隠されたアラハバキ神の謎/氷川神社
前回は、大宮の「武蔵一宮氷川神社」でしたが、今回は川越の氷川神社です。
上古、武蔵に移住した出雲族は、大宮高鼻の地を根拠地として、アラハバキ社を奉斎したのであった。
この一族が武蔵国の国造になるのはその後の事である。
高鼻を中心とする足立郡一円のみならず、武蔵の奥深くまで、鉄を求めて進出し、稲作に当たっていた。
そしてそれらの土地には出雲族の信仰、アラハバキ社を祀ったのです。
八世紀に入り、記紀が編集されるとともに、大和の王権もようやく協力なものとなり、もはや動かし難いまでになった。
かつては王権の及ばぬ化外の地(天子の支配が及んでいない土地のこと)であったこの東国武蔵にも、中央の支配力が直接及ぶようになってきた。
記紀神話にそわぬ蕃神(ばんしん)、夷神とみなされアラハバキ神社は、中央の容赦ない圧力によって、氷川神社に改称せざるをえなくなった。
蕃神=日本の古代に外国から渡来した神。客神,夷神ともいう。外国から移住または帰化した種族の祖神,さらにその崇敬した神をいう。
代わって記紀に登場する神々を主神に置き換えられた。
アラハバキ神は主神の座から追いやられ、摂社、末社に落とされた。
落とされてしまった地主神は存在意義が薄くなり忘れさられていくのは自然な事であり仕方がないのかも知れない。
そうなると、末社は朽ち果て何神だったのかすらわからなくなるのが多い。
自分も、神社を参拝するときは拝殿や本殿よりも境内ないの摂社や末社を探す。合祀された神もあるがそこには真実が隠されているかも知れないからです。
中には伝説、伝承によって、その存在を伺えるところも見受けられる。
『新編武蔵風土記稿』が編まれた文化、文政の頃には、まだ足立郡だけでも、二十社近くのアラハバキ社が末社として確認されておりそれが同書にも記録されている。
しかし、神主もいないそちらの神社は、古老にたずねても首をかしげるばかりで、もはや消滅してしまったと思わざるをえない有様である。
伝承、記録に残るそれらの武蔵のアラハバキ社の中から今回訪ねた、川越市宮下町の氷川神社を紹介します。
川越総鎮守 氷川神社
祭神を見るとアラハバキそのものですね。
そして、出雲系であることもわかります。
祭神:五柱の神々がおまつりされています。
主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)・脚摩乳命(あしなづちのみこと)と 手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦神様。
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
大己貴命(おおなむちのみこと)
式内社でありません。 欽明二年(541)の創建だといわれる古社です。
境内からは古墳期の祭具が出土しており、おそらく入間郡に居を構えた国造一族が、大宮高鼻の氷川神社を分祀したものと思われる。
スサノオ、クシナダ、オオナムチ、アシナツ、テナツの五神を本殿に合祀しているが、社伝の一つではオオナムチを摂社の神としている。
神社の裏手にある末社の子の権現社には、草鞋が沢山ぶら下がっており、足神様になっていた。
おそらくアシナツ、テナツが本殿に合祀されても、地元の人々はこの小祠を足神さまとして信仰を続けるのでいつしか神仏習合の権現となったのではないか。
相当早い時期に高鼻から分祀したと思われるから、かつてはアラハバキ社があったはずだ。
その名残りがこの権現社だろう。
履物がこのようにぶら下がっている状態は、まるで多賀城のあらはばき神社のようだ。
社務所で、これはアラハバキじゃないですか?? と若い神職に聞いたがあれは「子の権現」といってこの辺一帯によくあります。
と言って「アラハバキ」の存在は知らないようだ。まぁ若いから・・・・・それに古代に興味がなければ老人でもわからないでしょう。
その子ノ権現がこれです。
ここは桜が咲いたらきれいどろうね~
武蔵国は、まだまだ探索が必要なようです。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
前回は、大宮の「武蔵一宮氷川神社」でしたが、今回は川越の氷川神社です。
上古、武蔵に移住した出雲族は、大宮高鼻の地を根拠地として、アラハバキ社を奉斎したのであった。
この一族が武蔵国の国造になるのはその後の事である。
高鼻を中心とする足立郡一円のみならず、武蔵の奥深くまで、鉄を求めて進出し、稲作に当たっていた。
そしてそれらの土地には出雲族の信仰、アラハバキ社を祀ったのです。
八世紀に入り、記紀が編集されるとともに、大和の王権もようやく協力なものとなり、もはや動かし難いまでになった。
かつては王権の及ばぬ化外の地(天子の支配が及んでいない土地のこと)であったこの東国武蔵にも、中央の支配力が直接及ぶようになってきた。
記紀神話にそわぬ蕃神(ばんしん)、夷神とみなされアラハバキ神社は、中央の容赦ない圧力によって、氷川神社に改称せざるをえなくなった。
