は行の日記

ははは、ふふふ、ほっほっほと笑って暮らせたら人生幸せです!

私の頭の中と私の机の上

2016-01-04 19:31:44 | ゆびぬき

今日からお仕事の方が多いかと思いますが

kiki家は明日人間ドック受診の為、一日だけ行ってもなぁと

今日もお休みに

こんなに自由な職場はそうない・・・・とわかっているのに辞めると言うkikiって(笑)

日帰りドックのオプションで、今年は脳ドックを予約したとダンナが(相談なくいつも勝手に予約する)

「俺は簡易脳ドックだけど、お母さんはしっかりと脳ドックを受けろ」と言う

簡易脳ドックと充実脳ドック充実ってすごい言葉ね)の違いがどこにあるのかは知らないが・・・

と、今説明書を読んで調べてみたら

簡易ドックが、MRI,MRA撮影、問診に対して

充実ドックは、上記+知的機能検査と頸動脈超音波検査があるらしい・・・・・

んん?知的機能検査(聞き取り)って書いてあるけど

これって、認知症の検査よねぇ

お仕事で同行させてもらったお年寄りが受けているやつだぞよ

ありり・・・・・・今日は何年何月ですか?から始まる?

いつも一緒に受けながら、あれ?今日って?何日だったけ?と不安になるkiki

しっかり予習をして行こう(笑)

MRI検査で小さな腫瘍や梗塞、脳動脈瘤や血管の異常を発見できますと、説明書には書いてあります

知的機能検査では、認知症のきわめて軽い初期症状の有無を見ますと

やだなぁ、もしかして、検査員の方や精神科医の先生も知っている人だったらどうしよう

え~っと、明日は2016年(平成28年)1月5日火曜日

100-7=93 93-7=86

野菜は・・・・・・

みなさん、検査の前に予習をしてはいけません

いつもの自分で受けましょうね~(爆)

ダンナがなぜkikiの頭の心配をするのかというと、 ↑ こんな作業台の上と同様

いつも頭の中がごちゃごちゃしていて、とんでもない勘違いを多々するかららしい

「結構悲しい結果が出ると思うよ」とせせら笑うダンナ(怒)

え~え~、受けてやろうじゃありませんか

そして、至って寄る年波の脳だと診断してもらおうじゃありませんか

元気で正常な脳ではなく、年相応に目標を持って行ってるあたりが・・・・・・

kikiも実は少し心配しているのです

結果は、明日のブログで書かなかったら

ダンナの予想通りに悲しいことになったんだなぁと、遠くから同情してくださいませ

さてさて、今日の日記は脳ドックの話しではなく

狐火のゆびぬきの日記です

赤系、黄色系、もう一つくすんだピンク系とそれに対比するゆびぬきを作りたいと思っています

糸と柄の組み合わせが、kikiの脳の中で考えているような色にならないのが悩みです

昨日買って来た本3冊です

明日の人間ドックの暇つぶしには、梨木香歩さんのエッセイ集「不思議な羅針盤」を持って行きましょう

梨木香歩さんの小説を好きで良く読みます

特に「家守奇譚」が大好きで、あの世界に、時々、自分も引き込まれたくなり

繰り返し何度も読んでいます

ゆびぬきの息抜きに、エッセイ集の目次の中から少し興味のある項目を選び出し、読んでみました

2   たおやかで、へこたれない

3   近づき過ぎず、取込まれない

7   近づき過ぎず、遠ざからない

20 やわらかく、いとけなきもの

27 変えていく、変わっていく

      うん、やっぱり面白い 

 

 


あと3年

2016-01-04 12:36:26 | ヘルパーステーション ひなた

昨年のブログ”は行の日記”を読んでみた

昨年は具合が悪かったんだなと

それに比べると、今年の年末年始は調子がいい(その前の旅行中が良くなかったけど)

忙しく動いているのは毎度のことなんだけれど

自分で好きで始めて、自分で選んで忙しくしているのに

時に、その忙しさが自分を苦しめる

一昨年はそんな年だったのかも

引き算の1年に・・・・ ← ポチっとどうぞ

今まで足してばかりだったから、今年は引き算の1年にしよう

そんなふうに考えていると書いてある

その通りに、昨年は、安曇野スタイルと三味線を諦めた

どちらもまたいつか再開したいと思っている

そうして突っ走って来た昨年

母が亡くなって、もう介護の仕事には就けないだろうと燃え尽きていたのが2011年の冬

その年の春にお話をいただき、研修に行き(その時に、東京一人旅の楽しさに目覚めた)

