廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

廃農家

2020-11-12 09:39:00 | 廃墟B


 昭和が残る農家の廃屋がありました。

 良い景色です、この場所だけ時間が止まっています。




 農機具が放置されています。




 ビニールハウスが放置され、用具が突っ込んであります。




 役目を終えたトラクターがあります、古い形式の様です。




 軽トラックとトラックが放置されています。お疲れ様でした。
 けっトラの方は、マニアが喜びそうですね。




 大きなハウスがあるので、中を観てみます。




 もう一台トラクターが突っ込んであります。




 耕運機などもあります。
 割としっかり農業を営んでいたのですね。




 メーカーは、農業機械のシバウラです、現在は、株式会社IHIアグリテックとなっている様です。
 エンジンはいすゞ製だそうで、年式は、1970年前後の様です。
 今から(2015年)45年位前です。となるとこのお屋敷は、人がいなくなってから相当な年月が経っていそうです。




 作業場ですね
 出荷準備をしていた部屋でしょう。
 どんな作物を作っていたのですかね?







 白いのは、前日降った雪です。
 寒い地方なので、残雪があります。




 あの建物は、倉庫でしょうか?




 何かの機械があります。




 色々な物があります、農機具小屋、物置ですね。
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陸軍少年戦車兵学校7附属施設(若桜神社)

2019-06-08 19:00:00 | 廃墟B
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 元々当神社は、前記の防空壕のあった墓地の場所に在りました。
 戦車学校時代に校庭だった場所です。
 現在墓地は、東開拓記念公園墓地となっています。
 そして戦後、戦没者を軍神と崇める為、当地に移転した様です。

 鳥居は、新しい様で、昭和四十三年十二月建立と表記してあります。




 若桜神社




 石柱に若桜神社と彫ってあります。




 立派な忠魂碑が建立されています。




 添え記




 社です。
 獅子が左右にいます。

 ちょっと鄙びた感じがしますね、そろそろ草が伸びて来ていて、かえって威厳に見えます。

 夕方だからでしょうか、ちょっと薄気味悪いんですよねここ💧(笑)こう言うこと言っちゃあだめなんでしょうが、周りに兵隊さんが沢山整列してるんだもん(笑)💧

 余計なこと言ってないで、まじめに調査しましょう^^




 金網で囲まれています。
 ちょっと物々しいですね、こう言う神社は悪戯があるのでしょうか?







 慰霊の碑があります。







 陸軍軍人の墓が並んでいます。
 大きいものはみな階級が彫ってあります。




 戦車兵の皆さんでしょうか、整列しています。




 当日は、夕方になってしまい、曇っていたので、景色が今一ですが、晴天の日は景色が良く、静かな場所で、英霊達が安眠できる所です。
 当場所は分かり辛く、住宅地の裏にひっそりとありました。
 若獅子神社から結構離れている(県道414号朝霧富士宮線の上井出交差点の近く)ので、徒歩でなく、車両で行った方が良いと思いますが、進入路がかなり狭いので、軽かバイクがお勧めです。
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陸軍少年戦車兵学校跡6

2019-06-07 03:16:00 | 廃墟B
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 組合の正面門から西へ進んだ交差点の角に長方形のコンクリートの固まりがあります。
 相当古い物の様なので、将校集会所の何かの基礎だったのでしょうか




 交差点を横断して、施設図に記載されていた”島忠橋”(?)の辺りに来ました。




 反対側です。




 橋の上からは木々が邪魔して観られないので、川に下りようとしたが、垂直のコンクリで下りられず、遠くから藪漕ぎして来て、何とか縁から観られました。💧(笑)

 ”礼儀橋”の方から下って来た川が、正面の道路の壁にぶつかり、地下側溝(右方)へ入り、西側の潤井川へ抜けている様です。

 川は、美しく、手積みの石垣が残り、当時の面影を残しています。

 構内図を観ると、当時は、川が普通に道路の下を通り、反対側へ流れていた様で、川の痕跡が水無し川として続いている。

 現在は、橋の下は画像の様にコンクリートで塞がれている。




 木々が伸びていて分かり辛いですが、橋の上から川の上流方向を観たところです。




 反対側の当時川だった跡から橋を観てみると、やはり土手で塞がれていた。

 水が氾濫するので側の大きな潤井川へ放出する様にしたのだろうか。

 結果は、改築されており、昔の面影は河原だけで、橋は、かろうじて、左右のガードレールが名残りを感じさせているだけです。
 あ、また拘っちゃいました、古い土木構造も好きなので。(笑)




 建物の基礎の様なコンクリートが放置されている。




 組合の西側門に来ました、当時の門が残っています。

 正面の建物が学校時代の物と似ているので、改築して使用しているのかもしれません。

 液肥看板の後ろに門柱が隠れています。




 礎石が頑固ですね、重圧です。




 左側の門柱です。

 正面門のノーマルなデザインの物より、こちらの石を削ってあるデザインの方が立派ですね、礎石のデザインも総じてかっこいいんですよね、大きくて丈夫そうです。
 門の広さもあり、恐らくこちらがメインゲートで、ノーマルデザインの方は、サイドゲートなのかもしれません。




