森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

実相院

2005-10-17 00:46:00 | 旅の写真 国内篇
京都の岩倉にある実相院は、雅な気品があって、ひっそりとしたお寺でもある。天台宗の問跡寺院(皇族や貴族が出家し住んだ特別なお寺)で、そのせいか気品のある趣と書院造の建物や襖絵、桃山時代の庭園と枯山水の石庭が有名である。
 もう数回訪れたが、いつ行っても俗世から離れたような雰囲気が味わえる。
 近くに岩倉具視の住居跡もあり、そのせいか幕末の歴史にも縁が深い。
 「新・実相院日記」というブログがあったので驚いたが、とっても明るくて情緒もある日記だ。時代も変わったなあと思うが、私もドライブしたりブログをする時代だからなあ・・
 
 今日は一門の研究会。欠席も多かったが、いつのまにか顔ぶれが変わっていることに気がついた。月日の経つのは早いものだ。日々の積み重ねとはいえ、5年先、10年先はどうなっているだろう。
 先の読みにくい世の中、時代である。頭を抱えてしまうことが多いなあ。
 
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唐招提寺

2005-10-15 21:54:20 | 旅の写真 国内篇
唐招提寺へは何度も通ったことがあるが、どうもいまく写真が撮れなかった。敷地が広すぎて掴みどころがないのと、金堂や講堂が大きすぎるせいだろうか。
 現在、金堂は平成の大修理中らしい。この写真は数年前のものである。
 奈良に住んでいたとき、自転車でよく来たものだ。昔、私が入院していた西奈良病院もすぐそばにある。鑑真和上は12年間の苦難の末に、日本への渡航が6回目で、途中盲目になりながらも強靭な意志で目的を達した。
 唐招提寺は天平時代の雰囲気が色濃く残されたお寺である。今なおどこか中国っぽくて、ここは日本かなと思うほど、あっけらかんとした壮大さがある。
 ひなたぼっこしながら、のんびりとした時間が過ぎていく印象がある。構えたところが無いのが、このお寺の親しみやすい理由だろう。
 ふっと、この構図が浮かんだとき、初めて唐招提寺らしい写真が撮れたと思った。きっと何万分かの一の確率で、この風景が天平時代に重なっているに違いないと、偉そうな錯覚をした気分になった。
 唐招提寺は昼間の青空が似合う。どこまでもゆるやかな時間の流れがいい。
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コスモス

2005-10-14 20:13:26 | 動物と花
去年、三田市の休耕田に行ったときに撮ったコスモスの写真だ。日当たり抜群で一面に広がるコスモスは、背丈が大きく伸びて、秋の穏やかな風景を描く。
 真紅、ピンク、白など色鮮やかに、青空に溶け込んで、すがすがしさをもたらしてくれる。
 コスモスを持って帰って花瓶に生けると、雑草のたくましさはあっても、どことなく元気がなくなる。コスモスは野生の花なのだろう。家で育てたこともあったが、茎が貧祖で今にも折れてしまいそうになってしまう。そこいらの空き地ではたくましく可憐な花を咲かせるのに、うまく育てられなかった。ひまわりと同じで手を入れない自然の空気と太陽がいいのだろうか。
 コスモスの季節が来ると、何だかうれしくなる。次から次から蕾がふくらみ、秋の季節を息長く、咲き続けるたくましさに惹かれるのだ。
 コスモスはとっても陽気で、秋の自然の風景に似合う。
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名草神社

2005-10-14 07:31:01 | 旅の写真 国内篇
兵庫県養父郡八鹿町の名草神社の参道から三重の塔を望んだ写真だ。八鹿方面にドライブに行った帰りに、名草という名前に惹かれて、山道を走らせた。道が狭いので始めは不安だったが、とにかく行って見る。
 山からの眺望も抜群だったが、名草神社は素晴らしいところだった。樹齢300年の杉木立を進むと、三重の塔が見えて来る。それだけでも感動した。そこから少し進み、高い石段を上りながら、社殿を見たときに気が付いた。神社なのに神護寺にも似ている。不思議だなあと思って立て札を見ると、神仏混合の面影を残している神社だったのだ。「本殿は宝歴4年(1754)に建てられた大規模な建築で江戸時代の神仏習合の神社建築として特筆される」
 妙見山という名の山は多いようで、名草神社も妙見山の中腹にある。
 三重の塔を見上げていると、汗を拭きながら外人さんがリックを背負ってやってきた。静寂のなかに荘厳な雰囲気を醸し出す神社で、いっぺんに好きになった。
 名草神社という響き通りの印象だった。
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聖の日記

