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水戸の見て歩き

水戸の酒の話(12)

2020-12-18 19:48:19 | 水戸

サーモン デ シュ
 最近、一品の吉久保酒造で新発売された清酒です。おととし、サバ デ シュが発売されていて、第2弾のようです。鮭の刺身で飲んでみましたが、辛口で、魚の味をじゃましない、引き立て役の感じがする清酒でした。デはフランス語の「の」、シュは「酒」のようですが、「(サーモン)です」とも洒落ているようです。写真はサーモン デ シュの4合瓶です。

 

偕楽園への持ち込み
偕楽園が開園となったのは天保13年だったそうです。開園当日の日付で、一般向けと監察・園主あての2種類の布達が出たそうです。その後者には、「一、拝見のやから、御門内へ樽酒持参候儀(そうろうぎ)は相成(あいな)らず、ひようたん、吸筒(すいづつ)に限り苦しからず候事」とあるそうです。吸筒は竹などで作られた水筒のことだそうです。樽のような大きなものはだめですが、瓢箪のような小さいものならよかったようです。

 

藤田東湖
 竹隈(たけくま)に蟄居中、許可を得て顔なじみの穀屋を訪ねた時に、酒肴が出て歓待されたそうです。部屋に飾られていた林十江の大黒図を見て、酔った勢いで、「大黒も 米二俵では 喰足(くいた)らず 打出(うちで)の小槌(こづち) ふれやふれふれ」という狂歌を書き込んだそうで、主人も喜んだそうです。

 

藤田小四郎
 小四郎は東湖の四男ですが、口も手も達者な子供だったそうです。東湖が自宅での酒宴で、手を打ったので、奥さんが何用かと出てゆくと、小四郎は「お手が鳴ったらお銚子だよ」といったという話もあるそうです。小四郎は、酒は父に似て相当いけたそうですが、甘いものも好きで、天狗党に資金を出したりした府中の妓楼・紀州屋の女将からは、「小っちゃんは酒が好きなくせに甘いものも好きでは始末が悪い」と言われたそうです。

 

横山大観
 横山大観は、武家の酒井捨彦の長男として生まれ、その後横山家に養子にいったそうです。次男だった父親の捨彦は、明治維新時、士族がもらえた金禄公債にありつけず、磯浜村に引っ越して酒屋を開業したそうですが、苦しい生活だったようです。6,7歳の秀麿(大観)は、酒屋の業務である樽拾いをして町を歩きまわっていたそうです。「雪の日やあれも人の子樽拾い」という句がありますが、大変な仕事だったようです。

水戸の酒の話(11)

 

コメント
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