おとといはこの「鍵屋」の2階大広間で和綴じ教室があって参加した。建物は当時のままで今は資料館になっている。江戸時代宿場町としてまた交通の要衝として大いに栄えた。大坂や京へは三十石船が往き来し、すぐ横の桜町は花街としてかすかに名残を留めているが「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここはひらかた鍵屋浦」「鍵屋浦には碇は要らぬ、三味や太鼓で船止める」と淀川三十石船唄に歌われている。その三十石船歌を歌う会がこの6/2(土)この場所で催されるので勇気を出して申し込んだ、さてどうなることか。
おとといはこの「鍵屋」の2階大広間で和綴じ教室があって参加した。建物は当時のままで今は資料館になっている。江戸時代宿場町としてまた交通の要衝として大いに栄えた。大坂や京へは三十石船が往き来し、すぐ横の桜町は花街としてかすかに名残を留めているが「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここはひらかた鍵屋浦」「鍵屋浦には碇は要らぬ、三味や太鼓で船止める」と淀川三十石船唄に歌われている。その三十石船歌を歌う会がこの6/2(土)この場所で催されるので勇気を出して申し込んだ、さてどうなることか。