2007年4月20日
市川三郷町の、歌舞伎文化公園内に咲く牡丹の花を見に行きました。
地図

公園に咲く牡丹です。

遠景

こんな感じで咲いていました。
まだ開き始めたのは一部です。

牡丹①
とても華やかです。

牡丹②

牡丹③
白い牡丹です。

牡丹④
赤っぽい色の牡丹です。

蕾です。

牡丹⑤
色の混じっためずらしい牡丹です。

牡丹⑥
赤い色の牡丹です。

牡丹⑦
薄いピンク色の牡丹です。

公園内にあった市川海老蔵さんの碑

市川三郷町の、歌舞伎文化公園内に咲く牡丹の花を見に行きました。
地図

公園に咲く牡丹です。

遠景

こんな感じで咲いていました。
まだ開き始めたのは一部です。

牡丹①
とても華やかです。

牡丹②

牡丹③
白い牡丹です。

牡丹④
赤っぽい色の牡丹です。

蕾です。

牡丹⑤
色の混じっためずらしい牡丹です。

牡丹⑥
赤い色の牡丹です。

牡丹⑦
薄いピンク色の牡丹です。

公園内にあった市川海老蔵さんの碑
2007年4月26日
上野原市坪山(1102m)のヒカゲツツジとイワウチワを見に行ってきました。

坪山のヒカゲツツジは最近有名になって、登山者が増えているようです。
来る途中で、地元の方に「ヒカゲツツジは今咲いていますか?」とたずねると、「もう咲き終わったよと」言われ、ガッカリしました。
それでも少しは咲いているかも知れないと、一縷の望みをかけて、登ることにしました。
ここが駐車場です。
停めている車はそれ程多くはないので、余裕で登り始めようとしたら、登山バスが2台も来て、満員の登山者を降ろして行きました。
これにはとても驚きました!

坪山西ルートを登ります。
なお、少し手前にはトイレもありました。
トイレが無いと女性は特に困ります。

山際にヤマブキが綺麗に咲いていました。

畑に咲いていた花。
花桃だと思います。

この橋を渡ります。

こんな感じの登山道です。

登っていくと途中にイワウチワが咲いていました。

コイワカガミに似たかわいい花です。
私はイワウチワを初めて見ました。

上野原町の説明板

登るにつれ、諦めていたヒカゲツツジが少し咲いていました。
ヒカゲツツジも初めて見たので、とても感動しました!

薄い黄色のツツジで、家に帰ってから調べたら石楠花の仲間だそうです。
道理で葉っぱが石楠花に似ています。

一部このような急な道もありました。
登山者は東京方面の人たちが多いと思います。

やっと山頂に着きました。
2時間くらいで登れました。

下山は来た時とは違う東ルートを降ります。
すると、山頂を少し下ったあたりに、ヒカゲツツジがまだたくさん咲いていました。
こっちの方が、咲くのがきっと遅かったんだと思います。
ラッキーでした。

下山者は少ないし、ヒカゲツツジも咲いていて、本当に良かったです。


登山道はこんな感じです。

登山道は、芽吹いたばかりの新芽が綺麗です。

下に下りてきました。
ピンクと白の花桃が綺麗に咲いていました。

二輪草が咲いていました。

かなり広範囲に咲いていて、とても綺麗でした。

上野原市坪山(1102m)のヒカゲツツジとイワウチワを見に行ってきました。

坪山のヒカゲツツジは最近有名になって、登山者が増えているようです。
来る途中で、地元の方に「ヒカゲツツジは今咲いていますか?」とたずねると、「もう咲き終わったよと」言われ、ガッカリしました。
それでも少しは咲いているかも知れないと、一縷の望みをかけて、登ることにしました。
ここが駐車場です。
停めている車はそれ程多くはないので、余裕で登り始めようとしたら、登山バスが2台も来て、満員の登山者を降ろして行きました。
これにはとても驚きました!

坪山西ルートを登ります。
なお、少し手前にはトイレもありました。
トイレが無いと女性は特に困ります。

山際にヤマブキが綺麗に咲いていました。

畑に咲いていた花。
花桃だと思います。

この橋を渡ります。

こんな感じの登山道です。

登っていくと途中にイワウチワが咲いていました。

コイワカガミに似たかわいい花です。
私はイワウチワを初めて見ました。

上野原町の説明板

登るにつれ、諦めていたヒカゲツツジが少し咲いていました。
ヒカゲツツジも初めて見たので、とても感動しました!

