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中学受験、合格して失敗する子、不合格でも成功する子 電子版

2002年に講談社から出した「中学受験、合格して失敗する子、不合格でも成功する子」を電子化しました。

形式はepubです。いろいろ研究したのですが、今のところはこれが最善策かなと思います。PDFでもやってみたのですが、老眼ではきつい。

11月12日まで無料ですので、ダウンロードしていただいて、お手持ちの電子リーダーで試していただけるとうれしいです。感想もお聞かせください。

なおダウンロードはこちらから。

よろしくお願いします。

田中 貴
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会話

 お父さん、お母さん、子どもたちと話をしていますか?

 お母さんは「はい」といわれる方が多いと思います。お父さんは自信がない方が多いかもしれませんね。ところが話しているというお母さんが、本当のところは、あまり話していないケースもあります。実はお母さんだけが話していて、子どもの話を聞いてあげていないことが多いのです。

 子どもたちは、性格にもよりますが、話好きであることの方が多いようです。学校のことや、友だちのことをいろいろと話してくれます。それが特に大事なことではないかもしれないと思っても、やはり子どもたちの話を聞いてあげて欲しいのです。お母さんは忙しいでしょうから、なかなかゆっくり子どもたちの話を聞いてあげられないのかもしれませんが、この聞くという動作が、教育的には非常に大事なのです。

 私は、若いころ、やはり子どもたちのいうことを、あまり聞いていませんでした。自分の言いたいことを言うだけです。教えたいことがたくさんあったので、とにかく教えるという感じでした。しかし、教える側に求められるのは、ただ知識や勉強を教えることではないとだんだんわかってきました。生徒が、勉強しようという動機づけをしてあげなければならないし、また自信も培っていかなければなりません。そのためには、子どもの話を聞くということが大事だということに気がつきました。

 子どもたちの話を聞いてみると、なるほど、こう考えていたのかとか、こう感じていたのかという発見があります。これは、自分が考えていたこととずいぶん違うことがあるものです。でも、そこで腹を立てても、どうしようもありません。その原因を作ったのは、自分でもあるわけですから。そういう意味でも、相互の意思疎通をしっかりしたものにしておかなければならないのです。

「最近、家であまり勉強してないんだって?」

「どうして、知ってるの?」

「お母さんがチクった」

「そうか、うん、してないわけじゃ、ないんだけどね」

「でも、あんまりしてない」

「してないかな」

「どうして?」

「別に理由はないんだけど」

「勉強はおもしろくない」

「それは、おもしろくないに決まってるじゃない。ゲームやったり、遊んでた方が楽しいよ」

「それは、そうだけど。でも問題できると面白いでしょ?」

「あんまり。解けないからね。難しいんだよ。塾の勉強は」

「難しいか」

「そう、ああ、またできないなって。つい思っちゃうと、ね、ほら。ほかのこと、やっちゃうんだよね」

「マンガ読んだり」

「なんで知ってるの?それもお母さんがチクった?」

「いや、たいてい、そうだろうなと思うから。参考書の下にジャンプがあるんだろう?」

「うん」

「さて、どうしようか。受験はやりたいのかい?」

「本当はどうでもいい」

「行きたい学校ってあるの?」

「え、特にない。公立でもいいと僕は思うんだけど、お父さんもお母さんも私立がいいっていうんだよね」

「学校見学とか行ったの?」

「文化祭はいくつか、見たよ。でも、まあ、みんな似てるから」

「特に行きたいと思わなかったんだ」

「うん、まあね」

「そうすると、勉強したくないかあ。解けないし、目標ないし」

「ヤバイでしょ、それ」

「ヤバイ?」

「なんか、だめだよね。ダメッポイ」

「べつに、そうでもないけどね」

「だけど、だから呼んだんでしょ、ぼくのこと」

「まあね」



 若いころは、こういう話を聞いていると、もう、だんだん頭にきていました。だいたい、こういう話の聞き方ができていなかったのだと思います。それではいけない、とうとうと説教が始まっていました。そういうことでは、自分を鍛えられない云々、まあ、あのころの子どもたちはよく、そんな説教をおとなしく聞いていたなと思います。多分、怖かったのだろうと思います。余分なことを言えば、さらに烈火のごとく、怒られたでしょうから。

