廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

旧陸軍戸山学校跡3

2017-10-26 21:29:00 | 廃墟Z
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 戸山教会を後にする際、山の下の方を見たら、チラっと遊具が見え、ただのミニ公園かと思ったのですが、何か不思議レーダーが反応し、誘われる様に下りて行きました。




 この奇妙なデザインの公園、ゾクゾクしますが、まさか..

 調査してみましょう。

 とその時、男性がスロープを下りて来ました、そして突然、スッテーン!と転
 私達は「大丈夫ですか!」と起こしてあげました。

 男性60才位「いやーありがとありがと、坂になってるところへ苔が生えてるもんで、ヌルヌル滑るんだよ、危ねえんだよな。」

 私「確かにコンクリの上は苔がビッシリですね。しかも妙な作りの公園だし」

 男性「変な作りだろう?歩き辛いさ」

 私「もしかして、戦時中の軍事施設の名残ですか?」

 男性「そお!ここら一帯に陸軍の施設があったからね。こんな変な作りの公園なんてないだろう?何かの基礎だけ残って、それを公園にしたんだね。」




 この複雑な造りは美しい、建物の入口だったのでしょうか?
 古い基礎と真新しい手摺り等のギャップがいいですねー

 とその時、カシャンと言う音がし、見ると、ドローンを飛ばして遊んでいたおじさん(左側に写っている男性)のドローンが落ちていた。見たら、焼けてどろ~んと熔けていた。




 ここか箱根山は

 江戸時代に池を掘った際に出た土で山を造ったそうです。

 2、3分ほどで登頂してしまいます。




 三角点?水準点もあります。
 あくまでも山なんですね。




 戸山学校の生徒が射撃訓練をやっています..




 山頂からの景色を見たら、木々に隠れる様に戸山教会がありました、その下に将校集会所の外壁が確認出来ます。




 戸山学校時代の弾丸や医療器具等が埋めてあると言う話しもあります。

 戸山公園の微妙に鬱蒼としていて、薄暗く寂れている雰囲気が良いと思います。

 崎山「広大な公園なので、植樹管理に手間暇鰍驍ナしょうし、バチバチに手入れしてあるより、程よく自然が残っていて、寂れている感じの方が、僕らは良いですね。」




 この有名な建物の前でウロウロしていると職員の人が出て来ると聞いていたので、ビビりながら、チラチラ見ていたら、植木の上から顔出して、警備員さんがこっちをガン見していたので、ダメ元で「正面を一、二枚撮らせてもらってもいいですか?」と尋ねたら「いいですよ」と即答してくれたので、結構色々な人が訪問してるんだなと感じました。
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旧陸軍戸山学校跡地2

2017-10-19 22:55:00 | 廃墟Z
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 箱根山 陸軍戸山学校址

 記念碑がありました。確かにここに軍の施設が在ったのですね。

 ちなみに箱根山とは、公園内にある山で、山手線内で一番標高がある44.6mの人造山だそうです。




 碑文が読み辛いので抜粋してみます。
 「この地は、和田戸という武士の館の跡で、源頼朝が源氏の勢ぞろいをした所と伝えられ、後代和田戸山と呼ばれた寛文年間尾張徳川候の下屋敷となり、殿堂宮祠等かずかずの建物と箱根山を中心とし、東海道五十三次に模した風雅な庭園が造成された明治六年その他に兵学寮戸山出張所が設けられ、翌七年陸軍戸山学校と改称されて以来約七十年にわたって、軍事の研究教育が行われ、国軍精強の基を狽チたばかりでなく、国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地である。この度東京都がこの地に縁の公園を整備されるにあたって、この記念碑を建てて東京都に贈る。 昭和四十二年十一月 元陸軍戸山学校縁故有志一同」




 こちらは、公園整備を記念して、都が設置した寛政年間戸山尾州邸園池全図です。

 現在の公園図と見比べて観ると面白いです。
 図の中央より右側の玉円峰と記載されている山が箱根山だそうです。




 箱根山地区の歴史

 千六百年代は、徳川家の下屋敷で、戸山荘と呼ばれており、廻遊式築山泉水庭で、二十五の景勝地が造られていたそうです。

 ここの歴史は、深くて面白いですね。




 突如、石組の重厚な建物が現れました。色といい、この重圧感は、相当な歴史がある様です。
 そうですここが”戸山学校将校集会所跡”です。

 ここを最初に見た印象は、建築美と言うより、不気味な恐浮エじました。

 将校達が会議をしていた建物とのことです。
 ごつい窓枠が幾つかあり、塞いである所もあります。
 その脇には古い石段が上がっています。
 奥には、長窓がある円形の部屋もあります。

 将校達は、何の会議をしていたのでしょうか?




