WAKIのかみさんが長年通っていたパソコン教室が無くなり中断していたが、またパソコンを習うことになり、必要なプリンターとラックを選ぶのと、WAKIも取材用のカメラの交換レンズが安ければと、大阪ミナミにオープンした「LABI1」に小雨の降る中を出かけた、いよいよこれからキタのヨドバシ、ミナミのヤマダと両雄の南北対決が始まる、売り場面積2万平方米、品揃えは80万点といわれてもWAKIにはピンとこないが、とにかくばかでかい。オープン記念プレゼントはオタフクの「お好み焼きソース」であった。関東の量販店の気遣いだろう。パソコンもじゃんじゃん売れていて、プリンタを買っても支払いに1時間弱も並ぶ有様、買った品物は佐川急便が翌日送料500円で届けてくれる。果たしてすぐ近くのでんでんタウンと共存できるのか、WAKIにはわからない。
あまりにもいい陽気で歩いていたらお屋敷のなかから張り出した枝に見事な紅梅が咲いていた、思わずシャッターを押したがもうミツバチがせっせと蜜を集めているそうして花から花へ花粉を運んで受粉させている、こうして梅雨の頃には結実させる、自然の摂理は何ともすばらしい。きょうの主役はミツバチだ。
この舞台は大阪のド真ん中大阪駅の中央コンコース、ちゃんと椅子席もあって文楽が鑑賞できる、通りすがりではあったがWAKIはこのたび六世鶴澤燕三を襲名する鶴澤燕二郎さんの太棹を聞いた、国立文楽劇場4月公演の前宣伝ではあったがすごい迫力に驚いた、太棹三味線の技巧やさわりを軽妙な解説交じりで披露していた、鶴澤燕二郎さんは文楽研修生から努力された人で、いまも研修生を募集とのことである、ただし23歳までの男子とのこと。そして文楽は「世界無形遺産」に指定されている。
WAKIはいまだに文楽は鑑賞したことがなくて恥ずかしい限りだが、WAKIの故郷ではもともと人形浄瑠璃が盛んで伯母の家がその稽古場で伯母は太棹のプロであったし叔父は素人ではあったが毎年弁天さんの境内で催される浄瑠璃大会ではトップクラスの成績であった。
[解説]:ユネスコは、無形文化遺産保護条約に先立ち、無形の文化遺産を保護するための事業として、2001年より隔年で、世界の伝統的な文化の表現形式や文化空間を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として発表しています。口頭伝承や無形の文化形式の大切さを認識すると同時に、政府、地方自治体、NGOなどが率先してそれらの保護活動を行い、未来へ継承していくことを目的としています。2001年に第1回目、2005年に第3回目の発表が行われました。日本からは「能楽」、「人形浄瑠璃文楽」、そして新たに「歌舞伎」が登録されています。
WAKIはいまだに文楽は鑑賞したことがなくて恥ずかしい限りだが、WAKIの故郷ではもともと人形浄瑠璃が盛んで伯母の家がその稽古場で伯母は太棹のプロであったし叔父は素人ではあったが毎年弁天さんの境内で催される浄瑠璃大会ではトップクラスの成績であった。
[解説]:ユネスコは、無形文化遺産保護条約に先立ち、無形の文化遺産を保護するための事業として、2001年より隔年で、世界の伝統的な文化の表現形式や文化空間を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として発表しています。口頭伝承や無形の文化形式の大切さを認識すると同時に、政府、地方自治体、NGOなどが率先してそれらの保護活動を行い、未来へ継承していくことを目的としています。2001年に第1回目、2005年に第3回目の発表が行われました。日本からは「能楽」、「人形浄瑠璃文楽」、そして新たに「歌舞伎」が登録されています。
今回のフエスタでいちばん人気があったのが、WAKIの知人のMさんが主宰の折り紙教室、よくもこんな複雑なのがカラフルに手際よく多様に作れるものだと感心する、これぞ日本が世界に誇れる芸術だともおもう、この展示に若いお母さんが子供といっしょに折り紙を楽しんでいる、その子供たちの真剣な表情がWAKIはほんとうに良かったと思っている。
地域の文化活動の拠点枚方市南部センター・ユーカリの行事、ユーカリ・フェスタが4日(土)~5日(日)と2日間にわたって行われた。WAKIたちの川柳サークルも出展した。好天に恵まれて盛況であった。それぞれが自分で選んだ句を2句づつ短冊にしたためてみんなで工夫を凝らして展示をした、われわれの次の期の人たちも展示をした、また、俳句や書道、陶芸なども、それに、コーラスや手品、フラメンコ、詩吟と色とりどりであった、川柳は幸い好評で、熱心に見ていただいた、入会の希望のかたもずいぶんおられた、指導いただいた濱田良知先生やすぐ近くにお住まいの川柳界の長老礒野いさむさんもお越しいただいて、アドバイスを頂戴しいい勉強になった、WAKIは臆面もなく短冊に落款を押しておおいに恥じ入った次第である。
