廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

陸軍少年戦車兵学校跡9(外伝)

2019-06-15 18:06:00 | 一般探索
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 戦車学校から大分下った町に少年兵が事故で殉職した場所があり、石碑が建っています。







 故陸軍生徒大池好道殉職の碑

 昭和十八年三月十一日二十時殉職

 広島県三原市西野村

 陸軍少年戦車兵学校
 flag1







 神戸(ごうど)橋、神戸交差点になっています。




 結構大きいと言うか深い川ですね。
 川の名称は、滝川と言います。




 演習からの帰舎途上、戦車が川へ転落してしまい、乗っていた生徒が亡くなったそうです。
 亡くなったのは一人だけなので、車内にいた操縦士達は大丈夫だったのでしょう。
 当該生徒は、ハッチから身を出していたのでしょう。17才だったとの事、まだ子供じゃないですか、可哀想に。

 意外と高さがあるんですよね。

 富士山側から村内を下ってきた(戦車学校方面から)のですが、今でも坂道で蛇行しているし車幅が狭いので”ここを戦車が通っていたのかー、難所だったのだろうな”と思いました。
 操作を誤って崖から落ちたのか、橋から脱輪して落ちたかでしょうね。
 鉄の塊ですからね。。







 川へ下りる階段があったり、紫陽花が植えてあったり、整備されていて、以前は散策できた模様、もしかしたら、今は河川整備工事(道路工事?)で変わってしまったが、昔は滝(淵)が在ったのではないでしょうか?今は出入り口が施錠されていて入れなくなっています。




 意外と荒くれていて、豪快な淵なんです。大雨の時は激流になる様です、迫力がある景色なので、下からも観たかったです。
 ちょっと話が逸れました(笑)古い土木の構造も割と好きなので^^;

 戦争は、戦闘だけではなく、訓練中の事故で死んだり、病気で死んだり、色々な犠牲者が出てしまいますね。
(P3以降は2019/05/19~06/14調査)
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陸軍少年戦車兵学校跡8

2019-06-11 23:18:00 | 一般探索
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 ・陸軍境界柱の確認は無理💧(笑)



 軍杭が草むらに埋もれ残っている様だと聞いたので、探って観ましたが無理(笑)
 代わりに珍しい物がありました、国と標示された建設省の杭です。




 国有地が残っているのですね?!こんなの見るの初めてです。




 ここにもあります。


 ・上井出小、南側



 消防団の詰め所ですが、建物を観ると、当時の物を改築して流用している様ですね。

 半鐘(火災や危険が起こった際に知らせる釣り鐘)があります、相当古い物です、当時使っていたものでしょうか?!


 ・第一中隊のあった辺りですが



 当時の建物を再利用しているのかもしれません。



 注)使用されています。


 ・材料廠車廠






 いやぁ、この木造の景色たまりませんなぁ(笑)



 水槽、洗い場でしょうね



 しかし戦時中コンクリートが貴重な時に贅沢にぶ厚く使った作りですね(笑)




 会釈しただけで、聴取していないので、詳細は不明ですが、これら木造の建物は当時の物でしょう。

 注)倉庫住居として使用されております。


 練習用具庫の辺り



 倉庫

 当時の建物ではなく、当時の建物木材を使用して作ってあるとおっしゃっていました。

 注)倉庫として使用されております。




 洗い場でしょうか?




 水槽ですね。

 側に弾薬庫がずっと残っていたが、撤去されたと言っていました。

 注)畑です。


 ・演習で出来た穴



 この道を行くと「演習で出来た穴がまだボコボコ残っている。」とのことなので、確認に行きます。



 時期的に植物が育って来ているので、発見が難しいが、それらしき跡が幾つかあった。



 炸裂痕だろう、大体5m程度、50、60cm位の斜面で、窪地ができています。
 大きさからはんだんすると、噂どおり、火力は小さかった様子。



 昔は、度々薬莢や不発弾が見つかり、それを収集家が拾って、解体中に炸裂し、手や腕等を失った事故があったそうだ。



 何らかの方法で、破裂させて遊んだそうで、パーン!といい音がしたそうです。







 注)市の土地と私有地です。



戦車兵学校の参考動画を貼っておきます。
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陸軍少年戦車兵学校7附属施設(若桜神社)

2019-06-08 19:00:00 | 廃墟B
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 元々当神社は、前記の防空壕のあった墓地の場所に在りました。
 戦車学校時代に校庭だった場所です。
 現在墓地は、東開拓記念公園墓地となっています。
 そして戦後、戦没者を軍神と崇める為、当地に移転した様です。

 鳥居は、新しい様で、昭和四十三年十二月建立と表記してあります。




 若桜神社




 石柱に若桜神社と彫ってあります。




 立派な忠魂碑が建立されています。




 添え記




 社です。
 獅子が左右にいます。

 ちょっと鄙びた感じがしますね、そろそろ草が伸びて来ていて、かえって威厳に見えます。

 夕方だからでしょうか、ちょっと薄気味悪いんですよねここ💧(笑)こう言うこと言っちゃあだめなんでしょうが、周りに兵隊さんが沢山整列してるんだもん(笑)💧

 余計なこと言ってないで、まじめに調査しましょう^^




 金網で囲まれています。
 ちょっと物々しいですね、こう言う神社は悪戯があるのでしょうか?







