浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我が前に並びし友の頬伝う
涙は内の神我なりけり

「講演集」より。

2015-06-05 00:31:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


               講演集、三


            誤った信仰の怖ろしさ


或る時、大阪でやはり正法の神理を伝えている方があるのを知りました。
この方は、過去世の言葉をペラペラと喋り、そのグループの方も過去世の
言葉を喋ります。
「高橋信次先生が亡くなられた後、また、こういう方が現れて下さって
有難いことだとなあ」と思って、一度お話を聞きに行ったのです。
初めてお会いしますと、私のことはよく知っておられて、「よく来てくれました」
と合掌して迎えてくれ、「まあどうぞ前に坐って下さい」と言って、私のことを
褒めてくれるのです。

「私は神に祈ります。私は何の力もありません。しかし、祈ることによって
神はその御業を現わして下さいます」というお話をさせてもらったのです。
すると、その先生が、「長尾先生は祈るという言葉をよく使われますなあ、
生年月日はいつですか」と聞かれるので、それを言いますと、「アガシャ系
ですなあ、アガシャ系の方が祈るというのはおかしいですなあ」とおっしゃるのです。
「先生はどうされるのですか」と聞きますと、「私は神と一体です」と言われるから、
「こりゃ偉い人だなあ」と思ってびっくりしました。

その後、二回目にお会いしました時に、ある方に光を入れておられたのです。
「大宇宙、大神霊、仏よ、当体の骨髄を通し、当体の意識に光をお与え下さい。
天上界の諸如来諸菩薩、光の天使よ、どうぞ光をお与え下さい」と、一生懸命
祈っておられるのです。
「一つも祈らないと言われたのに、私よりもたくさん祈っていられるなあ」と
思ったのです。

私は「神よ、光をお与え下さい。どうぞ神の御意志を、
調和と安らぎをお示し下さい」とお祈りするだけですのに、
その先生はそれを三回も五回も祈られるのです。
それでも、病気はちっとも治らないのですね。
それで、そういうところから疑問を抱き、「これはおかしいのではないか」と
思ったのわけです。
おん自ら、イエスを名乗っておられました。
その他にも、いろいろ面白いエピソードがあるのです。


              ~ 感謝・合掌 ~

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