は~ふたいむ

仕事帰りにカフェに寄り道して、一緒にコーヒーなど飲みながら、
他愛のない話をして過ごしたい。そんな時間。

灰色の葉書 ③

2006年11月30日 | weblog
灰色の葉書に印刷された享年●歳の年齢を見た時、それが若ければ若いほど胸が痛みます。
昨日届いた葉書には、今年の9月に亡くなった後輩の名前が印刷されていました。
私と1歳しか違わない後輩でした。

ついこの前まで一緒に働いていた子の写真が、遺影となって祭壇に祭られているは、何だか不思議な感じがしました。
これは現実?それとも悪い冗談?そんな感じでした。

病弱な訳でもなかったし、父のこともあって悪い想像が過ぎりましたが、棺の中で目を閉じているその顔を見てホッとしました。
死因は分かりませんが、まるで眠っているかのような穏やかな顔をしていました。

不思議なもので、悲しみはいつもお経の最中にやってきます。
お経にそういう効果があるのかどうか分かりませんが、徐々にその人が亡くなったという実感が湧いてきて、突然悲しみが胸の奥からこみ上げ、嗚咽するのです。
祖母の時も父の時も同じ経験をしましたが、本当に悲しい時はこんなふうに「胸が痛む」のものなのです。

そしてさらに心を痛めたのは、亡くなった後輩のご両親の悲しむ姿でした。
亡骸に向かって何度も何度も呼びかける姿は「痛々しい」という言葉そのもので、参列した私たちはただ目を伏せて手を合わせ、冥福を祈るしかありませんでした。

どんな命も失うことは悲しいけれど、若い人の死は悲しみが大きすぎる・・・。


そして思うのです。
私はずっと「見送る人」でいたい、と。
少なくとも自分の大切な人には、あの痛々しい悲しみを味わって欲しくない、と。


今日もまた1通、灰色の葉書が届きました。
春に父親を亡くしたという友達からのものでした。
私が年賀状を出すのは、普段は会えない友達だけなので、彼女たちには寒中見舞いという形でお手紙を書こうと思っています。


3月、5月、7月、9月と。
1ヶ月おきに訪れた身近な人との別れに際して、私が思い感じたことを綴ってみました。
まだ誰にも話したことがなく、自分の中でもうまく整理できていなかったので、こうして書いてみてずいぶん気持ちが楽になりました。

重たい内容にもかかわらず、この記事を読んでくださってありがとうございました。

今週末は、いよいよ愛しのロドが帰ってきます。
またいつものように他愛のない話をするので、お暇な時に聞いてくださいね。
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