タイトル通りです。
今日のタイトルは、「長州と会津」です。
やられた方は忘れることが出来ない。
会津百万石は、今でも官軍憎しでしょうか。
山口県からお客様がありました。
地元の応援団とセッションをしました。
「分校が本校を吸収」した話を熱心に聞かれていました。
話す方にも聞く方にも、明日は我が身の切実感がありました。
せっかく始めた「温泉」も今は休業状態とのことでした。
昨日は、会津で開かれた「広島県人会」に出席しました。
カープ応援歌を高らかに歌いました。
広島色を出し過ぎては店に迷惑がかかると、休店日に行われました。
山口も広島も、今は出た故郷です。
都会に住み、故郷のことを忘れたくないと言う気持ちの表れだと思います。
共通点は、それぞれの故郷の言葉を時として封印されて生きて来られていました。
広島弁を面白がられることに反発を感じた。
広島県人会では、大いに広島弁で話されていました。
家では、広島弁は親父さんが怒った時に使われると、
会津弁の子供達は感じられるようでした。
広島を出て数十年。
会津弁の子供達の故郷は福島です。
親の故郷は広島。
時々混乱されるようです。
ルーツのことです。
世界に出張した時、中国人や韓国人とよく間違われました。
少しむっとして、日本人だと言い返しました。
無理もありません。
東北からは、広島も山口も一緒です。
アウェーの会津で皆さん根を下ろされていました。
頑張ったんだと思います。
長州と会津のセッションはやめとけと、広島県人会の方から忠告されました。
私は勧めるつもりです。今更官軍でもあるまいに。
故郷は、日本であり世界であり地球です。
原爆2世の私達は、原発のアレルギーは少ないと言えます。
福島に到着した時言いました。
それもそうだなと、地元の方は納得顔でした。
長州と会津の混乱の三日間でした。
投下後の 咲かぬ焼土に 夾竹桃
2017年6月30日