 直ぐ上に橋がある(上記の島忠橋の上流)ので、観察してみます。




 これは中々古そうですねえ。
 欄干を観ると相当歴史がありそうです、当時の物でしょう。




 反対側です。
 中々の美しさです。たまりませんなあ(笑)




 橋の下を確認してみます。ワクワクします。(笑)

 あー、整備してある様で、当時の面影はありません。

 橋を幾つか見て来て、ちょっと臭い場所とそうでない場所がありました。(笑)




 更に直ぐ上にもう一つ橋があります、組合の裏口です。

 正面に当時の雰囲気のある建物が見えます、東側の給乳所の方です。




 新しいですね、これは判断が難しいですが、川は渡らないとならないので、当時もここに橋はあったのではと思います。

 この上流の林内に燃料油脂庫があった下辺りに”賓上橋”?と言う橋が在った様で、探したのですが、どうも道が切れており、民家の敷地になってしまったらしく、橋の痕跡は確認出来ない。

 何しろ敷地が広大なので、かなりウォーキングします、以前調査した陸軍戸山学校跡と溜めハリに楽しいです。(笑)




 ふと、木々の間から見え隠れする小屋が、
 当時の用具倉庫だろうとのことだった。
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陸軍少年戦車兵学校跡4

2019-06-02 13:06:00 | 廃墟B
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 忠節橋から下へ下って行きます。



 土に埋もれている防火水槽跡を発見しました!
 割と大きいです。
 前出の防火水槽と同じ作りの様です。




 側溝跡まであります!たまりませんなあ(笑)




 先には、当時”武勇橋”と呼ばれた橋が残っています。
 意味は読んで字の如くでしょう。




 この橋の欄干は、相当の年月を経過していますね、当時の物でしょう!




 歴史があります、素敵です。




 反対側です。
 よく残してくれました。と言うかよく70年以上も残っていますね!




 近所の奥さんがこんな場所も教えてくれました。
 廃道になった場所に古い手摺りが残っていますが、錆びていて長い年月を経ている様です。
 これも当時の物でしょうか!?




 更に下り”信儀橋”があった場所です。
 意味合いは「真心を持って約束を守り、相手に対する務めを果たすこと、偽ったり欺いたりせず、真実で正しい道を守ること」だそうです。

 この場所は、交通量が多く危ないので、横から撮りました。
 この辺りは道路建設で、整備されたのでしょう、当時の面影はありません。




 上井出小学校の正門です。

 かなり太い石で切られている立派な門柱です。

 第一中隊や理化学講堂があった辺りです。




 蔓を羽織って威厳があります。
 立派な表札が上げてあります。

 戦車学校当時の門柱でしょうか?




 正門の向かいに集落へ入る道がありますが、そこに当時”礼儀橋”と呼ばれた橋が残っています。
 普通に通ると、ただの道にしか見えませんが




 横から見てみると、中々良い雰囲気で、当時の面影を感じます。

 橋の先に生徒集会所や酒保、紙屑整理所等があった様です。
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三ツ谷防空砲台跡2 Last File

2017-11-14 23:21:00 | 廃墟B
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 市の山防空砲台のあった場所から北側約百メートルの場所に三ツ谷防空砲台があったとのことですが、先程会った男性達から、公民館の方に崩れている大きな縦穴があったと聴いたので、一途の望みを賭けて、向かってみました。

 うぅぅ、ひ、広過ぎる、探すにしても完全に私有地だぁぁ、ここまで来てバラシかぁ💦

 辺りを見回しました、すると遠くに農作業をしている数人の方の姿を確認、チャンスはこれしかない、道を通らせて頂く挨拶がてら、穴のことを聴いてみよう。

 若奥さんに尋ねてみるとおばあさんに聞いてくれました。
 おばあさん(80代)「あぁ、そう言えば穴あったなあ、崩れちゃってるけど、今もまだあるかなぁ、最近行ってないけど、当時海軍工廠を守る大砲だって聞いたよ。」

 ハトパン「シャー!(੭ु`・ω・´)੭ु⁾⁾」

 若旦那さん「こんなとこにそんなのあったんだ~!知らなかったなぁ」

 おばあさん「穴の側の辺りまで案内してあげるよ、急な崖になってるから、危ないよ、ここら辺から下りれそうだね、ここから行ったって分かる様に筍を何本か置いて置こう。(目印なんて勿体ない、私が欲しいずら~^^;)」

