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明日へ


「どうして落ちたと思う?」

「算数ができなかった。勘違いしちゃったんだ。時間が足りなくなっちゃって」

「ほかの教科はどうだったの?」

「算数ができなかったから、それで、気になって、よくわからなかった」

「そうか。でも、残念だけど、落ちちゃったのは、仕方ない。落ちたのはもう過去のことだ。反省して、明日のことを考えよう」

「うん」(涙がポツリ、ポツリと手に落ちている)

「明日は、どこだっけ?」

「学習院」

「じゃ、学習院のことを考えよう。昨日は、算数ができなかった。勘違いしたって言ったね」

「うん」

「問題は良く読んだの?」

「読んだつもりだったけど、読んでなかったのかもしれない」

「条件に線はつけたのかい?」

「やったよ、あ、でも数えなかった」

「そうか。じゃ、明日はそれをまず、きちんとやろう。計算は検算できたかい?」

「うん、計算は間違えてなかった」

「じゃ、ほんとに勘違いだったんだから、そうならないように、落ち着いてやるんだ、学習院もいい学校だ。入れれば、なかなかすごい。でも君の力なら、入れるはずだ。今日のことは、とても悔しいことだ。だけど、負けることだってある。そうずっと勝ち続けるわけにはいかないんだ。だから明日は負けないようにしよう」

「先生、大丈夫だよ。ぼく、明日がんばるからさ」

「そうだ、その意気で行こう。がんばるんだぞ」



塾の仕事を始めたころ、不合格だった子どもたちと話をするのは、なかなかつらいことでした。涙が止まらず、下を向く子どもたち。さて、どうやって励ませばいいのか。言葉を捜したものです。しかし、そのうちに、私はあることに気づいたのです。もしかしたら、この子たちは今の瞬間、ものすごく成長しているのではないだろうか?合格するのは当然うれしいことです。でも力及ばず、自分の行きたい学校に行けなかった、その事実を受け止めて、それに耐え、明日もう一度がんばろう、という気持ちになるというのは、すごく成長しているのではないだろうかと。

そして事実、入試の間の5日間に、子どもたちはそれこそ1年分くらいの精神的な成長をしていたのです。入試ですから、勝ちもあれば、負けもあります。でも、それは長い人生の中では大したことではない。それよりも、そういう成長をして、よし、明日がんばろうという気持ちをもてるようになったら、この先、また多少しんどい思いをすることがあったとしても、それもまた、「よし、がんばろう」と考えてくれるのではないかと思ったのです。

塾の教員とすれば、当然、合格させるのが仕事です。しかし、教えていた子ども全員の夢を叶えられたことは一度もありません。かなった子もいるし、そうでない子もいる。でも、かなわなかった子によって、この2年なりの努力が何もならなかった、では私の仕事としてはあまりにもつまらない。そうではなくて、この子たちが自分の可能性を信じて、また明日、という気持ちがもてるように、そしてその上でぜひ夢をかなえられるようにしてあげよう、それが私の塾生活の根本だったように思います。

合格して失敗する子も、でも、また成功するのです。失敗を恐れることなく、自分の可能性を信じて、明日、またがんばろうと思えるように、お父さん、お母さん、ぜひ子どもたちを応援してあげてください。子どもたちにはたくさんの可能性があるのですから。
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