静寂な長楽寺がある。時宗の宗祖一遍上人といえば踊念仏だが、諸国を回り、一所不住の旅で説き回ったので「遊行上人」と呼ばれた。
私の家の裏口(勝手口)の表札も「森寓」とある。写真家の西川孟先生に書いてもらったものだ。意味がわからずお聞きすると、呆れたような、やっぱりと言うような表情をされ「生きているあいだの、仮の住まいということです」
ただ住居表示の本に「森寓」と書かれていたのには参った。
その横の西川先生に頂いた苔寺の紅葉の樹も、何とか枯らさないでいる。
長楽寺は建礼門院(安徳天皇の母)が出家したところでもあり、安徳天皇が入水したときの形見の御衣幡も残されている。ちょうど人形でそのシーンを再現した催しも開かれていた。
今なお源氏と平家は日本の歴史を彩る物語である。栄華盛衰はローマ帝国に通じる不変のロマンなのだろう。奢る平家は久しからずやというが、現代でも、さほど教訓には生かされていないような気がするのだが・・・。
観光シーズンの京都を歩いていると、車と人がひしめき合う中で、静寂なお寺のたたずまいがある。
京都へは人の少ない冬にひとりでよく行った。それでもまだまだ訪れたことの無いお寺もいっぱいあって、また何度訪れても、その都度に違う表情を見せてくれる。
内面の自分を、鏡に映し出してくれるのかもしれない。それとも、せわしない日常から離れると、自然の風景はきれいに写るのだろうか。
森寓の表札を見て、崩れそうなバランスを直そうと思うことしきりの日々である。