廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

清華寮FILE5

2013-05-23 19:01:00 | 廃墟Z
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 段々延焼が激しくなって来ている。
 
 家財道具等が焼け、壁は真っ黒だ。火災から三年経った今でも煤の臭いがし、埃が舞う、マスクは必須だ。

 ここから更に火の回りが激しくなって行く。







 真っ黒焦げのバイクのヘルメットが二つあるが、プラスティックの部分が高温でダラリと溶けている。







 外に気功養生塾と表記された廃車ワゴンが放置されていたが、そのお宅である。
 ここもかなりの被害だ。
 
 今は大画面テレビが安くなり、一般的になったが、15年ほど前はまだまだ高価で、持っているだけで、裕福な人、勝ち組的イメージ(笑)があった。







 このお宅は、家財道具等が満載だ。







 歩くだけで煤が付着し、舞うので、物の調査は断念。







 静寂の中に暗く重たい空気が流れている。







 部屋に少し入っただけで、早く出たいという気持になる。







 ここからの部屋が最も延焼が激しい。

 隅にベッドがある。







 壁が燃え尽き、隣の数部屋が繋がってしまっている。

 何もかも燃え尽きている。







 奥に二段ベッドがある。
 酷い。







 東京の財団法人進○奨学会が急に寮を訪れ、住人に“当方が所有者だ”と宣言“78年に学租財団の理事から寄付を受けた”と主張し、2003年12月、所有権の移転登録を求める裁判で勝訴、2006年1月に登記を済ませた。
 長年住み続けて来た住人達は、いきなり現れた奨学会に”証拠は偽造だ”と言い、争う姿勢を示し、沈黙していた財○省も動き出し、進○奨学会を調べ、活動実績がない事等から、疑義を感じ、訴訟を起こす態勢を執る。
 勿論、奨学会は所有者になれば、この一等地の高固定資産税等も納めなければならない。

 そして、奨学会の登記から一年半後の2007年7月19日早朝、住人の煙草の不始末に因り、出火、寮の70%が焼け、中国人の母と娘が死亡、他の住人も負傷した。それ以降住人達は家を失い、建物は廃墟化した。

 これもキナ臭いと誰もが思うだろう、起因者は“煙草のボヤに一度気づき、消化したつもりだったが、次に目が覚めたら手が着けられない状況だった”という様な事を言ったそうだが、どうも”最後は火を出して撤去”というシナリオが多い様な気がする。







 気分が凹んだ、一旦新鮮な空気を吸って気を取りなおそう。

  





 階段の手摺がないが、老朽化で外したのか?何れにしろ危険だな。







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清華寮FILE4

2013-05-16 00:26:00 | 廃墟Z
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 この部屋は、損傷が激しい。
 
 壁や天井、家財道具や雑誌類が燃えている。







 小さなキッチン、冷蔵庫やテーブルがある食堂

 ここも壁や天井が煤けている。







 その直ぐ隣にベッドや箪笥がある。

 周りは煤けているが、ベッドだけは無事だった様だ。 







 このお宅は、比較的被害が少ない様だ。

 家庭用品がそのまま残っている。







 キッチン
 
 火災が起きた当時のままだ。 







 このお宅は、煤で全体的に黒く、暗い。







 キッチン
 
 当時のまま 



















 硝子が抜け落ちた窓から、植物が今正に侵入して来ようとしている。













 現在三階







 男性「肝試しに来た連中は、向こう側の通路と向かい合わせになって、右下に見えているブロックを発射台にして、ロケット花火を撃ち合っていました。(笑)まぁお化け屋敷ですからね(笑)」







 「しかし街のど真ん中にあるのに静かだなぁ。」







 DELLのパソコン関係の箱が幾つもあるが、営業でもしていたのか、それとも不法投棄か?

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清華寮FILE3

2013-05-12 16:44:00 | 廃墟Z
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 この部屋は暗くてかなり不気味だ。

 H「暗い部屋だなぁw、流し台があって、テーブルの上には水槽が置いてある。何を飼っていたんだろう?....ぎぁっ!水槽の向こう側に蛇がいる!うわーー気持ちわりーー!」

 K「離れろ!あっぶねーーっ!まじあぶねえーー。...でも動かないみたいだから、死んでんだろ?もう行こう」 

 写真に写っているが、蛇の死骸かロープだったのかも知れないが、蛇にそっくりだ。







 奥の部屋

 H「この壁と天井のデザイン、見てみろよ、すげえ歴史感じるぞ」

 K「あー、城山かマヤカンか根岸みたいだな」

 ここはフラッシュを焚かないと真っ暗な部屋

 水道が幾つか設置してあったので、洗濯場だったのかもしれない。







 公示書が貼ってある。

 建物の広さや見取り図がある。

 平成19年12月07日...火災が起きてから五カ月後のものだ。

 曽と言う人に限り、108・109号室の使用許可が出たのか?

