
今年最後のお茶会に伺ってきました。
濃茶席の床のお軸は「透関」。
ご亭主は、とても博学でいらっしゃる大学の先生ですので、
わかりやすく説明してくださいました。
「禅宗において,修行の障害となるものをつきぬけること」ということ。
最後にこの言葉に出会うとは、
一年を反省させられ、また気持ちを新たにして、
新しい年を迎えなくてはと、思い知らされました。
ちなみに「玄関」という言葉にも触れてくださいました。
やはり元の意味は禅宗の「玄い道に入る関門」という意味とか。
玄関は修行の始まりなのですね。
なんだかこれからは毎日、通る玄関を、
違う気持ちで通過してしまいそうです。
年の瀬のせわしさを、
忘れさせていただく時間をと出かけましたが、
出会った言葉で、自分をまた、
厳しくも振り返る時間にもなりました。
終わりのないお茶に携わる喜びも、
改めて感じる時間にもなりました。
薄茶席のお軸は「無事」でしたので、
「今年も一年無事に終わってよかったわねえ」
とのんきにしていたら、
「透関」でガツンと頭を打たれたというところでしょうか・・
がしかし、今回も図らずもお正客に。
お決まりだった方が、お膝が痛くて正座がおできなならないと、
堅く固辞されたからです。
正客はいい思いもさせていただけるのですが、
先輩を差し置いて務めるのはやはり身の縮む思いです。
帰り道の話題の中心は、
またもやお正客譲りの戦いに負けたことに関してでした。
上手にお正客をお断りすることは本当に難しいです。
いつも押し切られる私です。
これもまだまだ修行が足りないと。
今日から暮れの28日まで、
一気に走って、今年が終わります。
突き抜けることはできませんが、
暗い中をとにかく前に進みますね。
