全く個人的なことで申し訳ないが、ここは地下鉄岸里駅近く、国道26号線と交差する南海高野汐見橋線の高架橋、WAKIが物心ついたころにはすでに存在していた。戦前からこの形で今も残っている。戦時中は鉄と言う鉄はすべて供出の対象になって街から無くなっていったがこの橋は完全に残って昔のままだ。だからこの橋をくぐるたびに昔を思いだす、戦中疎開先が北野田でよく用事を仰せつかって西天下茶屋間を往き来した、ませた子供であった、今は1時間に2本の電車が走る、それにしても国道の幅いっぱいに良く設計されたものだ、と思って考えていたら丁度南海電車が轟音を響かせて通過していった。調べてみたら南海高野線は1900年(明治33年)に開通この橋脚は1915年(大正4年)ごろに造られているだから地区100年の代物だ。