薄い黄色のツツジで、家に帰ってから調べたら石楠花の仲間だそうです。
道理で葉っぱが石楠花に似ています。

一部このような急な道もありました。
登山者は東京方面の人たちが多いと思います。

やっと山頂に着きました。
2時間くらいで登れました。

下山は来た時とは違う東ルートを降ります。
すると、山頂を少し下ったあたりに、ヒカゲツツジがまだたくさん咲いていました。
こっちの方が、咲くのがきっと遅かったんだと思います。
ラッキーでした。

下山者は少ないし、ヒカゲツツジも咲いていて、本当に良かったです。


登山道はこんな感じです。

登山道は、芽吹いたばかりの新芽が綺麗です。

下に下りてきました。
ピンクと白の花桃が綺麗に咲いていました。

二輪草が咲いていました。

かなり広範囲に咲いていて、とても綺麗でした。

はしごの上で曲芸をしていました。①

はしごのり②
望遠で撮っているのですが、かなりの高さです。

はしごのり③
すごいスリルがありますが、実際に見たのは初めてです。

さらに上に上がります。

上の写真の階段の側の八重桜です。
とても綺麗に咲いていました。

修験僧たちが登ってきました。

続いて、高尾山の偉いお坊さん達が登ってきました。

ご本堂の様子です。

お稚児さん達が並んでいて、カメラマンらしき方が写真を撮っていたので、後ろから一緒に撮らせてもらいました。
実は、、、この写真は良く撮れたほうなんです。
小さい子供達の写真を撮るのは、難しいですね!
なぜかと言うと、、、

① こんなだったりするんです。
あくびをしたり、
ピースをしたり、
下を向いてしまったり、、、

② 撮っている時は気づきませんでしたが、実にさまざまなしぐさをしています。

③全員前を向いてくれるのは難しいですね!
思わず笑ってしまいました。


高尾山の象徴、天狗のお面。
やっとここで昼食になりました。
やれやれ・・・

やっと孫もお稚児の衣装をぬいで、落ち着きました。
境内に咲いていた石楠花です。

自由時間になったので、猿園と野草園を見て帰ります。

親子の猿のようです。

のみとりをしているのかな~?

野草園に咲いていた白いサクラソウです。

バイカイカリソウ

バイカイカリソウの説明です。

水芭蕉も咲いていました。

イチリンソウです。
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これで高尾山春季大祭お稚児行列は終わります。
稚児行列に参加出来て、いい経験になりましたが、正直とても疲れました!

最後まで見ていただき、ありがとう御座いました。
2009年4月19日(日)
高尾山薬王院の春季大祭のお稚児行列に娘の子供が参加すると言うので、夫と二人で見に行ってきました。
地図

高尾山入り口です。
人のいないときを狙って撮りましたが、すごい人でした。
最近ミシュランで人気が出たそうで、高尾山はいつでも人がたくさん来ているようです。

入り口近くに咲いていた花。
花桃だと思いますが、とても綺麗でした。

ケーブルカーの駅です。
お祭りの参加者や、一般の人やらたくさんの人で賑わっていました。
孫は3歳になったばかりの女の子で、やっとお稚児の衣装を着せてもらいました。
頭に冠を着けていても、ぐらぐらして落ちてしまいそうです。

ここは集合場所で、ケーブルカーを降りて少し歩いたところです。
ギュウギュウ詰めのケーブルカーをやっと乗ってきました。
お祭りに参加するのも大変です。
この一団はブラスバンドのようです。

色々な人たちが集まっています。
ここを午前11時の出発だそうです。

頭から布をかむっているのは中学生くらいの娘さんたちです。

武士のような姿の人たちや、修験者のような姿の人たちもいます。

花かごのようです。

こんな感じでぞろぞろと進んでいきました。

男坂と女坂の分かれ道です。
男坂は急な階段なので、一向は女坂を進みます。

参道脇に咲いていたシャガの花。

やっと仏舎利塔に着きました。

ひとまずやれやれです。
疲れました。

お稚児がお釈迦様に甘茶をかけています。

建物の中に祭られていた仏像

境内に石楠花が咲いていました。

名前は分らないけれど、すごくいい色をしています。

シャガも参道脇にたくさん咲いていて、とても綺麗です。

「飯縄大権現」とありました。

また出発しました。
四天王門です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次は高尾山春季大祭 お稚児行列 ②に続きます。