 そう言えば、名前がドアに書いてある部屋があった。

 





 あまり被害に遭っていない、生活感のある部屋もある。






 
 火災が発生し、みな外へ飛び出したので、生活用品がそのままの状態で残っている。







 子供がいた様だ。

 ここの部屋は、焼けていないので、家族は助かっていると思う。







 





 別の部屋

 部屋内が煤で真っ黒なので、余計に暗く、窓だけが明るい。







 この部屋は、所狭しと家具が置かれている。







 煤と埃が積もって真っ黒だ。

 左側はベッド、奥に冷蔵庫、右側にデスク、上は棚、ャbトや花瓶、犬の置物、薬等があり、右下に古いテレビ、床に電気ヒーター等ある。
 どれも古い物ばかり。

 





 他にも色々見てみたかったが、煤が酷く、ズボンに着いてしまい、移動範囲はここまで。







 窓枠がいい。

 こういう物件は、殆ど解体されてしまったので、近郊にあとどのくらい存在しているのか分からないが、中々ないだろう。







 通路







 現在二階

 現役当時は壁があったという話しもあり、反対側に焼け残った壁もある。

 壁がない方が解放感があって絶対良いと思う。




 


 この部屋は、天井が煤で黒いが、下は被害がなく、物がそのまま残っている。

 少し休憩しよう。

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清華寮FILE2

2013-05-10 22:54:00 | 廃墟Z
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 建物の横は、廃車が埋もれていたり、自転車や家庭用品が埋もれている。
 
 なかには、テーブルセットを置いて、洒落た裏庭風に演出している場所もある。
 其々ここでの生活を工夫し楽しんでいた様だ。







 茂みに目をやると、ここにも簡易車庫が並んでいる。

 近づいて行った時、一瞬ホームレス達が住んでいる場所だと思い、直ぐ距離を置いた(笑)のだが、ただそんな場所に見えただけだった。地元に似た様な場所があったので、お邪魔しちゃいけないと思った。(笑)







 三宝神 寿山荘 気功養生塾と表記されている廃車がある。
 この寮で営業していた人もいた様だ。

 さて敷地内の探索はこのぐらいにして、帰る時に建て物を一周してみよう。
 では、屋内に突撃する。







 正面玄関

 「カァーー、いいですねー、上のコンクリで作った屋根がお洒落だし、玄関の上にあるのは、照明?いや、明り点くの?それとも何か乗ってたのかな..このカチカチしてる感じがたまらない。マカオやシンガメ[ルでこんな建物見たことあるな、清華寮に似たモダンな建物が沢山あったなぁ」(私とスギヤマはアジアが好きで、時々旅行に行っているため)







 ここは、数年前に火災があった。それからこの状態

 所有者名があるが、この背景は後ほど説明する。







 今でこそ多数の訪問者が引っ切り無しに来るが、我々が訪問した当時は、まだ有名でなく、当時知り合いの廃墟系が簡単にupして「へぇ~不気味な廃墟だね~」って程度で、その後サブカル系のサイトでちょっと紹介された程度だったので、人はいないし、正面は開いてなく、便所の窓によじ登って”きんかくし”に足鰍ッて下りたった。まさにここ(笑)
 この時、煤が手やズボンに着いて「あ~、火事があったんだな~」って実感したものだ。







 この雰囲気
 勿論近代になって水洗にしたのだが、元々は”ぼっとん便所”だった、それにしたって相当年季が入っている。







 便所を出た時、息を飲んだ。いきなり吹き抜けロビーになっている!
 コンクリート剥き出しのこの廃れた状況が素晴らしい。
 火災で、通路の壁、天井は焼け落ち、光が入って明るく、とても解放感がある。
 


 



 反対側から

 こんな風景も香港のどこかで見たことがあるな

 天井(屋根)があった頃は、もっと暗かったのかな?

