早春の京都の鞍馬に行った時の写真である。夕方でなく昼間なのだが、雪解けの景色の木立から日が射し込んで、光線がまばゆく散っている。鞍馬へはケーブルが動いてなければ、電車を降りてから歩くよりなかった。一時間くらいで鞍馬寺に着く。
今なら横着なので車を走らせているだろう。
雪解けの景色というと、中平卓馬という写真家の「新たなる凝視」という写真集の1ページ目を見たときの感動を思い出す。何でもない日常の風景なのに、すごく新たな世界を感じるのが何故なのか不思議だった。特にその色彩に興味を覚えた。
後で知ったのだが、中平卓馬という人は、伝説のカリスマ的な写真家だった。1977年多量のアルコールにより昏睡状態から意識を回復したが、記憶を喪失。その後にふたたび撮りはじめた写真集が「新たなる凝視」だった。近年もNHKのドキュメントだったと思うが、中平さんの日々写真の生活が描かれていた。
畑正憲さんに似た、ひとなつっこい笑顔に純な目が印象的だった。中平さんの撮る写真には、普通の人に見えない何かがあるのだろう。
この写真は光線が心地よくて、難解な局面を打開してくれそうな、明るい予兆を願って撮ったものだ。「新たなる光」ならいいのだが。
今なら横着なので車を走らせているだろう。
雪解けの景色というと、中平卓馬という写真家の「新たなる凝視」という写真集の1ページ目を見たときの感動を思い出す。何でもない日常の風景なのに、すごく新たな世界を感じるのが何故なのか不思議だった。特にその色彩に興味を覚えた。
後で知ったのだが、中平卓馬という人は、伝説のカリスマ的な写真家だった。1977年多量のアルコールにより昏睡状態から意識を回復したが、記憶を喪失。その後にふたたび撮りはじめた写真集が「新たなる凝視」だった。近年もNHKのドキュメントだったと思うが、中平さんの日々写真の生活が描かれていた。
畑正憲さんに似た、ひとなつっこい笑顔に純な目が印象的だった。中平さんの撮る写真には、普通の人に見えない何かがあるのだろう。
この写真は光線が心地よくて、難解な局面を打開してくれそうな、明るい予兆を願って撮ったものだ。「新たなる光」ならいいのだが。