2005-10-12 20:32:16 | 将棋あれこれ
 11月5日(土)の「聖の青春」宝塚公演に向けてのプレイベント第2弾”村山伸一さんと話す”がソリオ会議室で催された。劇団コーロの森信雄役の石井満さんも同席され、村山君と同世代の宝塚文化振興財団のKさんの司会で、10時過ぎに開会。
 始めに村山君の生い立ちから奨励会入会まで、次に奨励会からプロ棋士になるまで、そしてガンの手術と再発して亡くなるまでを淡々とお話しされた。
 その合間にお父さんが持参された、小学2年から4年生まで原療養所にいたときの村山君の日記帳を参加者に回し読みさせてもらう。
 この写真がそれだが、しっかりとした骨太な字で、文章もうまいと先生に誉められたそうだ。「ほとんど将棋のことしか書いとりゃせんですけどなあ」
 ”四月十四日、はれ、金、二二度、今日、ひさしぶりに、しょうぎのべんきょうを、七,八時間やりました。それでインノウ君からかりた本を、ぜんぶやりました。”と書いてある。
 毎日将棋の本を読み、7時間くらい勉強したという日がほとんどで驚いた。
 将棋も指していて、克明に成績をつけてある。私にとって以前から謎だった、子どもの頃に村山君が強くなった要素がわかるような気がした。
 そして、この日記は何にもまして代えがたい村山君の残した貴重な宝物に思える。もっともっと見たかったが、見てはいけない玉手箱のような気もした。
 石井さんのお話を終えて、質問コーナーに移る。始めはシーンとしていたが、口火を切ると、けっこう急所の質問が飛び交った。さすがにお母さんパワーだなあと感心させられる。質問の柱は子どもに対する親の心情のようだった。
 お父さんは、ときどきひやっとするほど、本音で正直に受け答えされた。いつもの独特なやさしい広島弁が今日も健在だった。
 あっという間に2時間過ぎる。
 村山君のことで、私自身も心のどこかに葛藤が残されていることを、ひしひしと感じさせられた一日だった。と同時に、村山君のことで繋がる縁の深さに、得がたいものを与えられている実感もした。
 村山聖の残したものは、哀しくも暖かく、激しくも静かに、人の心に深く刻まれていくように願っている。

 注 日記の写真はどうしても紹介したかったので掲載させていただきました。
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クッチャロ湖

2005-10-11 21:03:02 | 旅の写真 国内篇
20年くらい前の初めての北海道行きで、浜頓別のクッチャロ湖の写真だと思う。(本当にいい加減だが)白鳥が飛来し始めた時期で、かすかに羽を休める白鳥がいた。普通のカメラでは小さすぎて撮れないのが残念だったが、むしろ日が沈む夕景もよかった。
 札幌から小樽、そして稚内、宗谷岬、浜頓別へと列車とバスでの移動だった。宿も決めていなかったので、行くところで電話して泊まった。
 1週間くらいしか旅が出来なくて、帰りに当時札幌に住んでいた江越克将君と時計台で会ったのを覚えている。
 ずっと旅をしていても、写真を撮る以外にメモも残していないので、記憶をたどるよりない。まだ寒い時期だったので、宿のストーブの暖かいぬくもりがうれしかった。雪はそんなに多くなかったので、多分秋だったのだろう。
 稚内で礼文島や利尻島に渡ろうと思ったら、日数が足りなくて断念する。
 北海道へはそれっきりで、また行きたい。今度はレンタカーで回れるので、楽しみだ。
 この時期に撮った写真はみんな暗くてさみしい風景が多い。心象風景だとしたら、あえてそんな風景を求めて旅をしていたのだろうか。
 
