話し相手として、ぼそぼそぐじゃぐじゃ話す人は苦手だ。
今回大腿骨骨折したのは脱衣室(洗面所)だったけれど、もし浴室だったらアップルウォッチも外していただろうし当時動けなかったので連絡しようがなかった。
それでリハビリテーション病院の勧めもあり、弟も強く勧めるので浴室内にしっかりした手すりを付けることにした。
夫の伯父は医者だったのだがお風呂で亡くなったという例もある。
ところがその業者がどういう器具を取り付けるか説明に来たのだが、ぼそぼそ話してよく聞き取れない。少し話していてうんざりし業者を変えたくなった。
入院していた病院の内科医も病室にきて色々聞くのだけれどぼそぼそ話す。
看護師に「先生の話し方わかりにくいね」と言ったらうなずいていた。
わたくしがシャキシャキ、はきはき話す人が好きなのは性格なのかもしれない。
ありていに言えば情緒に欠けているということである。
国文学を専攻したものの、短歌は苦手であった。
どちらかといえば評論文をよく読んだ。
高校時代は数学のほうが好きな科目であったが、家にたくさんの書籍があったので深くも考えないで文学を選ぶといういい加減な選択である。
話すときに「あ~」とか「え~」とか「まあ~」とかを頻繁に入れる話し方も聞きにくく思われる。
嘗て「あ~う~宰相」と言われた優秀な首相もいたので一概に嫌うわけにはいかないけれど。
人から見たらわたくしの話し方は強く、きつく響き、好まれないと自戒している。ブログの文も味気ないものにどうしてもなってしまう。
もっと柔らかい、優しい、味のある文が書けるように抒情詩でも読むようにしたいと思うものの
”汚れちまった悲しみに”より”I was born"のほうが好みなのだ。
どうしようもない。