気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

「雁の群れ」と「雁ヶ腹摺山」

2021年04月21日 15時41分53秒 | 思い出の日記


↑雪が降った後の雁ヶ腹摺山です。

標高は1,874mです。





↑散歩道からの雁ヶ腹摺山です。

一番奥の山がそうです。






朝起きて雨戸を開け、まず見るのが遠くに見える雁ヶ腹摺山である。

天気が良ければあの堂々とした立派な山体が見える。

山頂に朝日が当たったばかりの時が一番きれいだと思う。



幼いころ、今は亡き父が話してくれた。

「あの山は雁が腹を摺るほど高いので、『雁ヶ腹摺山』という名前になったのだ」と。

空を飛ぶ「雁の群れ」は子どもの頃一度だけ見た記憶がある。

「へ」の字の形になって高い空を飛んでいった。


父はよく雁ヶ腹摺山の話をした。

あのころは雁が腹摺山へ登るには今のような車の入る林道もなくてとても簡単には登れなかったと思う。

父とは登れなかったが、結婚してから家族と何度か登った。

私の好きな山である。



先日高台に登り、ふと空を見上げたら上空を「雁の群れ」が飛んでいた。

子どもの時見たままである。

とても懐かしくて感動した。

「へ」の字の形になり、東に向かって飛んでいった。

カラスやスズメの飛ぶ高さではない。

ずっと高い。


今はあまり見ることは出来ないが、昔はきっとたくさんの「雁の群れ」が空を飛んでいったのではないかと思う。


幼いころの父の話を思い出し、なぜか幸せな気分になった。



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「グンナイ」で思い出すこと(回想)

2021年04月19日 10時57分32秒 | 思い出の日記
2016年6月25日に書いたブログです。









グンナイフウロ







グンナイフウロ



↑の写真はブログでお知り合いのブラットジィさんからお借りしたグンナイフウロの写真です。

別山登山で撮影されたようです。


ブラットジィさんのブログは綺麗なお写真がたくさん載っています。







↑は主婦の友社発行  「高山の植物」からのタカネグンナイフウロの写真です。




グンナイフウロWikipedia





グンナイフウロの花の名前は知っていたのですが、名前の由来は最近知りました。

グンナイというのは山梨県の郡内(ぐんない)地方で見つかったフウロなのでその名前が付いたようです。



私の住んでいるのは今は郡内とは言いませんが、昔は郡内と呼んでいたようです。


南都留郡、北都留郡です。

私の住んでいる地域は北都留郡になります。


逆に甲府の方を国中と呼んでいたようです。



グンナイフウロの名前の由来を知って、なぜかうれしくなりました。








もう一つ郡内での思い出があります。


私がまだ19~20歳で甲府の短大に通っていた時のことです。

もう40年以上も前になります。



当時短大のお友達を家に二人だったと思いますが、遊びに連れて来た時のことです。

お友達はどちらも県外の方でした。

甲府でそれぞれ一人暮らしをしていました。


甲府から一緒に電車に乗って家に来る時のことでした。

当時は列車で、座る席は向かい合った座席でした。



私たちの前にたぶん50代半ばくらいのおじさんが乗っていました。

そのおじさんが私たちにどこに行くのか話しかけたのだと思います。

ちょっと小太りな優しそうな男性でした。



今の時代は電車内で話しかけることはあまりないと思いますが、当時はそれほどおかしくありませんでした。

私が大月に住んでいて、友達を家に遊びに連れていくと言ったのだと思います。




おじさん曰く、


「私が子供の頃、何か悪いことをすると、親に郡内にやっちまうぞと言われて、よく泣いたものだ」と、別に悪気もない感じで言いました。



私は内心びっくりしましたねぇ。



その当時、私たちは今住んでいる地域を普段郡内とは言っていませんでしたが、もっと昔の言い方では郡内と呼び、郡内に大月も入っていたようです。



私は思いました。


いったい郡内ってどんな怖いところだよ。

そんなに田舎で鬼でも住んでいるところなのかよ。


全く失礼ではないか。



昔、郡内に対して甲府の近くを国中と呼んでいたようです。


国中で育ったそのおじさんは、きっと国中がよほど良いところだと教えられていたのでしょうね。



聞いた時、それほど腹は立ちませんでしたが、びっくりしたことは忘れられません。



おじさんに言いたいですが、私は甲府は好きですし、甲府の学校に通いましたが、ほとんどの人は東京方面にへ行っていましたよ。


実は私の住んでいるところは東京に行く方が近いのです。



よほどおじさんの住んでいた国中地方の人は、郡内は田舎で化け物でも出るところだと教わって育ったんでしょね。




もう40年以上前の話ですが・・・


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