蕃神=日本の古代に外国から渡来した神。客神,夷神ともいう。外国から移住または帰化した種族の祖神,さらにその崇敬した神をいう。
代わって記紀に登場する神々を主神に置き換えられた。
アラハバキ神は主神の座から追いやられ、摂社、末社に落とされた。
落とされてしまった地主神は存在意義が薄くなり忘れさられていくのは自然な事であり仕方がないのかも知れない。
そうなると、末社は朽ち果て何神だったのかすらわからなくなるのが多い。
自分も、神社を参拝するときは拝殿や本殿よりも境内ないの摂社や末社を探す。合祀された神もあるがそこには真実が隠されているかも知れないからです。
中には伝説、伝承によって、その存在を伺えるところも見受けられる。
『新編武蔵風土記稿』が編まれた文化、文政の頃には、まだ足立郡だけでも、二十社近くのアラハバキ社が末社として確認されておりそれが同書にも記録されている。
しかし、神主もいないそちらの神社は、古老にたずねても首をかしげるばかりで、もはや消滅してしまったと思わざるをえない有様である。
伝承、記録に残るそれらの武蔵のアラハバキ社の中から今回訪ねた、川越市宮下町の氷川神社を紹介します。
川越総鎮守 氷川神社
祭神を見るとアラハバキそのものですね。
そして、出雲系であることもわかります。
祭神:五柱の神々がおまつりされています。
主祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)・脚摩乳命(あしなづちのみこと)と 手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦神様。
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
大己貴命(おおなむちのみこと)
式内社でありません。 欽明二年(541)の創建だといわれる古社です。
境内からは古墳期の祭具が出土しており、おそらく入間郡に居を構えた国造一族が、大宮高鼻の氷川神社を分祀したものと思われる。
スサノオ、クシナダ、オオナムチ、アシナツ、テナツの五神を本殿に合祀しているが、社伝の一つではオオナムチを摂社の神としている。
神社の裏手にある末社の子の権現社には、草鞋が沢山ぶら下がっており、足神様になっていた。
おそらくアシナツ、テナツが本殿に合祀されても、地元の人々はこの小祠を足神さまとして信仰を続けるのでいつしか神仏習合の権現となったのではないか。
相当早い時期に高鼻から分祀したと思われるから、かつてはアラハバキ社があったはずだ。
その名残りがこの権現社だろう。
履物がこのようにぶら下がっている状態は、まるで多賀城のあらはばき神社のようだ。
社務所で、これはアラハバキじゃないですか?? と若い神職に聞いたがあれは「子の権現」といってこの辺一帯によくあります。
と言って「アラハバキ」の存在は知らないようだ。まぁ若いから・・・・・それに古代に興味がなければ老人でもわからないでしょう。
その子ノ権現がこれです。
ここは桜が咲いたらきれいどろうね~
武蔵国は、まだまだ探索が必要なようです。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
また履物のかけてある神社はかなり好物です。
須賀川でもまた川の手前かな?南千住でも大好きな所あります。
今日酉とし最後の酉の市で三の酉でした。渋谷からまたお葉書頂いたのでそこに行こうか?でも未開の酉の市をと思ったのが足立の大鷲神社です。
一の酉は花園で思いあって行き、以前お花茶屋とか地名でも酉の市あるんじゃないかと探したんですけど遠くてその辺りをと考えて地図とにらめっこ。埼玉近いんですよね。酉の市の件はほっておいて。
本題ですが、小さな境内社や祠は大好きなので嬉しいですね。写真が。
その中で雷電ありますね!花園さんもそこもあり行ってみました。で東京は水神さんも必須です。それから嶋姫っていうのが私の好みでして。嶋付くと奈良大阪とかでも超ハマってしまいます。私も同じく本殿よりも小さな境内社や祠大好きです。大抵なんの神社かは書いてないのでご挨拶だけしてます。であとで調べてうわ〜って時もあります。社殿の後ろとかにも石とかないか?必ず見ちゃいます。木でも満足です。
私も武蔵野国は埼玉方面では川口(金山さんがいます)と大宮の氷川ぐらいしかまだ行けてませんね。ただ南は橘樹郡は結構マニアックな所行ってます。吉良さん関係とかどうも関係者の縁みたいです。でおまけにそういう埋もれて見えなくなっている所にも注目している方々もいそうなので今後もっと情報出るといいですね。武蔵国も情報少ないですよ、弘法大師か円仁か源氏か家康かビックネームしか。
ただ家康は相当バランス良く知識を吸収していそうですのでお子さんや関係者を住まわせたりまた松平さんが関わったり、鷹狩り関係だったりで見えてくるものありますね。
あと子の神ですけど、神奈川も結構多いですよ。でその辺りには剣神社とか鉄神社とかまたオロチ退治のエピソードが紹介されている神社もあります。私的には出雲じゃないの?って疑ってます。
