浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「講演集」より。

2014-12-27 00:12:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


     東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には


先の続き・・・

いくら幼い子でも一人の人格者として、神様から「あなたにこの子を委ねます。
この子の修行に協力してやって下さい」と頼まれて授かったのが、
私たちの子供です。
幼き子供は心に何の曇りもありません。
その証しとして幼い子はどの子を見せてもらいましても皆可愛い顔をされています。
だんだんと成長する過程で心にスモッグを出していきます。
そのスモッグが綺麗な心の周りを全部覆ってしまいます。
自己保存、自我我欲などの思いによって、魂の表面がだんだん曇り、私たちの
心の曇った分だけ顔の相が曇ってきます。

だから、肉体は魂の表現体、この顔は魂の看板です。
心が知りたければ、その人の目の中を覗いてみなさい。
その人の内部がみな分かります。
そんな阿呆なとお思いでしょうけど、こうして見たらみな見えます。
心の奥底まで丸見えで、いくら後ろのほうにおられても同じことです。
意識を向けたらパッと分かります。
これはなぜかといいますと、心は全部底で繋がっていますから、
その方に意識を向けましたら、全部分かるようになっているのです。
意識には、潜在意識、表面意識、超潜在意識とあります。

海の上に島がたくさんありますが、それらの島は海底で全部繋がっているように、
私たちの表面意識は、各島々が海面に出て全く別であるのと同じで、
各個性を持っていますが、超潜在意識は底でずっとみな繋がっていますね。
超潜在意識からいえば、皆の心が繋がっていることが分かります。
ですから、皆の心の奥底が見えます。
そして皆が繋がっていますから、皆がいとおしくなります。
皆、兄弟、親子という感じが湧いてきまして、すべてのものがいとおしく、
犬ころにしても小鳥や猫にしても、いとおしく感じます。
神の子として全部兄弟だからです。
動物も植物もみな神の御姿であり、私たち自身も神の御姿です。


           ~ 感謝・合掌 ~



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