 窓を一つ見させて頂きましょう。
 鉄格子柵がされ、硝子窓は屋内が見えない様にされていますので、どうなっているのかは分かりません。

 


 円形の部屋の前の直近に来ました。

 私達がこの場所に近づいた時、威圧感が相当で、早く撮影して離れたいと思いました。

 あの事が脳裏を過ぎります。
 関東軍防疫給水部本部、通称、満州第七三一部隊

 満州で、731部隊長石井四郎軍医は、兵士が戦地で安全に活動出来る様、疫病の予防、衛生的な給水の研究をしていたのですが、それと同時に細菌戦に利用する生物兵器の研究開発もしていました。
 満州人や朝鮮人、中国人の捕虜やスパイ容疑で捕まえた人、浮浪者や子供等(被験者”マルタ”と呼ばれていた。)マルタに色々な菌を投与し、感染させて進行具合を絶命するまで観察したり、手や腕を凍傷にさせて、棒で叩いて粉々にするとか、生きているまま内臓や脳を摘出する、マルタを木に縛って、菌の入った爆弾を近くで破裂させて、感染状況を観る等の悪魔的人体実験をし、開発された生物兵器を実戦で使用したとの事です。
 一説に由ると、人体実験は、医療研究にはあまり必要のない、ただ残忍な事をやっていただけだったとか、マルタの中に日本人もいたと言う話しもあり、身の毛がよだつ悪魔部隊だったんだなと思いました。

 私も少し雑誌や動画を見たのですが、今時のホラー、スプラッター、いやサイコ、猟奇殺人映画を地で行っている様な内容で、気分が悪くなりました。
 詳細を知りたい方はコチラ "Wikipedia・Unit731"




 戸山教会

 集会所の上の部分に白いカトリック様式な建物が建っていますが、集会所を土台にして、キリスト教の教会が建っており、戸山幼稚園にもなっています。

 旧陸軍の建物の上にキリスト教の教会が建っていると言うのも興味深い光景ですね。
 この一帯を安定させ穏やかにしているのでしょうか

 日本軍の中枢だった場所に残った施設の上に態々教会を覆い被せる様に建てたのですから、まるで、アメリカが日本を封印した様にも感じます。
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旧陸軍戸山学校跡地(都立戸山公園)

2017-10-16 01:39:00 | 廃墟Z


 新宿区戸山公園 Toyama Park

 私達は、山手線の新大久保駅で下車し、コリアンタウンを抜け、公園へ向かいました。
 不思議な雰囲気のする街で、新宿区なのに何処となく昭和チックで、ご老人が多く、騒々しくないので、個人的には好きな街です。

 公園の敷地は、広大で、戸山地区(箱根山地区)と大久保地区があり、国有地も絡んでいるそうです。
 戦時中は、北東側に”陸軍戸山学校、戸山学校将校集会所、防疫研究室、化学兵器研究室、軍陣衛生学教室、陸軍軍医学校防疫部(現、国立感染症研究所)”
 南東側に”第一陸軍病院(現、国立国際医療研究センター)”
 北西側に”戸山ヶ原射撃場、陸軍技術本部”等がありました。そして、戸山公園から近い南東側に”大本営陸軍部陸軍省参謀本部”等があり、陸軍の中枢でした。

 1989年夏、現在の国立感染症研究所(旧陸軍軍医学校防疫部)の建設工事の最中に地中から人骨が百体以上出て来ました。
 その人骨を新宿区が調査して観ると、古いものではなく、死後数十年程度で、アジア人系でした。
 アジア系とは、朝鮮人、満州人、中国人、モンゴル人、ソ連人等を指します。

 頭部には、射創痕や刺創痕、ドリルで穴を開けてあったり、鋸で色々な角度から切ってあったり、頭頂部から耳の辺りまで刀で切られているもの、四肢骨が切除されており、ダルマ状態のもの、中には、脳や眼球、頸部等が残っていたものもあり、頭部はみな頸部で切られたものだったそうです。
 これらは明らかに自然な死体ではなく、人為的に加工してあるものでした。
 それから、国立感染症研究所や国立国際医療研究センター等の幹部にあの元”731部隊”の出身者が何人も在籍していたと言う点等から、戦時中731部隊が人体実験をした人達を資料として、当地に運んだのではないか、と疑われ始めました。
(※731部隊については後記する。)