また私は闇の中の杉山神社を追ってますのでその関係でも家族がその地で病院にお世話になったので調べたら子の神が杉山関連の可能性もありとの未確認情報で動いてお参り行ったりもしました。
子というと大国さんや千手観音さんの信仰ともリンクしてきそうですよ。スサノオにも近いし、ただ猿田彦と捉えたら安心なのでそうしてます。
縁ある方々がいろんな可能性を示唆して、いっぱい出た中で実証の基づきこれが可能性高いと判断出来るような時代って本当素敵で、ありがたいです。
世が世なら、危害加えられたりとその関係の欲と意思で杭は打たれるのでしょうから。
なくなりつつある痕跡を少しでも感じる何かが残っていたらいいですね。でそれが味わいとなり魅力として善悪という視点でなく歴史の醸し出すワインの味みたいにそれぞれの方が解釈し感じればいいのだろうと思いますね。
色々か世代の方がコラボ歴史の書類だけでない実証を解釈していくと素敵ですね。8909、7150
例えば、これです。
多賀神社なのですが、小さな社殿の裏には・・・・
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/035dc047fbd048cd912667cd166e4ad8
岩出山のアラハバキ神社の裏には鉄でできた小さな鳥居がありました。 不思議なのは人工的に穴の開いた石の存在です。これです。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/7de129b5aea2e6c0496bebaa4514758e
だからやめられないのです。
謎を秘めているからですね。
勧請と言いましても、他の強い神様を積極的に呼んだ場合と、強制的に変更させられた場合があり、川越はどちらのケースか不明です。
同じ川越市内にある下老袋氷川神社では、祭神であった「ハバキサマ」が大宮の氷川さまと争いボロボロに負けてしまったという伝承があります。川越氷川神社も同じ運命だった可能性もあります。
子ノ神社、子日神社、子ノ権現は武蔵国に多く、草鞋が奉納されており、アラハバキ関連かと思われます。川越氷川神社には門客人神社がありませんので、アラハバキ様は子ノ権現にいらっしゃるかもしれません。
そんな闘いがあったのですか。
氷川の名称はは出雲の斐伊川から来たのではないかとの説もあります。
あらはばきを調べていると出雲と大きな関わりが見えて来ます。
それについてはホームページに纏めています。
長い文になってしまいますがね。
氷川神社の名称はひーさんのコメントどおり「斐伊川」によるというのが定説です。出雲勢力が関東に進出した際に氷川神社を造り、大宮が本社、所沢三ケ島が中社、奥多摩が奥社となりました。先住の神であったアラハバキは、大宮では門客人社、所沢では摂社の八坂神社に合祀、奥多摩では氷川神社ではなく近くの秋葉神社に合祀と三者三様の扱いになっています。
その後勢力を拡大し、現在のような200社を超える神社となりました。当初は武蔵国三宮でしたがいつの間にか一宮に格上げされたようです。
色々関係書の引用ではあるのですが、まとめました。
参考にした文献の中にも偽書と言われる部分から引用されたものもありその部分についても排除しながら組み立てましたが。古代出雲については書きかけでもあります。
最近UPした地蔵堂なのですが、見た目はあらはばきにも見えます。
「クナト大神」は地蔵になり「あらはばき」は弁財天になった。という説もあります。 地蔵とアラハバキの相互関係にも興味があるところです。
縄文の時代から自然崇拝の延長線にこの神はあったのかも知れません。
秋田県のアラハバキ神社も会津の二社も完全にあらはばき神社として祀られその歴史は受け継がれています。感動しますよ。
これからもアラハバキ行脚を続けますよ。
関東地方の子ノ権現社は、飯能市にある「子ノ権現天龍寺」から勧請されたのが多く、こちらもそうだと思います。天龍寺は鳥居があるお寺で、神仏習合形式をそのまま現代まで残しています。山深いところにありますので、廃仏毀釈の影響が及ばなかったのでしょうね。檀家制度もないようです。お堂の脇に大きな金色のワラジが飾ってあり、見るからにアラハバキ系のお寺です。
柿本人麻呂は猿田彦尊の事でしょう。
靴を吊るした子の権現はアラハバキ神の社に間違いないと思いでしょうね。多賀城のあらはばき神社にそっくりですので。
塩釜の志波彦神は柴神・阿須波神とされていますが、疱瘡神故に子供の神です。
ここは地主神をスサノオ尊で調伏していると思われます。塩釜神社の場合は鹿島神、香取神がその役を演じていると思われます。もしかしたら天津神として迎えられた姿の可能性がありますが。
子供の神、お地蔵さんっぽいですね。2340
そうそう志波彦神社は子供の神社と昔よく言ってました。
すっかり忘れていましたよ。
その頃は全く神社に興味が無く普通に参拝していました。その頃、そんなことをどこから聞いたのか覚えていました。
上から10枚目の写真に水上・厳島・疱瘡と気になる神が並んでいますね。
長い間に合祀されたのでしょうか? やはり地元では大きな神社ですね。