高尾山薬王院の春季大祭のお稚児行列に娘の子供が参加すると言うので、夫と二人で見に行ってきました。
地図

高尾山入り口です。
人のいないときを狙って撮りましたが、すごい人でした。
最近ミシュランで人気が出たそうで、高尾山はいつでも人がたくさん来ているようです。

入り口近くに咲いていた花。
花桃だと思いますが、とても綺麗でした。

ケーブルカーの駅です。
お祭りの参加者や、一般の人やらたくさんの人で賑わっていました。
孫は3歳になったばかりの女の子で、やっとお稚児の衣装を着せてもらいました。
頭に冠を着けていても、ぐらぐらして落ちてしまいそうです。

ここは集合場所で、ケーブルカーを降りて少し歩いたところです。
ギュウギュウ詰めのケーブルカーをやっと乗ってきました。
お祭りに参加するのも大変です。

この一団はブラスバンドのようです。

色々な人たちが集まっています。
ここを午前11時の出発だそうです。

頭から布をかむっているのは中学生くらいの娘さんたちです。

武士のような姿の人たちや、修験者のような姿の人たちもいます。

花かごのようです。

こんな感じでぞろぞろと進んでいきました。

男坂と女坂の分かれ道です。
男坂は急な階段なので、一向は女坂を進みます。

参道脇に咲いていたシャガの花。

やっと仏舎利塔に着きました。

ひとまずやれやれです。
疲れました。

お稚児がお釈迦様に甘茶をかけています。

建物の中に祭られていた仏像

境内に石楠花が咲いていました。

名前は分らないけれど、すごくいい色をしています。

シャガも参道脇にたくさん咲いていて、とても綺麗です。

「飯縄大権現」とありました。

また出発しました。
四天王門です。
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次は高尾山春季大祭 お稚児行列 ②に続きます。
2007年4月10日
新府城跡と周辺に咲く桃の花を見に行きました。
地図

ここが鳥居になっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
武田勝頼によって天正9年(1581)に築かれた新府城は、在城わずか3ヶ月で織田軍の攻めに屈し、自らが火を放って落ち延びたという悲運の城である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

長い階段になっています。

新府城跡地にはまだ桜が咲いていました。

新府城想定復元図です。

新府城跡説明板
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国指定史跡 新府城跡
新府城は、天正十年三月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と本丸の標高差80メートル。
形式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2,5メートルの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西90メートル南北120メートル、本丸の西に蔀(しとみ)の構えを隔てて二の丸があり馬だしに続く。
本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。
堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な2ヶ所の出構えが築かれている。
三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。
本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。
搦手(からめて)にも望楼がある。
蔀(しとみ)の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

武田勝頼公霊社
※先日、岩殿山の桜を見て来たばかりなので、武田勝頼が岩殿城を目指してきたのに、岩殿城主小山田信茂が主君を裏切らなければならなかったという状況は、大月市に住むものとしてとても複雑な心境になりました。

新府城跡の桜です。

武田氏の系図です。
天正十年三月(1582)、信玄の第四子武田勝頼、信勝の父子は天目山に滝川一益と戦い、父子自殺し武田の歴史が終わる。

新府城から下に見える桃畑です。
まるでピンクの絨毯のようです。

下に下りて桃畑の側に来ました。

桃の花が綺麗です。

桃と菜の花①

桃と菜の花②

新府城跡と周辺に咲く桃の花を見に行きました。
地図

ここが鳥居になっています。
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武田勝頼によって天正9年(1581)に築かれた新府城は、在城わずか3ヶ月で織田軍の攻めに屈し、自らが火を放って落ち延びたという悲運の城である。
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長い階段になっています。