2011年の秋から昨年の秋まで2期4年、北アルプス広域の相談員のお仕事をさせていただいた

その間にお年寄りと接する中で少しずつ

燃え尽きてしまったと思っていた、介護の仕事への未練の火  が燻りだしたようだ

それからしばらくして、アルバイトにデイサービスの夜勤の仕事をしだした

少人数のお年寄りとじっくり向き合える時間が持て、やっぱりこの仕事が好きなんだと再確認した

その時に、今の仕事(地域包括支援センターで認知症地域支援推進員)のお話が舞い込んだ

デイサービスの社長から、送別会の席で「kikiさんにとって天職だと・・・・」というお言葉をいただき送り出してもらった

2013年の暮れから地域包括での仕事が始まり

現在やっと2年たったところ

自分的には60才までと(勝手に)決めていたのですが

今年の3月で辞めさせていただくことにしました

研修にも行かせていただき、2年で辞めてしまうのは本当に申し訳ないと思うのですが

どうしても介護の現場の仕事へ復帰したくなってしまって・・・・

周りを見渡すとみんな、年と共に身体介護が大変になって違う仕事に変えたり

ケアマネ資格を取って現場から離れる人が多い中

なんで今頃、現場復帰なの?と聞かれます

広域の仕事も包括の仕事も、地域の施設やお年寄りの家庭に訪問する、やりがいのあるお仕事でした

でも、どちらも実際にお年寄りに手出しはできない仕事でした

そこにどうしても行き詰ってしまって・・・・・・・・現場に戻りたいという思いが強くなって行った

そんな風にして、3月で包括を辞めて、その後はどこぞのヘルパステーションで働かせてもらおうと

今の職場へ申し出たのが、昨年の春になるころだったかなぁ

介護の現場はどこも人手不足なので、働き口には困らないだろうとわかっていたし

これからは、自分のやりたいように仕事をするんだと

介護保険が始まったころは訪問ヘルパーの仕事をしていて、そのうちにサービス提供責任者になり

現場へ行くことより、机の上で仕事をすることが多くなって・・・・・ナニカチガウゾと感じていた

母の認知症が重くなってきてステーションを辞めたのだが

少し自分の生活に自由が効くようになったら、最後の仕事は訪問ヘルパーだと決めていた

訪問の仕事をしていた時に、悔いが残るようなお別れの仕方をしてしまったお年寄りが何人かいる

在宅に私がこだわるのはここらあたりが関係している

看取りがしたいのだ

自分がもう少し年をとって、もう一度この仕事に就いた時には、ああもしたい、こうもしたいとその頃思ったことを

これから実現しようと思った

そんな話を昨年の春になるころに、同じ介護の仕事をしている息子に話した

返って来た言葉が「俺さ、実は在宅の仕事がしたくて(その頃は施設勤務)

どこかで修行して、いずれは自分でヘルパーステーションを開業したい」

だった   ぇっえ~!なんですと~!!

私は現場のヘルパーをしたかったのです

もうナントカ責任者とか、ナントカ管理者とかはしたくなかったのです

「母ちゃん、しばらく力を貸して」と息子に言われた

現在息子は訪問ヘルパーとして、在宅の現場の仕事をしている

ヘルパーステーションの開設を今年の夏を目途に準備しています

母は1年間は息子の手助けをし

次の1年間は見守りをして

その次の年から自分のしたいことを実現させようと・・・・腹を括りました

包括のセンター長や保健師さん達と話をする中で

「kikiさんは、これからは地域の中から包括を支援して」

とお言葉をかけてもらい、円満退社が決まっています

7日間の鈍行列車貧乏旅の中で、何度か出てきた ↓ 後三年

ごさんねん駅なんですが、kiki的には「あと3年」と読む

後、三年頑張ろうと思っている自分にぴったりだと

その時のブログ ちゃわん屋 ← ポチっとどうぞ → 旅6日目 岩手~秋田~山形

自分の好きなことをしているだろう年には、kikiは還暦です

あと3年、頑張らせてもらおうじゃありませんか! 

 

追記 ただ今、ヘルパーステーションとなる空き家(格安)を探しています

    ミシンでも着物でも「欲しい!」と騒いでいるうちに誰かが声をかけてくれる

    これに味をしめて「どこかに空き家おまへんか?」と村中の人に声をかけています(笑)