
WAKIは結婚してすぐに阪急沿線の池田に移り住んだ、何回も申し込んだ公団住宅に当選したからだ、そこはやや高台にあってのんびりとしてて環境はいうことなし、子供たちもきれいな空気でのびのびと育った。何しろ当時は市の財政も豊かで生まれた子供に一年間牛乳を無償で届けてくれる制度があった、交通機関はもちろん阪急電車、その頃の急行は石橋まででそこから宝塚までは各駅停車,だから「はんきゅう」と駄洒落をいっていた、「1回乗っても南海電車」のようなものだ、あの品のある阪急電車はWAKIもいまも大好きだ、そしてわれわれ二人は今もときどき乗り継いでわざわざ阪急百貨店に出向く、乏しい財布が問題だが、と言うわけで、今回阪急梅田のあの気品にあふれ由緒のある想い出のコンコースが無くなるのには耐え難い思いだ、これは、今年6月に撮影の写真である。
大人は安全で便利なら及第点かも知れないが、子ども達に夢を与える鉄道であって欲しいと願う、一鉄道ファン(昔)でした。