新府城跡地にはまだ桜が咲いていました。

新府城想定復元図です。

新府城跡説明板
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国指定史跡 新府城跡
新府城は、天正十年三月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と本丸の標高差80メートル。
形式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2,5メートルの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西90メートル南北120メートル、本丸の西に蔀(しとみ)の構えを隔てて二の丸があり馬だしに続く。
本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。
堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な2ヶ所の出構えが築かれている。
三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。
本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。
搦手(からめて)にも望楼がある。
蔀(しとみ)の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。
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武田勝頼公霊社
※先日、岩殿山の桜を見て来たばかりなので、武田勝頼が岩殿城を目指してきたのに、岩殿城主小山田信茂が主君を裏切らなければならなかったという状況は、大月市に住むものとしてとても複雑な心境になりました。

新府城跡の桜です。

武田氏の系図です。
天正十年三月(1582)、信玄の第四子武田勝頼、信勝の父子は天目山に滝川一益と戦い、父子自殺し武田の歴史が終わる。

新府城から下に見える桃畑です。
まるでピンクの絨毯のようです。

下に下りて桃畑の側に来ました。

桃の花が綺麗です。

桃と菜の花①

桃と菜の花②

2007年4月10日

山梨県北杜市小淵沢町松向の神田の大糸桜を見に行って来ました。
地図
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神田の大糸桜
樹齢およそ400年、幹の周囲約6m、根回り約8m
県の天然記念物に指定させている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

説明板

大糸桜と甲斐駒ケ岳(2967m)
晴れていたので甲斐駒ケ岳がよく見えました。

田んぼの中の1本の桜はとても見事です!
この日は良く見えませんでしたが、甲斐駒と反対方向には八ヶ岳も見えるそうです。

幹の上の方です。

色々な角度から撮ってみました。
私はこの大糸桜が好きです。


空が青いので甲斐駒が良く見えます。

たくさんの花見の人たちが来ていました。
畑にはチューリップが植えてありました。

甲斐駒と大糸桜、とてもよく似合いますね!

最後に甲斐駒ヶ岳です。
私の好きな山です!


そろそろ山頂に近づいて来ました。
揚城戸跡です。

番所跡です。

右に行くと、岩殿城跡と山頂になります。

左に行って見ました。
ここからもとてもいい眺めになっています。

山頂に行く途中に馬屋跡がありました。

やっと山頂に着きました。

岩殿城の説明がありました。
すごい岩山の上に、戦国時代小山田氏のお城があったのだな~と感心しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
清和源氏の血を引き、数百年の歴史を誇った武田氏が、織田・徳川連合軍によって滅ぼされたのは1582(天正十)年3月。
勝頼主従は大和の田野で最後を遂げた。
岩殿城を目指した勝頼一行を阻んだのが城主小山田信茂だった。
「大月市史」はこう書いている。
「岩殿篭城に勝算がなく、主君勝頼の安全を保証する見込みもなくなった今、とる手段はただ一つ、郡内の混乱を未然に防いで自滅から逃れることであった」
「戦国の領主として、彼は家と領土を守り抜く義務があった」
勝頼の死後13日目、信茂と一族は甲府・善光寺で織田信勝によって殺される。
※山梨百名山より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今では考えられないような、恐ろしい時代だったんだと思いました。

岩殿城跡の案内図です。
山頂まで登ったのは何年ぶりかな~!

山頂から見える大月の町です。

山頂から左側に見える景色です。
中央高速道路が見えます。
流れている川は桂川です。
左の山の上に見える家並みは桂台です。

矢印方面に用水池があるようです。
時間が遅いので行くのはやめます。

岩殿・円通寺跡に行く矢印がありました。

倉屋敷跡

登山道にあった咲き出しそうな花の蕾です。
名前は分りません。

やっと烽火台に着きました。
ここが岩殿山で一番高い所です。
ちょうど5時のチャイムが鳴りました。
早く下まで降りないと・・・
何となく不安になってきました。


本丸跡
岩殿山の一番高い所に本丸があったようです。
烽火台跡のすぐ側にありました。

帰りかけたら、途中にカタクリが咲いていました。

以外な発見でした。

桜をアップで撮りました。
きれいです!