 若奥さん「崖から下りるんじゃ服が泥だらけになっちゃいますよ、もっと行きやすい場所ありますよ、山の反対側から行くんですが、そっちからだと行きやすいですよ。」

 ハトパン「そうなんですか、どうしようかな~、あもうここまで来たから、転落してきますよ(笑)厳しい方が冒険してるって感じで楽しいんで~(笑)」

 奥さん「ああ!それもそうですよねー、分かります。(笑)馴れてるみたいだから大丈夫ですよね(笑)」

 私達は、夢中で崖を滑り落ちて行き、貞Mを進みました。

 この時期、小さな白い蛾?が沢山窒ノ着いていて、触れると白い粉を撒き散らしながら飛ぶのですが、作業着が白くなり、粉が鼻や目に入り、ムズムズカサカサします。




 砲台陣地跡

 砲台前の広場、窒ナ分かり辛いですが、壁が左右八の字に広がっている。

 今は、苧ムになっていますが、当時は、松とかの林で、工事をする際に伐採して丸坊主にしてから建設したとのこと。




 前進すると三ツ谷防空砲台跡(三島市三ツ谷新田)がありました。




 砲身が出る場所。




 内側から外を見たところ。

 コンクリート製を期待していましたが、土造りです、山を掘削して作ってあります。

 山は木の根がガッチリ這い回っているので、掘るのは大変だったと思います。




 中央から空を見てみる、窒ナイマイチ見えません。




 壁からの、上方、窒ェ生えてしまっていてやっぱり観ずらいずら



 
 こちらは、中の斜面を這い上がって観たところ。

 結構大型の砲だったのではないでしょうか?

 底にもコンクリートの砲座がない、未完成物件の可能性があるずら

 23センチカノン砲(高角砲)二門配置する予定だったとのこと。




 砲台入口の壁の上に上がり、中を見て観ました。




 壁の脇に人一人が通れる道があり、その道を上がると壁の上(縁を歩ける)に出、上から中が確認出来ました。

 更に裏側に林道を発見し、しばらく歩いてみたのですが、ずっと続いていて、時間の関係で引き返したのですが、ただの山作業用の道の様です。

 上方にある”子供の森公園”に歩兵陣地があった様なので、後で公園の方も確認しに行きます。




 珍しい種類の側溝があります、歴史がありそうですね。





・歩兵陣地は、
 北側の“子供の森公園”駐車場付近に地下壕があったそうですが、現在は埋め立てられて消失している。
 周辺には、陣地を守る為の“たこ壺”と呼ばれた一人用の壕が幾つか残っていた様で、たこ壺に配置されている兵は、危険を真っ先にキャッチしなければならないので、一番危険とのこと。
 現場確認に行って見たが、森で、茂みが深く確認出来なかった。

 ちなみに、子供の森公園は、人っ子一人いなく、遊具のある小さな公園がありましたが、看板は廃れていて、何だか寂しく、水道トイレの水は止まっていて、池にも水はなく泥と枯れ葉が溜まっていて、ゾクゾクしました。ふと奥の隅に目をやった時、新しい花束が添えてあるのを見つけた瞬間、何で!?と、即行でその場から逃げ帰りました。💦


・市の山監視哨(市の山新田)
 三ツ谷砲台から西側に約三百メートルの山の上方に観測所陣地(米軍の本土侵攻監視哨と砲弾着の観測等)があった。壕は掘られていた様で、集落の全住民も避難が出来る様にした穴だった様です。
 現在は消失している様です。

 他にも陸軍独立混成第百十七旅団、通称駿河支隊等が沼津市清水町三島市周辺に防空砲台や監視哨等を建設し、守っていた様です。


*”地下壕に銃火器を若干入れたが、砲兵を配置する前に終戦となった。”とのことと、先述の男性(70代)の気憶では”壕に遊びで出入りしていた時は、大砲は無なかった。“と証言していること等から、砲と砲兵を配置するのみとなっていたが、終戦になり、未完成に終わった模様。

 山田集落に住む男性(農家、86)から聴取「箱根は、高いから展望が良く、B29等が飛んで来るのが判るので、軍事施設が色々あった、谷田のJAのある辺りは、今は住宅地になっているけど、昔はまだ色々残っていて、よく遊んだよ、あと"子供の森公園"の方にも穴があったな、塹壕?ここも埋もれちゃったけどね、開発整備とか、三島は山が土質で緩いから、穴はみんな潰れちゃった。民家の防空壕もあったよ。雪が降ってる日にB29が山田の上の方に誤って焼夷弾を落とした事があったんだよ。錦田の遺伝学研究所がある場所は、元軍需施設だから、建物の名残があるかもしれない。」




 側に物々しい感じの立ち入り何とかと言う廃道があったので、行ける所まで探検してみます。(笑)

 とても美しい廃道です。




 素晴らしい廃橋がありました!

 紫陽花を咲かせて、お洒落しています。




 反対側からですが、うっとりします。




 とても歴史がありそうです。




 コンクリートの橋の欄干の表面は苔が生え、数十年の時が経っていることを教えています。



 これはたまりませんなあ(笑)




 こんな渓谷は、久し振りに観ました、たぶんヤマメとかアマゴの生育地でしょうね。

 それでは、ガッツリお読み頂き、ありがとうございました!次の機会にまたお会い致しましょう!
2017/05/17
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