備前堀は、関東郡代の伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が慶長15年(1610)に築いた、千波湖の水を管理し灌漑用水としたものです。(写真は金剛橋)
伊奈橋
国道51号にかけられた、橋を感じさせない今様のものです。
荒神橋
三宝荒神を祀っている竃神社からつけられた名前だそうです。竃神社は、「おかまさま」といわれたそうで、ケヤキの古木があります。
銷魂橋(たまげばし)
水戸街道(江戸街道)の起点で、掟などが掲げられた高札場もあったそうです。別れを惜しんだということで、徳川光圀が名づけたそうです。
道明橋(どうめいばし)
江戸時代(明和のころ)本一町目にあった酒造業者、道明作兵衛がかけた橋だそうで、橋上に伊奈忠次の像があります。お盆の灯篭流しではにぎわいます。
三叉橋(みつまたばし)
備前堀はこの場所で三叉になっており、水門があったので、こういわれたそうです。
学びの橋
浜田小学校への通学路なので、地元の人がこうよんでいたのだそうです。
金剛橋(こんかうはし)
金上山不動尊(瓦谷不動尊)の参拝路にかけられたのだそうです。
常陸山橋
大正の初め、常陸山が酒門共有墓地に墓参りするとき、古くなった橋を見て、数年後に自費でかけかえたので名づけられたそうです。今の橋は新しくなったものです。今の名前の前は万才橋といっていたようです。 後日:訂正