 慰霊の碑があります。







 陸軍軍人の墓が並んでいます。
 大きいものはみな階級が彫ってあります。




 戦車兵の皆さんでしょうか、整列しています。




 当日は、夕方になってしまい、曇っていたので、景色が今一ですが、晴天の日は景色が良く、静かな場所で、英霊達が安眠できる所です。
 当場所は分かり辛く、住宅地の裏にひっそりとありました。
 若獅子神社から結構離れている(県道414号朝霧富士宮線の上井出交差点の近く)ので、徒歩でなく、車両で行った方が良いと思いますが、進入路がかなり狭いので、軽かバイクがお勧めです。
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陸軍少年戦車兵学校跡6

2019-06-07 03:16:00 | 廃墟B
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 組合の正面門から西へ進んだ交差点の角に長方形のコンクリートの固まりがあります。
 相当古い物の様なので、将校集会所の何かの基礎だったのでしょうか




 交差点を横断して、施設図に記載されていた”島忠橋”(?)の辺りに来ました。




 反対側です。




 橋の上からは木々が邪魔して観られないので、川に下りようとしたが、垂直のコンクリで下りられず、遠くから藪漕ぎして来て、何とか縁から観られました。💧(笑)

 ”礼儀橋”の方から下って来た川が、正面の道路の壁にぶつかり、地下側溝(右方)へ入り、西側の潤井川へ抜けている様です。

 川は、美しく、手積みの石垣が残り、当時の面影を残しています。

 構内図を観ると、当時は、川が普通に道路の下を通り、反対側へ流れていた様で、川の痕跡が水無し川として続いている。

 現在は、橋の下は画像の様にコンクリートで塞がれている。




 木々が伸びていて分かり辛いですが、橋の上から川の上流方向を観たところです。




 反対側の当時川だった跡から橋を観てみると、やはり土手で塞がれていた。

 水が氾濫するので側の大きな潤井川へ放出する様にしたのだろうか。

 結果は、改築されており、昔の面影は河原だけで、橋は、かろうじて、左右のガードレールが名残りを感じさせているだけです。
 あ、また拘っちゃいました、古い土木構造も好きなので。(笑)




 建物の基礎の様なコンクリートが放置されている。




 組合の西側門に来ました、当時の門が残っています。

 正面の建物が学校時代の物と似ているので、改築して使用しているのかもしれません。

 液肥看板の後ろに門柱が隠れています。




 礎石が頑固ですね、重圧です。




 左側の門柱です。

 正面門のノーマルなデザインの物より、こちらの石を削ってあるデザインの方が立派ですね、礎石のデザインも総じてかっこいいんですよね、大きくて丈夫そうです。
 門の広さもあり、恐らくこちらがメインゲートで、ノーマルデザインの方は、サイドゲートなのかもしれません。




 直ぐ上に橋がある(上記の島忠橋の上流)ので、観察してみます。




 これは中々古そうですねえ。
 欄干を観ると相当歴史がありそうです、当時の物でしょう。




 反対側です。
 中々の美しさです。たまりませんなあ(笑)




 橋の下を確認してみます。ワクワクします。(笑)

 あー、整備してある様で、当時の面影はありません。

 橋を幾つか見て来て、ちょっと臭い場所とそうでない場所がありました。(笑)




 更に直ぐ上にもう一つ橋があります、組合の裏口です。

 正面に当時の雰囲気のある建物が見えます、東側の給乳所の方です。




 新しいですね、これは判断が難しいですが、川は渡らないとならないので、当時もここに橋はあったのではと思います。

 この上流の林内に燃料油脂庫があった下辺りに”賓上橋”?と言う橋が在った様で、探したのですが、どうも道が切れており、民家の敷地になってしまったらしく、橋の痕跡は確認出来ない。

 何しろ敷地が広大なので、かなりウォーキングします、以前調査した陸軍戸山学校跡と溜めハリに楽しいです。(笑)




 ふと、木々の間から見え隠れする小屋が、
 当時の用具倉庫だろうとのことだった。
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陸軍少年戦車兵学校跡5

2019-06-04 23:36:00 | 一般探索
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 上井出小学校の正門から道を下ると運動場の門があります。
 ここは閉鎖されていますが、この門柱も風格があります、戦車学校時代の物と思われます。




 向かい側の林の中には”燃料油脂庫”が残っています。

 戦車等の燃料が保管されていたのですね。

 建物が歴史を感じさせます。

 ちなみに上の写真がPENTAX K200、下がSONYのミラーレスです。
 ペンタは、やっぱり”しつっこい”ですね(笑)慣れると癖になりますが^^ソニーはスマートで、風景撮影に良いです。^^








 屋内は、見ませんでしたが、小学校の用具倉庫になっている様です。

 ※前出の油脂庫もそうですが、皆私有地に在るので気をつけてください。当方が行った時は、全て声をかけて撮影しています。

 更に下ると



 学校本部の正門があった場所(上井出スメ[ツ広場)があります。




 門が観音開きする際のレールが残っています!




 門柱があった場所です。
 現在は若獅子神社に移設されています。




 正面に本部が建っていました。

 富士山が素晴らしいですね。

 今日は、暑いし、広大な場所を歩いているので、水分を補給しないとと思っていたところ、グッドタイミングに門の横に自販機が設置されていて、水を買って暫く休憩していました。💦




 道路沿いにグラウンドへ出入り出来る石段がありますが、かなり古そうです、当時の物かもしれません。




 直ぐ隣に富士開拓農園協同組合があるのですが、当時は将校集会所、守工所等があった様です。
 構内にFUJIMILKの給乳所があり、出入り口の門は、当時の物です。




 石組柱で貫禄があります。




 少し低い様ですが、短く切られているのでしょうか?




 組合の正面門に来ました。

 当時の門が残っていますね、幅を広く取ってあります。

 組合の建物も何となく当時の雰囲気がありますが、敢えてそう建築したのでしょうか?当時の建物を改修したのでしょうか?




 この門も立派です。



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