十数年前まで、このあたりの地区では、
地区内の寄り合い(飲み食いを伴う)があると、
皆さんが、一重(ひとじゅう)持って集まる風習がありました。
「ケイタリング」などという言葉もシステムもなかったころの話です。
台所を受け持つ女衆は、
自慢の漬物や季節の野菜の和え物などを重箱に詰めて
男衆に持たせました。
そうした場所に女衆が顔をそろえることは、年に二回のみ。
正月の新年会と、集落のお祭り。
その時に、ようやく人ん家の、重箱の中身を目にするのです。
私が社会人になって家にいるようになったころ、
そうした寄り合いがあると、
母に、重箱の中身を作るよう頼まれることが多くなりました。
「若い感覚で・・・」と頼まれるのです。
要するに、このあたりのおばあさんたちは作りそうもないもの、
このあたりでは珍しいもの、なんかを期待されるのでした。
何を作ったかはもう忘れましたけれど、
寒天料理やマリネなんかを作っていたと思います。
今は、若い人たちが地区内を仕切っていますから
まず、こうした飲み食いを伴う寄り合いそのものが縮小されました。
(今は、コロナ禍ですから全く開催されていませんが)
集落のお祭りにはケイタリングの料理が並びます。
役員だから、と思い
漬物を持たせようとすると、逆に叱られます。
なにか一品を作るのは、面倒なことでもありますが、
それが会話の種になったり、料理を教わったり、
そんなコミュニケーションの一つでもあったことを考えると
そうした風習が消えていくことに
寂しさを覚えます。