廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

壕(中規模)4

2016-04-24 23:06:00 | 廃墟B
続き>>


 この光景を見ると、海外旅行で、オプショナルツアーの洞窟探検に参加した人達と言った感じですね。いい画が撮れています!(笑)




 複雑に採石されています。




 日常では在り得ない景色です。




 !!




 えぇ~、この先は大露天風呂になっているので、ここで終点です。




 汗を流したい方は、ご自由にどうぞー

 大露店風呂っ!?

 どれどれ

 うわぁ、すげーなー

 これ、温泉すかあ!?




 先にトンネルの続きが見えますが、出口は、山の反対側にあり、崩壊している様です。

 またいつかチャンスがあれば、出口側も探検してみたいと思います。




 やっぱ水だわww、温泉湧いてるわけねえよなw

 完全に水没してるわ

 深そうだし、こりゃ行けねえわ。




 まだ先に続いています。




 水深がかなりありそうです。
 これでは、進めません。




 戦争体験者 渡辺 T氏(80代)談「いや、技研じゃない、防空壕として使ってた。この集落には、軍事部品を製造していた下請け工場や指揮官が生活していた別荘があって、偉い人達がよく出入りしていました。一帯の穴には兵隊さんらが詰めていました。米軍機はそれらを狙って、度々機銃綜ヒや焼夷弾を落として来ました。藁ぶき屋根の家や木造の家が主だったから、瞬く間に燃え上がりました。B29やグラマン(グラマンF6Fヘルキャット)ですね、多比の山の上に突然現れて、集落に降りて来て、低空飛行で"バリバリバリバリバリ"と機銃綜ヒされました。私は地面に伏せて、頭を抱えた。身体の直ぐ脇を玉がかすめて行った。村の人達とワァーッと"その石切り場跡へ逃げ込みました。防空壕代わりにしていたのです"最適でした。昔っから伊豆石を切り出した穴が沢山ありますからね。それと"穴と言う穴に兵隊さんが居ましたね。米軍が海から上陸して来る事が想定されていたから、撃退する為ですね。"村内や屋根等に機銃綜ヒ後の薬莢がよく刺さっていて、子供らで拾ったりしました。ここら辺は極秘地区だったのですが、でも米軍はここを知っていたのです、情報が洩れていたのですね。スパイですよね。米軍は諜報が発達していたから、場所がバレていたのです。まことしやかに囁かれていたのが、某教会の関係者が沢山いましたから、その人達から米軍側へ情報が流れていたと噂されていました。」




 この辺で、引き上げましょう。




 緑の道を通って山を下ります。

 アァー、ハラヘッター(´-`).。oO





*結局、これまで見られた様な作業場の痕跡は見当たらなく、通路がメインの単なる石丁場跡の様です。
 "村の人達が防空壕として使っていた"と言う証言と"水没していた事""他の穴に見られた様な作業場の痕跡が見当たらなかった事"等から、沼津技研(海軍技術研究所音響研究部地下工場)の施設の一つに上げられてはいたが(接収関係の資料に記載されている様なので。)使用はされなかったと考えられる。それから、静岡県内最古の隧道だったと言う事が驚きでした。
 <<戻る 続く>>

壕(中規模)3

2016-04-20 00:30:00 | 廃墟B
続き>>


 学習机ですか、粗大ゴミも混ざっている様ですね。

 奥にまだ部屋がありそうなので、行ってみましょう。




 小さな部屋になっています。
 作業員さんの休憩所ですかね?

 ここで行き止まりです。

 さあ、戻って、メイン坑道を奥へ行きますか!







 かつての隧道の入口ですね。




 入口は、石を切っただけと言った感じですが、少し進むと荒れて来て、手掘りの隧道と言う雰囲気に変わります。
 隧道だった頃の名残ですね。

 地面をよく見たら、石を運搬した軌道跡が残っています。




 正面は、石が積まれており、通路は左へクランクしています。




 水溜まりがあります、蝙蝠達の水飲み場になっているのでしょう。




 水が透き通っていて、緑色に見えます。




 皆立ち止まり、先を見ながら、ほぉーっと関心しています。




 分かります、私も初めてここに来た時"すげえ景色だなー、非日常的な世界だなぁ"と思いました。

 元々は隧道だったと言う事ですが、見た感じ大分開削されていて、隧道だったと聞かなければ分からないほどですね。
 <<戻る 進む>>

壕(中規模)2

2016-04-15 23:17:00 | 廃墟B
続き>>


 風呂場の傍に伊豆石蟹(穴に時々いるので勝手に付けた。)がいる。

 夏場にこの地区に来ると山道や道路で見かけます。

 多比の海岸にいる蟹にそっくりなので、地元の人に聴いたら、やっぱり元々海の蟹で、徐々に山へ上がって来て、沢蟹になったんだと言ってました。




 急に皆驚いた様子で、何!?何!?何!?と、ある場所を見つめ、フリーズしています。




 骨です。




 ここに何かの遺体があったのでしょう、綺麗に白骨化しています。

 そばにさっきの蟹がいたので、餌として群がって食べたのかもしれません、ゲジゲジや蝙蝠も居ますし。。

 気を取り直して、探索を続けましょう。




 ガラクタが散乱しています。

 右奥がメイン坑道です、真っ暗闇です。




 手前左側が部屋になっている様なので、探索してみます。

 入口に板が打ってあったのですね、剥がされています。




 道具類が大量に放置されています!




 どうやら、最近、採石をした様ですね。




 道具がまだ新しいです。




 新しいと言っても昭和期なのでしょうが、この様に再び採石が入る石丁場もあるので、穴の形状が多少なりとも変化しているでしょう。




 天井に蛍光灯が設置されています。
 相当年月が経っている様です。

 これを観た感じでは、最後の採石作業は20年位前だったのではないかと思われます。

 さて
 近隣住人の人に当該穴が戦時中、軍の施設として使われたのかどうか聴いてみたところ
 女性75才位「軍が倉庫程度に使ったとか言う噂は聞いたことあるけど、昔の事だから、実際のところは分からないねえ。テレビ番組も取材に来たんだけど、昔その石切場の穴をトンネルにして、住民がここと長岡を行き来していたとか言ってた。それはあったと思うけど、軍が使ったと言う話しは出て来なかったねえ。戦争のことならもっと90才位の人に聞かないと分からないよ~。」とのことでした。

 確かに昔の事なので、90才代に聴かないと70才程度では若過ぎて無理です。(笑)
 <<戻る 進む>>

壕(中規模)

2016-04-12 01:01:00 | 廃墟B


 皆さんこんにちは!

 え~と、早速ですが、参りましょう!(笑)
 今回の穴も”沼津技研”関連なのですが、廃道マニアの間でも有名でして、簡単に説明しますと、明治時代、山の両側から石を切り出していたところ、穴が結合したので、現場責任者さんが、せっかくなので村道として活用する事を思いつき、隧道登録されて、村の人々が沼津市多比と伊豆の国市北江間を行き来していたそうなのです。隧道だったと言う訳です。
 そしてその後、新道が出来、廃道となり、戦時中には沼津技研多比地下工場の一部に上げられたり、再び採石が行われる等し、開削され、隧道とは言えない程変形してしまったと言う様な歴史があるそうです。

 隧道・道としての経緯は、廃道系のサイトさんが詳細な調査を行っていますので、そちらを検索して見て頂く事として、今回もあくまで沼津技研として観て行きます。
 ここも米軍の接収資料に地下壕として載っている様です。

 それでは出発します!




 長閑な集落内の小道を行くのですが、目的地まで坂が結構続くので、息が上がります。(笑)

 集落を歩いていると、石垣や民家の土台に伊豆石が使われているのを見かけます、やっぱ本場だなと実感します。(笑)




 奥へ入って来ると、石を積み上げて作った道になります。

 藻や雑草がびっしり生え、美しい緑の道になっています。

 穴が近い事を予感させます。




 到着しました。

 斜面から土や石が落ちて来ていて、穴が埋もれ気味です。

 左下に墓石の様な長方形の石が唐黷トいますが、特に文字の様なものは見受けられません。




 では皆さん入ってみます。







 右上の斜面から大分土が落ちて来ています。
 石積みも崩れています。
 ここもいずれ埋もれてしまうのでしょう。




 入ると直ぐに何か立っています。
 いきなり殉職者の供養塔ですか!?




 皆興味深々で見ています。




 相当古い感じの文字が彫られています。

 ここが隧道だった時の竣工記念碑の様な物だそうです”山田氏のトンネル”で、静岡県内最古になるそうです!

 でも開削されちゃったし、廃道なので、正規のトンネルとはならないから、最古に認定されないのかな?

 現在の国道、村内を通る旧道、そして当該隧道、更に切り通しの峠道が在るそうです。




 イイ感じのお風呂がありました。
 帰りに皆で入りますか?
 進む>>

巨大震洋格納庫6調査完了

2016-04-04 22:22:00 | 廃墟B
Continuation>>


 前回、この縦穴まで来たところで、下りられる場所がなく、断念しました。
 今回は、ロープを持参して、アタックしてみようと思います。
 高さは、ザックリ5メートル程度で、足場も微妙にありそうです。ではやってみます。




 何とか地面に下りられました。ホッとします。




 落下した岩で水溜まりがいっぱいです。

 石がなかったら、割と深そうです。

 では先に行きます。




 巨大空間がありました!

 どうなっているのか期待が膨らみます。

 また水溜まりがあります。




 足元に缶詰めの空が転がっています!
 錆びてボロボロです。70年以上前の物でしょう。
 兵隊さんは、何の缶詰めを食べていたのでしょうか




 周囲を確認すると右側の崖の上に四角い小さな出入り口を発見したので、行ってみます。




 水溜まりを渡るしかなさそうなので、なるべく端を行きます。




 この穴も人一人がやっと入れる程度です。
 中を確認すると崩落しており入れる余地がないです、ここまです。

 通路だった様です。
 こんなところに小さな出入り口を作ったなんて、日本軍は忍者だな。




 戻ります。




 なんと手榴弾が落ちています!
 日本独特のデザインです。




 火薬は抜けている様です。




 もう一つ半分になった手榴弾がありました。
 それから、楔が二つ、バケツの破片?がありました。

*幾つか出入り口の様な場所が崩れて塞がってしまっているのが見受けられたので、連絡通路があちこちにあった様です。また人一人が匍匐前進でやっと進める様な狭い通路があったのは驚きで、日本軍は忍者の様にあちこちの通路を抜けて神出鬼没に現れた様です。
 それから、掘削途中の様な場所もあったので、更に広げている途中だったのでしょうか。
 とにかく何トンもありそうな尖った岩が豪快に落ちている危ない穴でした。
 <<Return