きのうは天気が良かったので今年はじめてWAKIの環境パフォーマンス「河童水路?」のゴミ拾いをした、水路の歩道側には立派な手すりが、ところがその下側はすけすけ、これではゴミさんどうぞと言わんばかり、必然的にゴミが川に溜まる仕組みだ、そして水路の杭にゴミが引っかかる。2時間の戦果は約700mの水路でこんな山が2つであった。川床に雑草が茂りだすとたいへんな手間が掛かる。
この水は淀川に合流して、このまえリポートしたイケチョウ貝や蜆を育む、そしてこの水路にも枚方の市鳥でもあるかわせみが時折姿を見せる。
この水は淀川に合流して、このまえリポートしたイケチョウ貝や蜆を育む、そしてこの水路にも枚方の市鳥でもあるかわせみが時折姿を見せる。
3月2日(木)のトンボの目で予告した枚方・万年寺山御茶屋御殿跡の展望公園がきのうオープンした、WAKIは出掛けることができなかったが特派員がちゃんと取材をしてきた。
昔(1595年)豊臣秀吉が京都と大阪を結ぶ淀川を一望に見下ろせるこの高台の要衝に御茶屋御殿を築いたとされる場所がこのほど整備されてオープンの運びとなった、快晴の温かな日差しのなか、枚方市長の挨拶、関係者の表彰、バンドの演奏そして野点も行われてここに市民の憩いの場が誕生した。もともと、この隣の梅林も含めてこのあたりは「万年寺山の緑陰」として枚方八景の名勝の一つでもありWAKIたちのウオーキングのコースでもある。
昔(1595年)豊臣秀吉が京都と大阪を結ぶ淀川を一望に見下ろせるこの高台の要衝に御茶屋御殿を築いたとされる場所がこのほど整備されてオープンの運びとなった、快晴の温かな日差しのなか、枚方市長の挨拶、関係者の表彰、バンドの演奏そして野点も行われてここに市民の憩いの場が誕生した。もともと、この隣の梅林も含めてこのあたりは「万年寺山の緑陰」として枚方八景の名勝の一つでもありWAKIたちのウオーキングのコースでもある。
WAKIはいま月に一回習字を教わっている、教室の名前は「おもしろ書道」先生は社友の井上先生だ、どうせ発表することもあるだろうということで先生が篆刻を教えてくださることになって、いまその宿題に取り組んでいる。いままではWAKIは我流でトライしたことはあるがやはり正式に習うといろいろしきたりに則った約束や方法があって恥じ入るばかりである。解説によると篆刻は書や絵に押してある印章で、この場合篆刻は作品の一部分を構成しているので鑑賞の対象となる。この文字の書体が篆書であることから篆刻という。
今日、明日と近くの公民館でのフェスタにWAKIたちの川柳サークルも短冊に書いて出展した。これには間に合わなかったので自分流の落款で提出した。
今日、明日と近くの公民館でのフェスタにWAKIたちの川柳サークルも短冊に書いて出展した。これには間に合わなかったので自分流の落款で提出した。
きのうに引き続いて今日も春の便り、WAKIの特派員でもありアシスタントでもあり、デスクでもある(実はかみさん)は毎年一番にかならず土筆の生えてくる場所を知っていて、きょうも時々みぞれが降る中をカメラをもって写してきた、WAKIは目を皿のようにしてもなかなか見つからないが、これが特技のようだ、昨年は3月6日であったので3日早いことになる。土筆の傍らにはよもぎも生えている、手で揉めば懐かしい古里の香りがする。
今年は例年より遅まきながら梅の便りがとどくようになった、ここはWAKIの散歩コース去年も紹介したが枚方市の数少ない意賀美神社の横の梅林だ、去年紹介したのは1月29日だからもう一ヶ月以上も遅れていていまだにちらほらだ、それでも待ちかねた人たちが来ていたが今年は句碑がひとつ加わったが、周辺がシートやガラクタが片付けられていないので、カメラを向けても絵にならないのが何とも残念。
ところでこの梅林のすぐ隣、淀川を眼下に見下ろす高台、万年寺山御茶屋御殿跡に4日、1,500平方米の展望公園がオープンする。ここはまた改めてリポートする積もりです。
ところでこの梅林のすぐ隣、淀川を眼下に見下ろす高台、万年寺山御茶屋御殿跡に4日、1,500平方米の展望公園がオープンする。ここはまた改めてリポートする積もりです。