 1992年、厚生労働省が調査し、2001年に曖昧で煮え切らない結果で終わった。
 その後、2006年に元軍医学校の看護師が「敗戦直後、進駐軍に人体実験をやっていた事が知られない様に証拠を隠滅する事になり、人体標本等を三ヶ所に埋めました、私も埋めるのを手伝いました、そして埋めた場所が分からない様にその上に病院職員用の宿舎を建てて、見張る役割りもあって、そこに住んでいました。」との証言が上がり、2011年から厚生労働省による発掘調査が行われ、そこにあった公務員住宅を撤去して、地中を調査しました。
 結果は「人骨は出なかった。注射器と試験管ぐらいしか出なかった。」との事だったらしいですが、周りは、おかしい、隠しているとの声が多く、現在も一般市民団体や関係者達が調査を続けられているそうです。
 人骨は、慰霊祭が行われ、国立感染症研究所の敷地内に慰霊碑を建て、骨の保管施設も作り、そのまま保管してあるそうです。




 何だか、道端に雑草は生えているし、薄暗くて、廃れている雰囲気です。

 右側のフェンスの内側は、運動場(スメ[ツ広場)があり、野球で盛り上がっています。

 その先のトタンで囲ってある内側が、厚生労働省が地中を調査した場所だそうです。




 やはり寂しい雰囲気です。
 夜は気味が悪いでしょうね、と言うか危ないですね。

 あまり整備されていないのでしょうか?
 国有地とかであまり触れないのかもしれませんね。

 私「さっきから鴉がクワオゥクワオゥって変な鳴き声で鳴いてるね。」

 崎山「私も気になってたんですよ、人の声かと思っていました。ほら、生体実験された鴉じゃないんですか?(笑)」

 私「研究所から脱走した鴉とか?(笑)」

 崎山「脱走した動物達がここで何世代も生きているかもしれませんよ?」

 私「蚊もやばいね(笑)」

 崎山「それこそ感染粧ですよ(笑)」




 フェンスに変わった、中が見られますね、しかしすごい蔓だな。




 雑草が生えてしまっていますが、土山の様です、発掘調査をした時の土砂でしょうか?

 フェンス越しでは分かり辛いので、もっと広範囲に見られる場所を探してみます。




 先に広場(花の広場)があり、植樹か花壇の土手があり、そこに上がれば観られそうなので、上がってみました。

 もう発掘調査は終わって、すっかり雑草が生い茂って、野原になっています。

 この辺りに病院職員用の宿舎が建っていたのでしょう
 そして、公務員住宅や駐車場を撤去して、発掘調査が行われたのですね。

 私達は、公園に来ている人達に「何やってんだろう?」と不審者に見られるので、このくらいにしておきます。




 道路を隔てて反対側に来ました。

 「ここは、何処かで見覚えのある場所だなー
 しかし朝九時なのに薄暗くて、何だか薄気味悪い場所だな、九月の末でまだ暑いはずなんだけど、薄ら寒いよ。
 あ、朝早かったもんで、ちょっとトイレ行きたくなった。」とトイレに入ったのですが、中がまた昭和な作りで、薄気味悪いんです。
 用を足し、外で休憩していたところ、そばにいた初老の男性に「何だかこの辺寂れている雰囲気がありますねえ?」と振ったところ「昼間なのに何だか寂しい雰囲気だろう?あ、おたくが入ってたトイレ、アレがぶら下がってたらしいよ、女だったんだってね。それに近くの工事現場から骸骨が沢山出たからね。ははは」

 「えーっ!ガチだったんですかーっ!今ゆっくりめにクソしってきちゃったよー!」

 おじさん「あはははは、上から見られていたかもね」




 上へ上がって行く道があります。
 その先に何かあります、不思議な雰囲気がする場所です。




 この六角形の不思議なモニュメントは、戸山学校の名残りだそうです。
 学校では、軍刀操法、射撃術、軍楽等の教育が行われていました。

 奥に見える石垣や石段は、歴史がありそうですね、学校関係の名残りかもしれませんね。




 上の道へ上がって来ました。
 石垣が続いています。
 まだ時間が早い所為か、人があまりいないので、取材には好都合です。

 私「しかし蚊が多いし、鴉はさっきから喋ってるし、爽やかと言うか、涼しい、ここ新宿だったよね?」

 崎山「ほんと、このギャップがいいですね、今は普通の公園ですが、闇の歴史を持っていると言うね。(笑)」
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