台湾人寮
日清戦争で、日本が勝利し、当時台湾が日本の統治下にあった頃、台湾から留学生や労働者が国内へ多数入って来た。
そして1927年(昭和2年)、旧台湾総督府関連の財団法人”学租財団”が台湾人留学生用の寮として、文京区茗荷谷小日向にある国有地を借り、当該”清華寮”を建設した。
鉄筋コンクリート三階建て地下一階。
住人約50人が暮していた。
1945年(昭和20年、敗戦)終戦になり、台湾統治が解除、従って台湾総督府および学祖財団が消滅したため、寮は所有者不在のまま、建物と住人が国有地を不法占拠する形となった。
だが政府は、台湾・中国と外交問題になるのを避け、触れなかったので、そのまま入寮は続いた。更に台湾人以外に中国人留学生や日本人が入って来る様になった。
日本人は、又貸しする等し、結果、台湾、中国、日本人達が住む様になった。
そして、台湾、中国人其々で自治組織を作り、其々で入寮希望者を審査し、家賃八千円で光熱費を共同管理し共存生活する様になった。
当該物件は、複雑な背景があり、説明が長くなってしまうので、前置きはこのぐらいにして、探検へ向かおう。FILEも重なると想定されるので、閲覧される方は、気が向いた時に少しづつ観る感じが良いと思います。
それでは探検開始!
ようやく最寄りの東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅に到着(汗)
ちょうどホームの壁に明治時代周辺にあった学校の貴重な写真が展示されていた。
これ全部今も残っていたら凄かっただろうな
駅を出て、住宅密集地を通るのだが、お寺や墓地がある所為で、若干緑があり、側には拓殖大学がある。都心から若干ずれている場所という事もあり、生活臭のある静かな街だ。
ここへ来る前に新宿で用事を済ませて来たので、時間は午後3時頃になっていたのだが、交通量も少なく、人もそんなに歩いていない。
キムラ「都心から外れているけど、下町というほどではない微妙な場所で、ガチャガチャしてなくていいね。」(笑)
通常の出入り口
駅から10分ぐらいの場所だろうか、坂道を上がって行くと、左側が急に藪になった、明らかに雰囲気が違う。たぶんこの藪の中に物件があるのだろう。
雑草の下をよく見ると、寮への出入り口だった石の階段が確認出来た「ここだここだ、とりあえず向かいのマンションからまる見えなんで、立ち止まらず他の出入り口も確認してみよう。」
車両出入り口
ちょうど坂の頂上まで上がるともう一つの出入り口があった。
こっちは車両用出入り口らしい、車庫の様な物が見える。
「...やっぱりさっきの石段の所から行こう。」(笑)
石段を少し上がると道が林道状態になっている。
「都会の真ん中に伊豆の廃墟みたいな場所があるって凄いなあ」(笑)
また石段が顔を出す。その先には、門柱が伺えた。
門柱だけ見ても相当の歴史がある物件だという事が感じられ、興奮する瞬間だ。
白い表札看板には何か書いてあった跡があるが、今はちょっと読めない、清華寮と書いてあったのだろう。
右脇には、小さい出入り口もある。
裏側
さあ建物へ行ってみよう。
コンクリートでモダンなデザインの建物が現れた。
右手側
敷地内は、雑草や木々が鬱蒼としてしまっていて、建物の外観がまともに撮れない。
左手側
全景を見ようと離れてみたが、木が邪魔してだめだった。
敷地内に簡易車庫が並んでいて、庫内に放置されている車両があったり、野晒しになっている車両がある。
住人の物だったのか不法投棄か
当方の住む田舎の畑で見かける農作機械を置いておく車庫の様だ。(笑)
何台もの車両が放置されていて、廃れた古い物から新しめの物まである。
FILE2>>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます