この熱帯魚の水槽はとある病院の待合室にある。WAKIは入院加療中の弟の見舞いのために月に2回はここを訪れる、そのたびにこの水槽を覗きこの水槽のボスに挨拶する、なんでも彼には愛称が付いていて「ジンベイザメ」と呼ばれていて今は病院のアイドルだ、丹念に水槽を掃除していたおじさんによると最初は金魚ぐらいだったのがそれが10年も経つとこんなに大きくなってと言ってたがいまでは30cmぐらいで水槽の掃除を良くしてくれるそうだ、今回弟の転院が決まり、ジンベイザメともお別れになってしまう、いつも挨拶を交わしていたのに元気でいておくれ。
近頃は車もあまり遠乗りをしなくなったので給油は近くの給油所で月に一回程度、満タンにして乗っている。用途は毎日の買い物が主、年をとってこれほど便利なものはない、諸物価が上がるなかガソリン価格だけはどういうわけか安い。一時はリッターが150円近くいってたように思う。今は表示のように130円前後だから助かる。でも大切なことは安全運転の励行だ、このまえの車検を機にタイアも新調し、無理な運転を避けて心して乗ろうと思っている。でも石油の安定供給のためにホルムズ海峡の機雷除去に日本が協力するというキナ臭い話は何としても避けてほしいと思う。
ここは大阪市内の大きな橋のたもとその狭い通路には、いつも数台の自転車が乗り捨ててある、朝の出勤を急ぐのか事もあろうに道路に貼り付けた駐輪禁止の表示の真上に自転車を止めている。それも鍵をかけているので動かせない。5m先には立て看板もある、都合5台ぐらいが連なって止めている。いったいどういう神経だろう。人々は残りの狭い幅を自転車を手押しで交互によけながら行き来している。その後ろの横断歩道を渡ったところには交番があっていつも警察官が立ち番をしているというのに。
ベランダのプランターに植え付けたキウリ、お陰さまですくすくと育ってもう黄色い花を付けている。WAKIは日向ぼっこをしながら、自在車輪のついた腰かけに座り込んでこれらを眺めながら無言の対話をする、すると実に心が休まる。ベランダにはこのほかミニトマトもナスも順調に育っている。
普段は見るともなしに見ているTVだがきのうばかりは終盤手に汗を握って阪神の応援をした。連休中の甲子園は阪神が1ゲーム差で迫ってる中日を迎えての9回戦、おとといは4対2で負けているだけにどうしても勝ちたい一戦だ。2対1の負けで迎えた9回裏2アウトになってから関本が四球で塁に出て満塁。そのあと新井がヒットを打って阪神がサヨナラ勝ちをした。きょうはいい話題が無かったのでTV画面から拝借したがTV画面改めて眺めてみるとすごい情報量が詰まっていて面白い。まずは現在のデータ(状況)、打った瞬間の観客の喜びの表情、解説者の期待、選手のデータ、新井の好打、バッテリーの表情、新井の喜びの表情、得点データ、とくとご覧いただきたい。
きのうはこどもの日でWAKIたちの門出の記念日でもあった。折角の日本晴れだからと生駒の府民の森に出かけた、子供の日でもあって大勢の家族連れでにぎわっていた。起伏のある散策道は少しきつかったがおよそ5,000歩あるいたら結構汗をかいた。森の風景はみどり一色、山頭火の句「分け入っても分け入っても青い山」を思い出した。すぐわきにあるⅠ&Iランドでノンアルコールの祝杯を挙げてここまで健康でこれたことを祝った。
守口の京阪百貨店での海洋堂展はそれなりにWAKIの子供心や遊び心をくすぐるものであった。ここの宮脇社長をはじめとする造形師たちはかつてのプラモデルの制作に没頭し、一切の妥協を許さず仕事を天職と思って数々の作品を創作してきた。展示会を見ての帰りWAKIは子供に帰り一回300円のガラポンをしてGETしたのがこの根付け、いまではストラップと言うが日本では江戸の粋人が着物姿に似合う形で愛用した、きのうは夕餉の食卓にアジの干物がのったがこのタイの干物の根付け、やっぱり海洋堂の仕事は一味違う。干物のほかにとうもろこしとコウモリも手に入れた。
このお地蔵さんは道頓堀を松竹座に沿って西へ行ったところ新戎橋のたもとにある。由来によれば元和元年1615年道頓堀川が生まれ,大坂が江戸幕府の直轄地となり町屋の建設がすすみ、やがて芝居小屋や見世物小屋が並び大阪庶民の憩いの場となり、そのころ地蔵さんもまつられるようになり多くの人が願掛けに訪れるようになりました。でも太平洋戦争ではこの辺りは空襲に遭い、地蔵さんの行方は分からなくなっていましたが、その後偶然発見されて再興されました。この日も若い修行中と思しき青年が拝んで願をかけていた姿が印象的であった。WAKIの心境は願い事は山ほどあるが日頃信心もしていないので今回は遠慮した。