やっとふれあいの館まで降りて来ました。
ちょうど夕日が沈むところでした。

帰り道、夕日を浴びた桜の向こうに、富士山をうっすらと見ることが出来ました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
これで「岩殿山の桜」は終わります。
最後まで見ていただいてありがとう御座いました。
2009年4月9日(木)
岩殿山(634m)の桜を見に行ってきました。
岩殿山地図

近くに無料駐車場があり、ここから登ります。
時間は午後の4時ごろです。
用事があったので、遅くなってしまいました。

桜です。

岩殿山の説明書きです。
"岩殿山は9世紀の末、天台宗の岩殿山円通寺として開創されたと伝えられる。
10世紀のはじめには三重塔、観音堂、僧坊その他の建物がならび岩殿は門前町を形成した。
13世紀に入ると、円通寺は天台系聖護院末の修験道のセンターとして栄え、その支配は郡内一円はもちろんのこと甲斐国中の山梨、八代の東部一帯、駿河国は富士郡付近まで及んだ。
16世紀に至り戦国大名領国制が成立する中で、武田、小山田両氏の支配を受け岩殿山は、岩殿城として、武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされた。
そして、1582年(天正10)武田、小山田の両氏が滅亡すると徳川氏により利用されたが、同氏の支配体制の確立された17世紀のはじめには廃城となった。
その後円通寺は、その塔頭である常楽、大坊の両院が法灯を伝えていたが、明治の初め神仏分離政策によりそのあとを絶たれた。
現在東麓には、三重塔跡、常楽院ならびに大坊跡その他が、また山頂付近には空堀、本城、亀ヶ池その他の遺構が残され、これらは日本修験道史上貴重な資料とされている。
1972年(昭和47)10月、山梨県は岩殿山を「歴史景観保全地区」として指定した。
平成7年には、山梨県の文化財に指定された。"

中腹に丸山公園があります。
丸山公園は昔から、桜の名所になっています。

ふれあいの館入り口です。

ふれあいの館と桜

桜と大月の町。
天気がスッキリとしていれば、正面に富士山が見えるのですが、残念ながら今日は見えません。
私が来た時間が遅かったからかも知れません。

この写真は2007年4月5日に撮った桜と富士山です。
こんなに綺麗に富士山が見えるんですよ!

今からこの階段を登って、山頂まで行ってみようと思います。

岩殿山の大岸壁と桜です。

岸壁を200ミリの望遠で撮ってみました。
すごい迫力です!

ふれあいの館と桜

満開の桜です。

桜の間に見えるのは、中央高速道路です。

桜の花をアップで撮りました。
綺麗ですね~!

道端に咲いていたスミレです。
こうして見るとかわいいですね!

こんな感じの登山道です。
登山道は良く整備されています。
山頂から何人か降りてきましたが、今から登るのは私だけのようです。
ちょっと心細くなって来ました。
でも頑張って登ってみます!

ヤマツツジが咲き始めていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
次は岩殿山の桜②に続きます。

岩殿山(634m)の桜を見に行ってきました。
岩殿山地図

近くに無料駐車場があり、ここから登ります。
時間は午後の4時ごろです。
用事があったので、遅くなってしまいました。

桜です。

岩殿山の説明書きです。
"岩殿山は9世紀の末、天台宗の岩殿山円通寺として開創されたと伝えられる。
10世紀のはじめには三重塔、観音堂、僧坊その他の建物がならび岩殿は門前町を形成した。
13世紀に入ると、円通寺は天台系聖護院末の修験道のセンターとして栄え、その支配は郡内一円はもちろんのこと甲斐国中の山梨、八代の東部一帯、駿河国は富士郡付近まで及んだ。
16世紀に至り戦国大名領国制が成立する中で、武田、小山田両氏の支配を受け岩殿山は、岩殿城として、武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされた。
そして、1582年(天正10)武田、小山田の両氏が滅亡すると徳川氏により利用されたが、同氏の支配体制の確立された17世紀のはじめには廃城となった。
その後円通寺は、その塔頭である常楽、大坊の両院が法灯を伝えていたが、明治の初め神仏分離政策によりそのあとを絶たれた。
現在東麓には、三重塔跡、常楽院ならびに大坊跡その他が、また山頂付近には空堀、本城、亀ヶ池その他の遺構が残され、これらは日本修験道史上貴重な資料とされている。
1972年(昭和47)10月、山梨県は岩殿山を「歴史景観保全地区」として指定した。
平成7年には、山梨県の文化財に指定された。"

中腹に丸山公園があります。
丸山公園は昔から、桜の名所になっています。

ふれあいの館入り口です。

ふれあいの館と桜

桜と大月の町。
天気がスッキリとしていれば、正面に富士山が見えるのですが、残念ながら今日は見えません。
私が来た時間が遅かったからかも知れません。

この写真は2007年4月5日に撮った桜と富士山です。
こんなに綺麗に富士山が見えるんですよ!


