廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

三ツ谷防空砲台跡2 Last File

2017-11-14 23:21:00 | 廃墟B
Continuation>>
 市の山防空砲台のあった場所から北側約百メートルの場所に三ツ谷防空砲台があったとのことですが、先程会った男性達から、公民館の方に崩れている大きな縦穴があったと聴いたので、一途の望みを賭けて、向かってみました。

 うぅぅ、ひ、広過ぎる、探すにしても完全に私有地だぁぁ、ここまで来てバラシかぁ💦

 辺りを見回しました、すると遠くに農作業をしている数人の方の姿を確認、チャンスはこれしかない、道を通らせて頂く挨拶がてら、穴のことを聴いてみよう。

 若奥さんに尋ねてみるとおばあさんに聞いてくれました。
 おばあさん(80代)「あぁ、そう言えば穴あったなあ、崩れちゃってるけど、今もまだあるかなぁ、最近行ってないけど、当時海軍工廠を守る大砲だって聞いたよ。」

 ハトパン「シャー!(੭ु`・ω・´)੭ु⁾⁾」

 若旦那さん「こんなとこにそんなのあったんだ~!知らなかったなぁ」

 おばあさん「穴の側の辺りまで案内してあげるよ、急な崖になってるから、危ないよ、ここら辺から下りれそうだね、ここから行ったって分かる様に筍を何本か置いて置こう。(目印なんて勿体ない、私が欲しいずら~^^;)」

 若奥さん「崖から下りるんじゃ服が泥だらけになっちゃいますよ、もっと行きやすい場所ありますよ、山の反対側から行くんですが、そっちからだと行きやすいですよ。」

 ハトパン「そうなんですか、どうしようかな~、あもうここまで来たから、転落してきますよ(笑)厳しい方が冒険してるって感じで楽しいんで~(笑)」

 奥さん「ああ!それもそうですよねー、分かります。(笑)馴れてるみたいだから大丈夫ですよね(笑)」

 私達は、夢中で崖を滑り落ちて行き、貞Mを進みました。

 この時期、小さな白い蛾?が沢山窒ノ着いていて、触れると白い粉を撒き散らしながら飛ぶのですが、作業着が白くなり、粉が鼻や目に入り、ムズムズカサカサします。




 砲台陣地跡

 砲台前の広場、窒ナ分かり辛いですが、壁が左右八の字に広がっている。

 今は、苧ムになっていますが、当時は、松とかの林で、工事をする際に伐採して丸坊主にしてから建設したとのこと。




 前進すると三ツ谷防空砲台跡(三島市三ツ谷新田)がありました。




 砲身が出る場所。




 内側から外を見たところ。

 コンクリート製を期待していましたが、土造りです、山を掘削して作ってあります。

 山は木の根がガッチリ這い回っているので、掘るのは大変だったと思います。




 中央から空を見てみる、窒ナイマイチ見えません。




 壁からの、上方、窒ェ生えてしまっていてやっぱり観ずらいずら



 
 こちらは、中の斜面を這い上がって観たところ。

 結構大型の砲だったのではないでしょうか?

 底にもコンクリートの砲座がない、未完成物件の可能性があるずら

 23センチカノン砲(高角砲)二門配置する予定だったとのこと。




 砲台入口の壁の上に上がり、中を見て観ました。




 壁の脇に人一人が通れる道があり、その道を上がると壁の上(縁を歩ける)に出、上から中が確認出来ました。

 更に裏側に林道を発見し、しばらく歩いてみたのですが、ずっと続いていて、時間の関係で引き返したのですが、ただの山作業用の道の様です。

 上方にある”子供の森公園”に歩兵陣地があった様なので、後で公園の方も確認しに行きます。




 珍しい種類の側溝があります、歴史がありそうですね。





・歩兵陣地は、
 北側の“子供の森公園”駐車場付近に地下壕があったそうですが、現在は埋め立てられて消失している。
 周辺には、陣地を守る為の“たこ壺”と呼ばれた一人用の壕が幾つか残っていた様で、たこ壺に配置されている兵は、危険を真っ先にキャッチしなければならないので、一番危険とのこと。
 現場確認に行って見たが、森で、茂みが深く確認出来なかった。

 ちなみに、子供の森公園は、人っ子一人いなく、遊具のある小さな公園がありましたが、看板は廃れていて、何だか寂しく、水道トイレの水は止まっていて、池にも水はなく泥と枯れ葉が溜まっていて、ゾクゾクしました。ふと奥の隅に目をやった時、新しい花束が添えてあるのを見つけた瞬間、何で!?と、即行でその場から逃げ帰りました。💦


