ガイド日誌 - 北海道美瑛町「ガイドの山小屋」

北海道美瑛町美馬牛から、美瑛の四季、自転車、北国の生活
私自身の長距離自転車旅
冬は山岳ガイドの現場をお伝えします。

DAY1 北海道/ 美瑛町から芦別へ 『日本列島縦断 自転車の旅 2018』

2018年11月02日 | 自転車の旅 国内
出発日は、お天気が大切だ。
雪を降らせた寒気は昨日までに、いったん遠ざかったらしい。
週間予報には晴れマークが並び、しばらくは気温も例年並みという。

今しかない。

今を逃せば、僕が住んでいる北海道北部は長い冬に突入するだろう。
次の寒気は居座るに違いない。
例年そういう傾向がある。

先月末には荷造りを終えてキャリアには荷物を搭載して、いつでも走り出せるようにしておいた自転車を、自宅前に引っ張り出した。
あとは、ヘルメットを着用して走り出すだけだ。

夏の間にはいつも賑わっていた僕のオフィスは営業を終了して、きょうも閑散としている。

枯葉が容赦なく舞い、シャッターは閉じられたまま。

来年の雪解けまで、もうお客さんは1人も来ない。
まもなく長い冬が来て、看板さえも雪に埋もれるのだ。

十勝連峰や大雪山など、
高い山々はすっかり雪化粧している。

平地に冬将軍がやって来るのも時間の問題だろう。

今年の冬も強権を振るうであろう冬将軍から逃れるように、僕は南を目指して走り出す。

まず富良野まで走り、空知川、石狩川に沿って日本海を目指すのだ。

先月末にピークを迎えた落葉松の紅葉は、まだまだ衰えない。

景色は黄金色だ。

空知川は渓谷をゆっくり下ってゆく。
突然現れる清里ダム。

少し違和感を感じる、巨大なコンクリートの壁だ。

やがて、芦別の町が近づいてくる。

炭鉱が廃れて危機感を募らせたこの町は、その当時少々迷走した。
時代を映すバブルの遺産も、いまは廃墟となって、なおも山あいの町にそびえ立つ。

これがあるから「芦別」だ。

これがなければただの斜陽の町に過ぎず、人びとの記憶には残らないだろう。
むしろ、自虐ネタとして定着した感じもある。

定着したといえば、

芦別名物『ガタタン』

要するに「中華あんかけソバ」だけど、
横浜中華街や神戸南京町でもバーミヤンでもなく、

なぜ?芦別に?

というところが、実にいいではないか。

戦後の日本の復興を支えた石炭は、満州や戦地から引き揚げてきた人たちに支えられた。
炭鉱で栄えた町は繁栄して、多くの飲食店も建ち並んだ。

飲食店もまた、多くは満州や樺太から引き揚げてきた方達によって営まれ、炭鉱の男たちの胃袋を満たしたのだ。

ガタタンは、満州からやって来たという。
熱くねっとりとした中華餡は、中国東北部の厳しい冬に愛されただろう。

厳しい冬にも冷めにくい食べ物。
腹持ちがいい。
食べやすく、安くてうまい。

こうしてガタタンは、芦別に根付いたという。

寒気は緩んだとはいえ、きょうも寒かった。
太腿も顔面も寒さで固まってしまったチャリダーを、胃袋の内側からじっくり温めてくれた、ガタタン。
ふうふう熱熱の中華餡が、ドロリと太めの麺に絡みつく。

フー!フー!

しみじみ、美味かった。

本日の走行距離、55km。