 ここで、子供達が遊んだり、体操したり、雑談したりしたのだろう、外で寛ぐより中で寛いだ方が安心だ。







 上を見上げた、骨組と青い空が広がっている。
 この日は凄く暑い日だった、キムラ隊員は、ここへ来る途中、暑くてコンビニでガリガリ君を買って食べた。

 





 一階を見渡す。各部屋の入り口が見える。
 ここに生活があったんだな

 この場所は、解放感がある所為か、そんなに暑くない。
 しばらくここで、歴史を感じていた。

 





 階段があった。

 ここもまた絵になる風景だ。

 「古い時代の建築は、安全性よりデザイン優先だったんだな、古い建物はみんなカッコイイもんな、今の建物は安全だけど味気ないな..」 

 





 玄関

 台湾人、中国人、日本人其々の注意書きが張ってある。

 ちゃんと其々がルールを決めて管理していたんだな







 受付か、窓がまた良いなァ







 部屋に入って見た。
 
 ベッドだが、左方が頭側
 全体的に煤で黒くなっていて少し不気味だ。

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清華寮

2013-05-09 22:17:00 | 廃墟Z


 台湾人寮

 日清戦争で、日本が勝利し、当時台湾が日本の統治下にあった頃、台湾から留学生や労働者が国内へ多数入って来た。
 そして1927年(昭和2年)、旧台湾総督府関連の財団法人”学租財団”が台湾人留学生用の寮として、文京区茗荷谷小日向にある国有地を借り、当該”清華寮”を建設した。

 鉄筋コンクリート三階建て地下一階。
 
 住人約50人が暮していた。

 1945年(昭和20年、敗戦)終戦になり、台湾統治が解除、従って台湾総督府および学祖財団が消滅したため、寮は所有者不在のまま、建物と住人が国有地を不法占拠する形となった。
 だが政府は、台湾・中国と外交問題になるのを避け、触れなかったので、そのまま入寮は続いた。更に台湾人以外に中国人留学生や日本人が入って来る様になった。
 日本人は、又貸しする等し、結果、台湾、中国、日本人達が住む様になった。
 そして、台湾、中国人其々で自治組織を作り、其々で入寮希望者を審査し、家賃八千円で光熱費を共同管理し共存生活する様になった。

 当該物件は、複雑な背景があり、説明が長くなってしまうので、前置きはこのぐらいにして、探検へ向かおう。FILEも重なると想定されるので、閲覧される方は、気が向いた時に少しづつ観る感じが良いと思います。
 それでは探検開始!







 ようやく最寄りの東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅に到着(汗)

 ちょうどホームの壁に明治時代周辺にあった学校の貴重な写真が展示されていた。 
 これ全部今も残っていたら凄かっただろうな

 駅を出て、住宅密集地を通るのだが、お寺や墓地がある所為で、若干緑があり、側には拓殖大学がある。都心から若干ずれている場所という事もあり、生活臭のある静かな街だ。
 ここへ来る前に新宿で用事を済ませて来たので、時間は午後3時頃になっていたのだが、交通量も少なく、人もそんなに歩いていない。

 キムラ「都心から外れているけど、下町というほどではない微妙な場所で、ガチャガチャしてなくていいね。」(笑)







 通常の出入り口

 駅から10分ぐらいの場所だろうか、坂道を上がって行くと、左側が急に藪になった、明らかに雰囲気が違う。たぶんこの藪の中に物件があるのだろう。
 雑草の下をよく見ると、寮への出入り口だった石の階段が確認出来た「ここだここだ、とりあえず向かいのマンションからまる見えなんで、立ち止まらず他の出入り口も確認してみよう。」







 車両出入り口

 ちょうど坂の頂上まで上がるともう一つの出入り口があった。
 
 こっちは車両用出入り口らしい、車庫の様な物が見える。
 
 「...やっぱりさっきの石段の所から行こう。」(笑)




  


 石段を少し上がると道が林道状態になっている。

 「都会の真ん中に伊豆の廃墟みたいな場所があるって凄いなあ」(笑)







 また石段が顔を出す。その先には、門柱が伺えた。







 門柱だけ見ても相当の歴史がある物件だという事が感じられ、興奮する瞬間だ。

 白い表札看板には何か書いてあった跡があるが、今はちょっと読めない、清華寮と書いてあったのだろう。

 右脇には、小さい出入り口もある。







 裏側

 さあ建物へ行ってみよう。







 コンクリートでモダンなデザインの建物が現れた。







 右手側

 敷地内は、雑草や木々が鬱蒼としてしまっていて、建物の外観がまともに撮れない。







 左手側







 全景を見ようと離れてみたが、木が邪魔してだめだった。







 敷地内に簡易車庫が並んでいて、庫内に放置されている車両があったり、野晒しになっている車両がある。
 住人の物だったのか不法投棄か

 当方の住む田舎の畑で見かける農作機械を置いておく車庫の様だ。(笑)







 何台もの車両が放置されていて、廃れた古い物から新しめの物まである。







 FILE2>>