・市の山監視哨(市の山新田)
 三ツ谷砲台から西側に約三百メートルの山の上方に観測所陣地(米軍の本土侵攻監視哨と砲弾着の観測等)があった。壕は掘られていた様で、集落の全住民も避難が出来る様にした穴だった様です。
 現在は消失している様です。

 他にも陸軍独立混成第百十七旅団、通称駿河支隊等が沼津市清水町三島市周辺に防空砲台や監視哨等を建設し、守っていた様です。


*”地下壕に銃火器を若干入れたが、砲兵を配置する前に終戦となった。”とのことと、先述の男性(70代)の気憶では”壕に遊びで出入りしていた時は、大砲は無なかった。“と証言していること等から、砲と砲兵を配置するのみとなっていたが、終戦になり、未完成に終わった模様。

 山田集落に住む男性(農家、86)から聴取「箱根は、高いから展望が良く、B29等が飛んで来るのが判るので、軍事施設が色々あった、谷田のJAのある辺りは、今は住宅地になっているけど、昔はまだ色々残っていて、よく遊んだよ、あと"子供の森公園"の方にも穴があったな、塹壕?ここも埋もれちゃったけどね、開発整備とか、三島は山が土質で緩いから、穴はみんな潰れちゃった。民家の防空壕もあったよ。雪が降ってる日にB29が山田の上の方に誤って焼夷弾を落とした事があったんだよ。錦田の遺伝学研究所がある場所は、元軍需施設だから、建物の名残があるかもしれない。」




 側に物々しい感じの立ち入り何とかと言う廃道があったので、行ける所まで探検してみます。(笑)

 とても美しい廃道です。




 素晴らしい廃橋がありました!

 紫陽花を咲かせて、お洒落しています。




 反対側からですが、うっとりします。




 とても歴史がありそうです。




 コンクリートの橋の欄干の表面は苔が生え、数十年の時が経っていることを教えています。



 これはたまりませんなあ(笑)




 こんな渓谷は、久し振りに観ました、たぶんヤマメとかアマゴの生育地でしょうね。

 それでは、ガッツリお読み頂き、ありがとうございました!次の機会にまたお会い致しましょう!
2017/05/17
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三島市三ツ谷防空砲台跡

2017-11-12 23:32:00 | 廃墟B
 大戦末期、米軍の本土空襲が日々激しさを増していました、三島市には、中島飛行機谷田工場(現、遺伝学研究所)を始め、幾つかの軍需工場があった事や陸軍野戦重砲兵第二連隊第三連隊の軍事施設等もあり、B29の爆撃から施設を守る為、箱根山に防空砲台の建設が行われました。

 まだ遺構が残っているのかどうかは不明ですが、現地調査に行ってみます。

 現地に到着し、車をUターンさせていたところ、たまたま散歩で通りかかった男性(70代)に件の内容を尋ねてみたところ、運良く、建設に関わったお宅の様で「ああ!あっちこっちにあったぞ、そこに車止めて下りてこいっ」(笑)と言われ、話しを伺うことにしました。




 三ツ谷新田三ツ谷下
 聴取者宅裏手斜面、歩兵陣地(居住壕)出入り口があった辺り(落盤で消失)

 男性(70後半)談「うちの裏に砲台関係の地下壕があった(一帯が眺められるベランダに案内され聴かせて頂いた。)壕まで細い道が出来ていて、東海道(旧国道)から家の横を通って、裏の急な斜面を下りて行った下に穴の出入口があった。蛇行した長めの穴だった。(崖の上から下を見させてもらったが、確かに急な斜面で、深い藪で下が見えない。行っても良いか聴いたら、今は落盤で道も穴も無くなってる、藪に引っ鰍ゥって落ちたら危ないからダメだと言われ断念。)B29が来ると村人もその地下壕に避難した。岡崎(愛知県岡崎市)から来た服部軍曹率いる部隊が掘削した。(岡崎海軍航空隊だと思われる。)当時、油(石油)が足りなかったので、松の木から油を摂る事になり、松の木を沢山切っていた。部隊が撤退する時、服部さんが松の木で作った俎板を記念に置いて行った、厚さが五センチ位ある立派な俎板だった。ずっととっといてあったんだけど、使い道がなかったんで、処分してしまった、今思えばとっとけば良かった。穴は、数十年前に落盤が起きて(場所を指さしながら)畑に大穴が開いてしまったよ。(埋め戻されて畑になっている。)砲台の方の建設は、服部さんの部隊じゃなかったな。砲台跡は、坂公民館の方に縦穴だけ残っていた、崩れてたからまだあるかどうかだが。”大砲自体を見たかって?う~ん、私が穴とかに出入りしてた時は...無かった!無かったね。”沼津市の方の山は、岩質だから、崩れないからずっと残っているけど、三島の方は、土質なんで、崩れてしまうから、ここら辺の壕は殆ど残っていないね。B29が富士山目指して、駿河湾に侵入して来て、富士山の手前で、西を空襲するのと東を空襲するのと二手に分かれたんだ、沼津を空襲してから、東海道沿いに(旧国道)焼夷弾を落として、東京方面へ飛んで行くんだ、道に20センチぐらいの黒い塊がメラメラ燃えていたよ、焼夷弾の破片だよ。それと機銃綜ヒもされたよ、薬莢が道や藁葺屋根に刺さってて、子供ら、私なんかも拾って遊んだよ。B29は、一万メートル上空を飛んでたから、大砲を撃っても弾が届かないと思うよ、だから皆そんなもん撃つなと言ってたね。」




