火消壺(茨城県立歴史館 緑町2-1-15)
前回、鉄鋳物の火消壺をご紹介しましたが、一般的には写真のような黒煙を練り込んだ黒い陶製の火消壺が使われていたような気がします。私の生家でも使っていました。
墨壺(中屋平治 本町3-19-1)
刃物店のウィンドウ内に、材木に直線をつけたりする、墨壺が飾られていました。写真右の、糸に墨をつける「壺」の部分には、鶴と亀が彫刻されているようです。
大花瓶(東漸院 成沢町1692)
なんとも大きな花瓶で、倒れないようにロープで首が梁(はり)にゆわえられています。水戸では最大級でしょう。中国風景色が描かれているようです。
蔵骨器(埋蔵文化財センター 塩崎町1064-1)
仏教の伝来とともに上流階級に火葬が広まったようです。その後、次第に火葬の風習は地方へも伝わっていったのでしょう。写真の蔵骨器(骨壺)は、河和田3丁目にある赤塚遺跡から出土した9世紀のものだそうで、本体には甕(かめ)が、蓋には盤(ばん)が使われているそうです。こうした転用の蔵骨器はたくさん出土しているようです。鎌倉時代以降は土葬が一般的になっていったそうです。
植木鉢(MIRIZE Lab 小吹町1990-1)
壺を利用した植木鉢をよく見かけます。写真などは、洗練されたデザインの植木鉢のようです。
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