5月26日(土)小谷村・千国街道沿いの沓掛に
残る「牛方宿」を訪れました。
牛方とは牛を使って物を運ぶのを仕事とする人。
日本海を臨む糸魚川から信州の松本城下を結ぶ
街道は「塩の道」と呼ばれていました。
その街道は、深い谷あいの山道を牛や人が荷を
背負い塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草を
運ぶ道でした。
そんな牛方と牛が一緒に寝泊まりして疲れを
癒したという「牛方宿」が何軒もあったようです。
牛方宿(母屋)
険しい山坂と谷あいの道を背に塩俵を二俵ずつ
積んだ六・七頭の牛を牛方は一人で手綱をさば
いて歩み続け夜になると牛方宿の灯りのもとで
牛方と牛たちはともに眠りました。
こうした牛方宿はかつて千石街道沿いに何軒も
ありましたが、明治二十年頃に別の新しい国道
ができると街道は役目を終え今では唯一、この
建物だけが昔の塩の道の貴重な証しとなってい
ます。~パンフレットより~
牛方は玄関入口の土間の上の中二階の寝所から
馬屋の牛の様子を見ながら眠むりにつきます。
牛方と牛の宿泊料は
牛方は一人で6頭をまとめて移動するとなると
牛6頭分も支払うことになります。
「牛、米糠と薪の代五厘、牛方は七銭、
但し賄いは別」という明治29年の文書が残っています。
玄関土間から見た座敷の様子。
塩倉
この塩倉は牛方宿とともに旧街道に現存する唯一の建物です。
幕末頃の建物と推定。半地下式で階上に塩を保管しました。
土蔵
今はギャラリーとなっている土蔵です。
塩の道
戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った
有名な故事はこの「塩の道」に由来しています。
かつて千石街道を行き来した牛方や牛馬たちに
思いを馳せながら街道を歩くのも良いものですね。
この後、千石街道沿いにある小谷村千国の集落に向かいました。