 話が戻りますが、実はこういう子どもは塾に多いのです。なぜ、進学塾に来るのか?新学期になって、新4年生に聞いてみると、圧倒的に

「ママが行けと言ったから」

が多くなります。新4年生が自分から受験したいといい出すのは、お兄ちゃんやお姉ちゃんが受験したから、自分もやりたいというくらいの動機しかないでしょう。だから、塾に入った後、まず面白く勉強するということが大事になります。そしてさらに学年があがるにつれて勉強も難しくなりますから、しっかり動機ができていないと、マンガやゲームをがまんして難しい勉強をするなんて、大変に決まっているからです。

 この大変に決まっているということを大変だと思わない親御さんもいらっしゃいます。特に自分ができた親御さんはそうですね。自分も受験勉強を必死にやった、そして合格した。だからうちの子どももできないわけはない等々、この考え方は大変危険です。

 それに、だいたい自分の記憶というのはあいまいで、親御さんの受験の記憶というのは大学受験であるケースが多く、そりゃ、小学生に比べれば、相当に動機もできあがっているでしょうから、

「よく勉強したんだ」

という認識になっているでしょう。

 余談になりますが、いい先生というのは、実は学生のころ、あまりよくできなかった人が多いのです。私もその資格が十分だと思いますが、できない子どもの気持ちがわかるということが大事なのです。私も中学を受験した口ですが、決してできのいい方ではありませんでした。入試はうまくいきましたが、入ったあとは、もうボロボロ。ですから、できないということがもたらす無力感というのはわかります。教えているうちに、この子はわかってないだろうな、おもしろくないだろうなという気がだんだんしてくるものです。



「さて、じゃあ、どうするかな。ちょっとずつでも勉強やってみない?」

「うん、でも難しいでしょ?」

「最初から難しいのをやっても仕方ないじゃない。まずできることから始めようよ」

「どうするの?」

「僕が君に宿題を出す」

「うん」

「それを次までやってきて、それを僕が答え合わせする」

「それで?」

「わからなければ、そこで教える。ていうのはどうだい?」

「多くだしちゃ、やだよ」

「でも、少しじゃ力はつかないし。でも無理な量は出さないから、大丈夫だよ」

「またまた、ホント?」

「まあ、とにかくやってみる」

「そうだね、わかった」

 動機がつくまでに、こういうことが何回も繰り返されます。でも不思議なもので、子どもはやはり同じところにはいません。一歩でも二歩でも、進むものなのです。ただそういうコミュニケーションを怠っていると、うまくいかないことは多々あります。

 1クラスの生徒が多かったころは、そんなコミュニケーションなんてとる時間もありませんでした。もう集団でワーッと教えて、そのムードに引っ張り込むのが精一杯。ひとりひとりのこととなると、なかなか手が回らなかったものです。しかし最近は塾も多くなり、1クラスの生徒の数も減りましたから、いろいろな話ができるようになりました。

 そうやってじっくり話をしてみると、いろいろと子どもたちが感じてくることが出てきます。ただ、そこで絶対に怒らないことが大切です。怒れば、二度と子どもたちは話さなくなります。話さなくなれば、情報が出てきませんから、こちらがどう指導していいか、どう関わってあげたらいいか、わからなくなります。

 お父さん、お母さん、ぜひ子どもたちの話を聞いてあげてください。自分の考えを言う前に、全部話させてください。その上で、ひと呼吸おいてから、(そう深呼吸してもいいかもしれませんね。)話してあげるといいでしょう。自分の話を聞いてくれない人の話は、だれも聞きたくないのです。
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