
ねえあんた、なあおまえ。
と会話が成立する関係です。
なんの話をしているのでしょう。
今日のタイトルも、「ねえあんた、なあおまえ」です。
言葉から、下町を連想させます。
「ねえ、あんた」と話はいつも女の人から。
「なあおまえ」と話が続くような終わるような。
無言のうちに、相手への気遣いが感じられます。
永年連れ添った者どおしだから。
この寒さじゃ、今年は野菜が遅れるわね。
と物思いにふける妻。
そうだね。
と間の抜けた返事の私。
連れ添いというのは、肌の温度が感じられるような、
いるようでいない空気のような関係です。
これからの人に参考になるでしょうか。
子供たちが独立して、なんとなく張り合いがない毎日です。
子供のことが中心の会話でした。
いつしかお互いの身体を気遣うようになりました。
いくぶん元気な女の人が、生活のリズムを刻みます。
たゆたゆと流れる時間の中に埋もれていきます。
こんな風だったら良いね。
と、どちらからか話が出ます。
勝手にやったら。では話は終わります。
少しだけでも話しに乗ってあげましょう。
忘れたことを思い出そうとします。
なかなか出てきません。
会話をしているうちに、ああそうそうと思い出します。
急ぎの用事は、あるようでないような毎日です。
かつては、身体を動かしながら話をしていました。
いまでは、どっこらしょと会話のような掛け声から始まります。
今では、話をするうちに頭が温まって来て、やることが決まります。
ひまわりの種を採らないでほっといたら、雀が種を食べてしまった。
ああ、それで種が飛び散りひまわりの苗が生えたんだ。
花を植えたい。
苗を作って欲しい人に分けてあげたい。
木をもらって来て、動物の彫刻を掘りたい。
花の間に置こうか。
似顔絵もままならないのに、夢は膨らみます。
ブラックベリーを育てて生垣にしたい。
通りがかりの子供達が食べられるように。
玄関に、バジルの苗がありました。
近所の方が、早朝から畑に出て置いてくれたのでした。
朝飯を作るのはどこへやら。
妻の頭には苗しかなくなりました。
ねえあんた なあおまえよと 日が暮れる
2017年6月11日