今年の秋頃だったか、母が急に家の物を片付け始めた。
「あんた、これ持って帰ってくれん?」
空気清浄機が2台、私が昨年プレゼントしたばかりの1人用こたつ。
そして、母が長年使っていたノートパソコンもあった。
毎年、年末になると母はパソコンで年賀状を作っていた。
まだ看護師として働いていた68歳頃からパソコンを習い始め、5~6年は続けていたのではないかと思う。
持っていたテキストを見せてもらうと、なかなか本格的な内容だった。
所々に書きこまれたメモに、勉強熱心だった母の姿を見ることができる。
その中に、デジカメの撮影枚数の計算方法が載っていた。
こんなものまで習っていたとは驚きだ。
しかし、そうやって習ったWordやExcelも、母の仕事では全く出番がなかった。
そして母のパソコンは、もっぱら年賀状や暑中見舞いのハガキを作ることに使われた。
そんな母も、老いを重ねるうちにできないことが増えてきて、ここ数年は年賀状作りと印刷は私の仕事になっていた。
年末に母宅に行くと、決まって「年賀状作ってや」と言われて10枚程度の年賀ハガキを差し出される。
その10枚の印刷のために、押し入れからノートパソコンとプリンターを引っ張り出すのが、いつも億劫だった。
そして、今年はそのパソコンが私の家にある。
もう年賀状は作らないらしい。
いつだったか、母に年賀状を印刷してほしいと頼まれたが、忙しくて行けないから年末まで待つように言ったことがあった。
しかし、母は待ちきれずに郵便局へ行き、干支のスタンプを押して自分で年賀状を作ろうとした。
だが、リウマチで手が思うように動かなかった母は、何度もスタンプを押し損ね、結局1枚も年賀状を作ることができず、悔しくて泣いたそうだ。
その光景を思い浮かべて、胸が痛んだ。
それ以来、年末になると早めに家に行き、年賀状を作るようにしてきた。
ここ数年は「来たら出す」という考えに変わったので、元旦の夕方に印刷して夜にポストに落とせば良かったが、それでも億劫な作業に変わりはなかった。
それなのに、その作業が今年はもうないのだと思うと、どこか寂しい気持ちになる。
母は今も元気だ。
胃腸は健康だし、頭もしっかりしている。
ただ、目は緑内障と白内障を患っていてよく見えない。
両手はリウマチで変形し、手術で人工関節を入れたが、劇的な改善は見られなかった。
母のノートパソコンはズッシリと重く、よくこんな重たいものを持って出かけていたな、と思う。
それで一度、軽いノートパソコンに買い替えることを提案したが、これでいいと断られた。
それから少しして、母はパソコン教室をやめた。
パソコン教室には車で通っていたが、目が悪くなって車が運転できなくなり、通えなくなった。
色々なことができなくなって、母はさぞ辛かっただろうし、悔しかっただろう。
そう思うと、泣けてくる。
しかし、こればっかりはどうにもできない。
老いていく母に私ができることは、身の回りのことを手伝い、落ち込む母を励ますことくらいしかない。
今年も、私は母の家で一緒に年を越し、新年を迎える予定だ。
念のため、ノートパソコンから住所録データを取り出し、印刷しておいた。
年賀状を出したいと言ったら、宛名は手書きして、裏のイラストは一緒に郵便局へスタンプを押しに行こう。
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