 
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雪解けの鞍馬

2005-10-10 22:50:07 | 旅の写真 国内篇
早春の京都の鞍馬に行った時の写真である。夕方でなく昼間なのだが、雪解けの景色の木立から日が射し込んで、光線がまばゆく散っている。鞍馬へはケーブルが動いてなければ、電車を降りてから歩くよりなかった。一時間くらいで鞍馬寺に着く。
 今なら横着なので車を走らせているだろう。
 雪解けの景色というと、中平卓馬という写真家の「新たなる凝視」という写真集の1ページ目を見たときの感動を思い出す。何でもない日常の風景なのに、すごく新たな世界を感じるのが何故なのか不思議だった。特にその色彩に興味を覚えた。
 後で知ったのだが、中平卓馬という人は、伝説のカリスマ的な写真家だった。1977年多量のアルコールにより昏睡状態から意識を回復したが、記憶を喪失。その後にふたたび撮りはじめた写真集が「新たなる凝視」だった。近年もNHKのドキュメントだったと思うが、中平さんの日々写真の生活が描かれていた。
 畑正憲さんに似た、ひとなつっこい笑顔に純な目が印象的だった。中平さんの撮る写真には、普通の人に見えない何かがあるのだろう。
 この写真は光線が心地よくて、難解な局面を打開してくれそうな、明るい予兆を願って撮ったものだ。「新たなる光」ならいいのだが。
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生駒の夕暮れ

2005-10-09 23:21:02 | 旅の写真 国内篇
「夕暮れの写真は撮ったら駄目」と言われる前の写真だ。大阪と奈良の間の生駒から暗峠に下りる夕暮れ時だった。私は夜道は恐くて苦手なので、山に行ったときなどは目にも止まらぬ(?)駆け足で降りる。このときもそうだったが、夕陽の写真を撮るどころでなく走っている最中に、あまりの見事さにどうしても一枚だけと思って立ち止まったのだ。
 日が沈むとまずい。暗闇は後ろから何かが追いかけてくるような錯覚をする。
 「暗闇が恐いのは、暗さがすべてを包み込むからだ。暗闇でも、あるものはあり、無いものは無い」そんな言葉があった。自分の意識外のことに出くわすと、いったい何が起きたのか状況がわからないから不安になる。
 今の時代は暗闇の恐さで無く、明るい太陽のもとで、人間が恐いもの知らずで何かを壊しているような気がするのは考えすぎなのだろうか。暗闇よりもやっぱり一番恐いのは、人間なのだと、今日もあれこれ取り越し苦労をする。
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高野山のお地蔵様

2005-10-09 00:37:25 | 旅の写真 国内篇
 何かに耐えている、とってもつらそうなお地蔵様である。
ある冬に雪の高野山で撮った写真だ。人っ気も無くて、寒さも厳しかったが、何故か訪れたくなって足を運んだ。具体的に深刻な悩みがあったわけでないが、でもやりきれないものがあったのかもしれない。
 夕暮れ近く、高野山の墓所の道を暗い気持ちでひとり写真を撮る姿は、自分でも不気味だと思うが、何だったのだろう。
 このお地蔵様に出会ったとき、寒さも忘れて夢中でシャッターを切ったのを記憶している。人間の思いはちょっとしたことで、くつがえる。妙な安心感を覚えて、駅に向かって、帰って行った。
 写真の恐さだろうか。ときどきファインダーを覗くと、我を忘れて別の世界に入っていくような錯覚をすることがある。
 目に見えないものは、無いと思えば無いし、あると思えばあるのかもしれない。
 でも何かに畏れを抱く感情は、私の心の奥深くに確実にあると思う。暖房の電車に乗り込み、ほっと一息つく。
 危ないものが去って、暖かい缶コーヒーを飲む。人は生身なのだ。
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白のコスモス

2005-10-07 23:09:47 | 動物と花
コスモスの季節になった。コスモスには青空が似合うが、今日はあいにくの小雨日和で、どうかなと思ったが決行する。
 兵庫県三田市の田園地帯にある休耕田の一帯が、毎年場所を変えてコスモス畑となる。車から降りて傘を持ちながらの撮影となったが、雨のコスモスはまたひと味違った趣がある。普段ならピンク、赤が映えるのだが、今日は白が目立つ。そのせいか、白のコスモスには人が近寄った跡が残っていた。畑の中に入るとコスモスを踏んでしまうので、遠目から撮るが物足りない。あぜ道を進み、コスモスに囲まれて、どれを撮ろうか迷った。
 コスモスは蕾もきれいだ。緑の茎の上から次から次から蕾がふくらんで、雑草のたくましさと花の可憐さを秘めて、秋の季節を奏でて咲きほこる。
 コスモスに見とれていると、いつの間にか傍にいたO君も妻もいなくなっていた。それぞれ勝手気ままの時間を過ごす。帰る頃になり、雨足が弱まって、空が微妙に明るくなった。
 「もったいないけど、帰ろうか、青空のときまた来よう」
 車を走らせると、宝塚市という標識あたりでまた雨足が強まった。
 今年もコスモス畑は健在だったので、うれしかった。
 

 
 
 
 
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尾道のネコ

2005-10-06 23:02:12 | 動物と花
 尾道の猫シリーズの第2弾。昨日はどちらかいうと暗くて恐い感じのネコだったが、今日のネコはいかにも瀬戸内の明るいネコである。私を見ているのでなく、ネコの仲間を気にしている様子だ。虎模様で尻尾がとても長くて、いい家に飼われているのだろう、自信に満ち溢れたポーズである。
 動物好きにはネコ派と犬派があって、私は犬派であるが、たまに勝手気ままなネコもいいなあと思うことがある。風景に合うのは断然ネコだ。しかも少し古いひなびた場所に、ポツンとネコがたたずんでいると、それだけで絵になる。
 ネコの居る街には、必ず人情豊かなやさしい人が住んでいるというのは、私の持論だが、ネコ害が目に余ると、「餌をやらないで下さい」という立て札を立てられる。旅人の目と、普段暮らしている人の目は違っていることもある。
 それでもネコは風景には欠かせない。本来の身勝手さが、逆におおらかさに感じて救われることもあるのだ。
 ネコは人を写す鏡でもあると思うのだ。
 我が家のトビオ君は、本来はパグ犬なのだが、どう見てもネコ科としか思えないときがある。甘え上手で、かなり身勝手だが、愛嬌があり、犬やネコでなく人間に近いわがままな感性を持っているのだ。
 人には自分でも知らない表と裏、ネコと犬の両面があるのだと思う。
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 旅について

2005-10-05 20:35:25 | 旅の写真 国内篇
旅の写真をスキャナーして整理している。これは尾道に行ったときに出会ったネコだ。いつだったのかどこだったのか記憶不明。
 以前、お気に入りの写真をマウントに入れて、スライドで上映していた。観客は無理やり引っ張って来た弟子達だ。自分ひとりでカーテンや白い壁をバックにして楽しんで見る事もあった。大きくするとピントの具合や、構図などの反省点がよくわかるし、何より気分がいい。
 もともと写真を始めたきっかけが、中国で知り合ったSさんに、帰国後スライドで旅の写真を見せてもらったことだった。カメラを買って初めてのひとり旅がインドだったから、少し無理筋ではあった。
 国内の旅も、東京で対局の後にあちこち回った。ほとんどが一人旅で、宿泊も着いた駅裏のひなびた旅館や、駅そのものに泊まったりした。スケジュールは立てず、成り行き任せだった。仕事で大阪に帰る日が近づくと憂鬱になった。
 もっともその昔から、ヒッチハイクや駅に寝泊り、漁船の中に内緒で泊まるといった旅は経験済みではあったから、所持金が少なくても割りと平気だったと思う。
 旅はおおげさでなくとも構わない。自分の気持ちが心新たなら、隣の町を訪ねるのも魅力があると思っている。自由気ままこそ、旅の真髄である。
 人から離れて、自分から離れて、また戻って来る・・・
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2005-10-04 21:46:23 | 旅の写真 国内篇
京都の等持院だと思うが、そこの掛け軸で恐らく「忍」と言う字だろう。私はお寺が好きだが横着であまり調べていかないし、見た目の直感だけで写真を撮るので記憶に無いことが多い。いわば好き嫌いが優先するのだ。
 この忍と言う書は、部屋の雰囲気に合っていて、時代を感じさせる。私は書は全くわからないが、勢いがあり、生半可な忍ではないぞと思った。
 今は「忍」よりも「饒舌」の時代である。このブログも一歩間違うとその世界に嵌まっていて、もうすでに手遅れかもしれない。
 人と話していて、阿吽の呼吸でピンと来ることが少なくなったように感じている。相手も同じように考えているのかもしれない。話す言葉は心の表現ではない。
 コミュニケーションの道具なのだ。言葉や文章は、根底に人の持つ感性や価値観がどこかに出て来るものなのだろう。だとしたら、私の言葉や文章は、きっとへそ曲がりが茶を沸かしたようなものかなあ。
 