今からこの階段を登って、山頂まで行ってみようと思います。

岩殿山の大岸壁と桜です。

岸壁を200ミリの望遠で撮ってみました。
すごい迫力です!

ふれあいの館と桜

満開の桜です。

桜の間に見えるのは、中央高速道路です。

桜の花をアップで撮りました。
綺麗ですね~!

道端に咲いていたスミレです。
こうして見るとかわいいですね!

こんな感じの登山道です。
登山道は良く整備されています。
山頂から何人か降りてきましたが、今から登るのは私だけのようです。
ちょっと心細くなって来ました。

でも頑張って登ってみます!


ヤマツツジが咲き始めていました。
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次は岩殿山の桜②に続きます。

2009年4月3日(金)

相模湖公園の桜を見に行ってきました。
地図

この日はまだ5~6分咲きの桜が多かったです。

桜と、芽生えたばかりの黄緑色の柳です。
何ともいえないほどいい色をしています。

公園に咲いていた桜の古木です。

公園には鳩がいました。
鳩の歩いている姿って、かわいいですね!

鳩②
後ろ姿です。

鳩③
鳩にも色々な種類がいるんだと、初めて知りました。

公園に咲いていた花です。

色々な色のパンジーが咲いていました。

中国の気孔だと思いますが、何人もの人たちで集まってしていました。
今日は天気も良くて暖かいので、気孔をするのにはちょうどいいと思います。

公園内の桜です。

こんなに古い枝にも桜の花が咲いています。

園内の桜。
まだよちよち歩きの子供も遊んでいました。
高校生のような若い人たちも、何かお話中です。
とてものどかな感じです。

満開に近い桜をアップで・・・

相模湖です。

出入り口のところに咲いていた、白っぽい桜。

2006年4月9日

三春滝桜、根尾谷薄墨桜とともに日本三大桜のひとつ、国指定の天然記念物である、
山梨県北杜市武川町の山高神代桜を見に行ってきました。
地図
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日蓮宗の古刹、実相寺境内に立つ、樹高9.1m、幹周り約10.7mのエドヒガンの巨木。
幹の太さが日本でいちばん太い桜として国指定天然記念物に指定された。
樹齢は2000年余りで、日本最古とも推定される。
日本武尊(やまとたける)東征の折の手植えとも、また「妙法桜」と呼ばれ、
日蓮聖人が衰えた樹勢の回復を祈ったとも伝えられる。
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着いたのは朝7時ごろでしたが、たくさんのアマチュアカメラマンが来ていました。
ちょうど満開の桜でした。

樹齢2000年余りも生きている桜、、、すごいなぁ~と思いました。
そして、こんなに素晴らしい桜を見ることが出来て、とても感動しました!


桜をアップで撮りました。

三春滝桜の子桜もありました。

桜の後ろに甲斐駒ヶ岳が見えます。

まだ蕾の桜もあります。

境内には水仙がたくさん咲いていて、とても綺麗でした。

桜と水仙

境内には、ハクモクレンも咲いていました。

このしだれ桜も見事です!

桜の後ろには、雪をかぶった南アルプスが見えました。

この山は鳳凰三山でしょうか?
ちょっと分りません。

左にこぶのある山は甲斐駒ヶ岳(2967m)で、大好きな山です。
もう10年くらい前に、念願だった甲斐駒に登る事が出来ました。
こぶは摩利支天といい、この時摩利支天まで登らなかったのが、今でも悔やまれます。

この桜は実相寺から少し離れたところの桜です。
なかなか立派な桜の木だと思いませんか?
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※しばらく多忙の為、コメント欄は閉じさせていただきます。