ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の灯籠(5)

2020-05-26 20:22:12 | 水戸

 奉納の理由が刻まれた灯籠をよく見かけます。そのいくつかを選んでみました。

 

村社昇格、御本社銅葺記念(香取神社 大串町)
 御神灯とあり、大正10年に建てられたようです。拝殿向かって左にあるもう一方の灯籠は弘化4年とあり、右にあるこの灯籠は記念に建て替えられたようです。

 

御成婚記念(三所神社 加倉井町1162)
 常夜灯、氏子中とあり、大正13年に昭和天皇の御成婚を祝って建てられたようです。

 

伊勢参宮記念(春日香取神社 川又町246)
 大正時代に伊勢神宮に参拝した人たちが連名で建てたようで、参宮記念とあります。そのうちの1回では、太神楽が奉納されたようです。火袋部分がこわれてしまったようで、なくなっています。

 

出征記念(鹿島神社 森戸町)
 戦争で奉納された灯籠があちこちで見られます。これもその一つです。昭和15年とあり、3名の名前が刻まれています。

 

宮司就任記念(愛宕神社 愛宕町10-5)
 御神灯、奉納、昭和58年と刻まれた、たぶん本人が奉納したのであろう灯籠もありました。

水戸の灯籠(4)

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ぶらっと歩きの風景(51)

2020-05-25 20:42:24 | 水戸

赤いシャクナゲ(正覚寺 筑地町621)
 入口付近にある、濃い赤の大きなシャクナゲが満開でした。(撮影日5/9)

 

西南の役出征の祈願社(鹿嶋神社 飯島町)
 水戸で西南の役に出征した兵士の祈願社が鹿嶋神社の裏手にあります。豊田芙雄(ふゆ)の兄・力太郎は西南の役で戦死したそうです。客のなかった写真館に出征の記念撮影の客などが来るようになったという話しもあるそうです。西郷隆盛とともに東京から郷里へ引き揚げた薩摩藩出身の警察官のあとに、水戸人がついたということも多かったそうです。

 

ユリオプスデージー(南町3)
 盛んに植えられているキク科の植物ですが、木本だそうです。確かに、太い幹が見られました。

 

ヤセウツボ(桜川沿い)
 シロツメクサなどに寄生する帰化植物だそうですが、急にあちこちで見かけるようになりました。逆川緑地の入口付近にはたくさんはえています。

 

折れた梅(弘道館公園 三の丸1-6-4)
 強い風のせいでしょうか、弘道館公園で、互いに近くにある2本の梅が折れていました。幹の中心部が朽ちてしまう梅は、衝撃に弱いようです。

ぶらっと歩きの風景(50)

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水戸の天水受け(3)

2020-05-24 18:46:38 | 水戸

 天水受けはハスの葉形と丸形が大部分ですが、四角形や八角形のものもあるようです。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
 ハスの花形で、側面に線が陽刻されています。光台寺という文字の上に「抱き花杏葉(ぎょうよう)」という紋が入っています。

 

神崎寺(天王町8-17)
 石製で八角形をしています。

 

天徳寺(河和田町914-1)
 あまり加工していない石に丸い穴をあけた天水受けのようです。

 

常磐神社(常磐町1-3-1)
 明治7年とある、石製角形の天水受けです。

 

有賀神社(有賀町1032)
 平成17年とある、茶碗型の天水受けです。

水戸の天水受け(2)

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水戸にある北条時雨書の碑(1)

2020-05-23 21:55:08 | 水戸

 祖父、父ともに水戸藩士で、それぞれ藤田幽谷、豊田天功の門人となり、書の道を歩んだそうです。時雨(しぐれ)も唐時代の書家・欧陽詢(おうようじゅん)の楷書にひいでて、その書体で大日本史の版下を書いたそうです。水戸では当時、書の第一人者だったようで、多くの碑文などを書いているようです。そのいくつかをご紹介します。安政4年(1857)~大正11年(1922)。

 

遺徳之碑(偕楽園  常盤町1-3-3)
 明治30年とあります。茨城の県令(参事)となった関新平が、明治初期の党派対立による混乱に、いろいろな政策をほどこして尽力したことを讃えた碑だそうです。

 

唯円坊之碑(河和田町榎本3670のロ 36°21'42.5"N 140°24'41.6"Eあたり トイザラス南の田畑の中)
 明治44年とあります。報仏寺の前身である、歎異抄を書いた唯円が開いたという念仏道場があった跡といわれる地に立てられた碑です。その後、寺は徳川光圀によって、現在地(河和田町887)へ遷されたそうです。

 

記念碑(笠原子安神社 笠原町991-2)
  大正3年とあります。安産守護の神、水戸七社の一つで、明治43年に火災にあい、復旧したことを記念して建てられた碑のようです。

 



帆平海保君之墓(酒門共有墓地 酒門町330)
 海保帆平は、安中藩の武士で、徳川斉昭の水戸藩に弘道館師範として仕え、会沢正志斎の娘を妻としたそうです。幕末の混乱期の中で、蟄居などの後、41歳で没したそうです。

 

東部先生之碑(常磐共有墓地 松本町13-34)
 東部先生とは弘道館剣術方教授で、明治維新後に東武館を創設した小沢寅吉のことだそうです。内藤耻叟の文、青山延寿の額という墓碑です。西南の役で功のあった者は小沢の門下だったとか、常磐神社に徳川斉昭鋳造の大砲を寄贈したなどとあります。

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水戸の野草(15)

2020-05-22 19:37:41 | 水戸

 イネ科の野草が花盛りです。園芸品種のコバンソウをのぞいて、みな派手ではなく、似たような姿なので、どれもあまり目につく花ではないようですが、よく見るとそれぞれに個性があるようです。

 

カラスムギ(酒門町国道六号線土手)
 カラス、イヌ、スズメ、ネズミなどという字が頭につく植物は、たいてい、人間には役に立たないという意味があるようです。それでも、カラスムギは食べられるようで、その改良種にはエンバクがあるそうです。

 

コバンソウ(のぎく保育園(酒門町5038)道向かい)
 明治時代に移植された園芸植物のようで、意外に古い渡来植物のようです。花穂が小判に似ているので付いた名前のようですが、そうとう野生化が進んでいるようです。

 

シバの花(偕楽園 常盤町1-3-3)
 再開された偕楽園へ行くと、庭のシバが満開でした。「繁葉草(しばはぐさ)の意か」と、大言海にはあります。

 

チガヤ(城東 桜川土手)
 群生した白い穂が風になびく姿はきれいです。むかしはツバナといっていたそうです。

 



ネズミムギ(東台 桜川土手)
 明治時代に牧草などとして入ってきた植物のようですが、今は広く生い茂っているようです。花のついている茎がくねくねしていて、見て楽しめます。

水戸の野草(14)

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