私は四国の愛媛県四国中央市というところで生まれた。以前までは伊予三島市で、よく島ですかと言われたり、静岡県の三島市とも間違われた。ちょうど瀬戸内海に面する、四国の真ん中あたりではある。
目の前に瀬戸内海の燧灘がありすぐ後ろが山だったので、海山空に囲まれて育ったようなものだ。夜の海にかすかに遠く、本州が見えることもあった。中学3年のときに、海岸べりの市営住宅に引っ越して、毎日海辺で犬の散歩をしていた。毎日波の音を聞きながら暮らしていたのだった。今は埋め立てで、海からは離れてしまい、住宅や病院が立っている。
この写真は20年前くらいの、家の近くの埋め立て地だ。まだ海を埋め立ててから完全に海水が引かない状態のときで、ところどころに池も出来ていた。風景が壊されたようで初めはショックだったが、これも現実である。
このとき帰省して埋立地を散歩しながら、かっての海の風景を懐かしむ気持ちと、年を取ると言うのは、見たくないものまで見てしまうものなのかと思った。
風景は記憶なのだ。記憶はほとんどが消え去るものだが、心に残る風景は消えることが無いだろう。でも現実もまた受け入れないといけない。
生きていくというのは、清濁併せ呑むことでもあるのだろう。たくましさとは、めげない精神でもあるのだ。
でも、このときの埋め立てた海の痛々しさは、忘れないだろうなと思う。
目の前に瀬戸内海の燧灘がありすぐ後ろが山だったので、海山空に囲まれて育ったようなものだ。夜の海にかすかに遠く、本州が見えることもあった。中学3年のときに、海岸べりの市営住宅に引っ越して、毎日海辺で犬の散歩をしていた。毎日波の音を聞きながら暮らしていたのだった。今は埋め立てで、海からは離れてしまい、住宅や病院が立っている。
この写真は20年前くらいの、家の近くの埋め立て地だ。まだ海を埋め立ててから完全に海水が引かない状態のときで、ところどころに池も出来ていた。風景が壊されたようで初めはショックだったが、これも現実である。
このとき帰省して埋立地を散歩しながら、かっての海の風景を懐かしむ気持ちと、年を取ると言うのは、見たくないものまで見てしまうものなのかと思った。
風景は記憶なのだ。記憶はほとんどが消え去るものだが、心に残る風景は消えることが無いだろう。でも現実もまた受け入れないといけない。
生きていくというのは、清濁併せ呑むことでもあるのだろう。たくましさとは、めげない精神でもあるのだ。
でも、このときの埋め立てた海の痛々しさは、忘れないだろうなと思う。