子どもを抱いた如意輪観音像に、女人講中の文字が刻まれているものばかりを選んでいますが、その文字のない石像も数多くあります。一般的にはこれらを総称して子安観音といっているようです。海野庄一著の「水戸の石仏」によると、調査した石仏・石塔が674、その内、子安観音が142、十九夜、二十三夜が合計で33です。後者もおもに女性が信仰したようですから、これらを合計すると全体の25%です。この他に、如意輪観音が54あって、これも女性が関係したものがあったでしょう。一番多い地蔵が180となっていますから、その多さが分かると思います。講を維持したり、石像を建てたりするにも当然のことながら費用がかかります。水戸だけのことなのかもしれませんが、女性がこれだけ石像造立にかかわっているらしいことを見ていると、江戸時代の女性の位置や、お金の管理について、いろいろ考えさせられます。撮影のときに赤い前掛けをはずしたものがあります。
うりなみ印刷(元吉田町376-13)近く
文化年間(1804-1818)、2つの女人講が共同で建てたようです。
東組共同墓地(河和田町611近く)
天保6年(1835)、東原村女人講中6人と刻まれています。
中原不動尊(中原町786)
天保12年(1841)と刻まれています。
滝下橋の桜川左岸100mくらいの左側
嘉永年間(1848-1854)。
福徳弁財天(水戸市渋井町652近く)
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