 
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蝉しぐれ

2005-10-04 00:26:16 | 日々の写真
宝塚、売布のシネピピアのレイトショーで「蝉しぐれ」を見る。藤沢周平原作の話題の映画だ。映像とストーリーが藤沢周平の世界を描き出して、日本の原風景と、全体にぐっと抑えた表現で、人間の気高さと切なさ、そして迫力も感じさせるいい映画だった。黒土三男監督の映画は初めてみたが、映画の面白さに圧倒されて胸がジーンと来た。
 
 ある日あるとき珍しく村山聖に「これ読みましたから、どうぞ。面白いですよ」と渡されたのが、藤沢周平の文庫本だった。私も数冊は読んだことがあったが、村山君と藤沢周平の取り合わせは、わかるような気がする。
 藤沢作品の、歴史上の人物でなく普通の人の視点から捉えた感性が、今の人間が薄められた時代だからこそ、心を潤す感動があるのだろう。
 今は真面目さや耐えるということが、あまり受けない時代だ。だからこそ心のどこかに、古きものを求め、損得に走るのはもうういいやみたいな気持ちが芽生えて来ているのかもしれない。
 いやいや、それは思い違いで、ますます節操のない時代に突入しているとも言えるのだろう。
 本物の魅力、それは余韻であり、哀しみなのだと思う。
 
 
 
 
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雲は天才である

2005-10-03 01:42:28 | 日々の写真
写真を撮るようになってから、無意識に新聞のお天気欄やテレビの天気予報を気にするようになった。朝起きても、知らずに空を見上げるのがクセになっている。
 和風建築などはしっとりした雨模様の方が似合うこともあるが、やはり日本晴れの方が気分がいい。どうせ出かけられないなら、対局や仕事の日はむしろ雨の方が腰が座っていいのにと思っていると、皮肉にもその日に限って快晴だったりする。
 明日は休みだと思うと、その日はぐずついた天気が多いのだ。まるでマーフィーの法則みたいである。
 この写真はどこで撮ったのか思い出せない。多分家の近くで、雲の模様が面白いから撮ったのだと思う。昔から空を見上げるのが好きだった。特に流れ行く雲の姿に見とれてしまうのだ。初めて飛行機に乗ったときも、天気が悪くてかなり揺れたが、雲の中をグラグラ揺れながら飛んでいるのは苦にならなかった。雲の上に入り青空が顔を覗かすと、自分が仙人にでもなった気分だ。
 山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう ああ・・以下は忘れた。
 確かそんな詩があったと思うが、まさにその心境である。
 私の場合は現実逃避の最たるものかもしれない。たまに日本語を聞きたくなくなって、外国に行きたい心境になる。言葉を勉強して外国に行くという発想が私にはない。わからなければ通訳に頼めばいいや、である。
 話を戻すが、空の雲をみていて飽きないのは、人を相手にするのと違って空想に浸れるからかもしれない。
 計算ずくめの世界が苦手だから、わざと自分がマイナスになるような行為をしたくなる心境のときもあるのだ。以前にも書いたが「雲は天才である」
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