 この畑の下に地下壕が広がっていました。
 手前辺りが陥没し、大穴が開いてしまったとの事。

 そして、
 西側約440メートルの”墓地の近く”に"市の山防空砲台"があったとの事

 砲を設置する穴は掘ったとのこと。現在は消失。

 23センチカノン砲(高角砲)一門を準備


 そして、そこから北側へ約100メートルの場所にもう一つ砲台がありました。

 清曹オていた男性(70代)「市の山の上にもなんかあった様だね。(監視哨)あと坂公民館のとこの山ん中に大きい擂鉢状の穴があった、崩れてたから、まだあるかなあ。」




 そして、この後我々は、驚きのもんを発見するずら~
 Move On>>

旧陸軍戸山学校跡地4 Last File

2017-11-02 01:15:00 | 廃墟Z
Continuation>>


 正面玄関に立哨していた警備員氏(感染の染の上に映っていますが 笑)に撮影許可を得たので、一番上に持って来ましたが、通常はうるさいらしいのですが、ここが、NATIONAL INSTITUTE OF INFECTIOUS DISEASESです。

 ちょうどこの建物の裏側辺りで、BONESが出たんですね、この施設を作ってる最中に出たんですね。

 後で聞いたんですが、BONESが出た場所の直ぐ側に、標本図書室と言う建物が在ったとかで、かなり興味深い点だそうです、そのBONESが人体標本だったのではないかと。

 私「でもさあ、人体実験とか、真実だったとしても、これ政府絶対認めないわ。」
 崎山「人体実験をし、生物兵器や化学兵器を開発して、実戦で使用するとか、非人道的で、国際法を違反してたになっちゃうですからね。」
 私「マッカーサー、GHQに研究資料を全部手渡せば、戦争犯罪にしないって言われて、やってチャラになったって話しだね。」




 国立国際医療研究センターの石垣なのですが、何か違和感ありませんか?




 トンネルの入り口を塞いであるんです、地下壕跡なんです。

 各施設を連絡していて、相当な距離があったそうです。

 他の場所にも幾つか入口跡が残っているそうです。




 他に何か痕跡がないか確認してみたところ、錆びた鉄の輪が打ってありました。




 二輪ある物もあります。当時の物でしょうか、何でしょうね。

 ふと視線を感じると、職員の方が見てるんですよ💦(笑)




 戸山ヶ原射撃場跡

 ここまで結構歩くんですよ(笑)広大なんで、遠いんですよ。

 途中”チェリオ”売ってる自販機があって、緑色の液体のやつだけ売ってて、百円だったかな、崎山さんと買ってみたんですよ、で飲んでみたら、やっぱりね、微妙なんですよ(笑)メロン味と言うより、微炭酸でただ甘い水と言う感じで、で飲みながら歩いてたんですが、崎山さんが「て言うか、瓶が邪魔だな(笑)ャPットがおもてえ」

 私「あそこで飲んでしまえば良かったね、リュックに入れとけ(笑)」
 とかふざけながら歩きつつ到着しました。




 陸軍の土地と民間の土地の境界石がハマっています。




 陸軍境界石




 この場所は射撃場の南端で、弾が外へ出ない様に盛土してあった一部だそうです。

 射撃場は広大で、周りに住宅があるので、長大なトンネルを何本か作り、その中で射撃していたそうです。




 他に何かないか、公園の中に入って確認したところ、塀の様な物が残っていました。

 そろそろ、時間なので、この辺で撤収します。


*周りの戸山ハイツはひっそりとし、無人になった公務員住宅アパートがあったり、寂しい雰囲気でした。
 平日だったからでしょうか、人も少なかったですね、早稲田の学生がジョギングしていたり、チアガールが練習していました。
 お年寄りが多く見られました。いつの間にか新宿と言うことを忘れてしまうんです。

 普段公園なんか滅多に来ないのですが、こんなに楽しい公園は初めてでした。
 表面上はただの公園、憩いの場であり、裏には暗い歴史があると言う不思議な場所でした。

 731部隊の根拠地がここにあったなんて、
 信じるか信じないかは、何とかです!
2016/09/25
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