故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

平凡を恐れるな

2019-11-14 10:40:23 | プロジェクトエンジニアー

土から出て来たばかりのさつま芋です。
絵が下手なのは許してください。
タイトルが気に入りました。「恥じらいは、女の勲章」と書いています。


今日のテーマは、「平凡を恐れるな」です。
平凡とは、
これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。また、そのさま。
反対語の非凡とは、
平凡でないこと。普通より特にすぐれていること。また、そのさま。
(goo国語辞典より)

私達は、平凡な毎日を過ごしています。
SNSやブログ、いろんなメディアで紹介されたり、記事にする時「平凡」は見向きもされない。
人々は、日常ではありえないことに飢えていると言ってもよい。
他人の不幸や世紀の大発明などは、当然のごとく注目される。
求める感情は、段々過激になっていく。
それでよいのだろうか。

SNS上では、インフルエンサー的な投稿者がいる。
世論を誘導すると言ってもよい。
美醜に対する考え方は、時代と共に変わっていくはずである。
食べ物も環境も変化しているから当たり前のことではある。
しかし現実は、さらに過激になって、到底辿り着けない希少な世界へ誘導する。
何か、裏に金の臭いがする。全員をたどり着けない場所へ誘導し、経路で金を儲ける。
画一的な創出される「美」などありはしない。全員がたどり着けたとしたら、すぐさま平凡になる。
例えば、一重瞼より二重のほうが、見栄えが良いとされる。
外見だけで判断する極みである。さらには、裕福なほうがよい。
美も経済的優位も相対的で、きりがない世界である。
絶対的な幸福も桃源郷もない。
あるのは、平凡な日々である。

私も、渾身の記事を書き投稿する。
一向に読者数は増えない。
自分が否定されているとまでは思わないが、世間が求めている方向とは違うと感じるときがある。
嘘のような真実を、本当のような嘘を書きたいとは願っている。
ネタはそんなにあるものではない。背伸びもしたくない。

そこで、「平凡を恐れるな」と、挑戦することにした。
毎日食事をして、ルーチンワークをし、ちょっとした事件に対処する。
平凡である日常だが、昨日できたことが今日もできるとは限らない。
昨日より楽しかった今日も、明日はどうなるかわからない。おそらくは、続かないであろう。
今日より明日がより楽しくなければ、楽しいとは感じない。
ここに落とし穴がある。自ら過激になっているのである。

「平凡を恐れるな」とは、まず昨日と同じことができることから始まる気がする。
その連続のうちに、わずかだけ進化していると後から気づくのである。
昨日と同じ生活をできるか。

親からいただいた顔を美しく見せるのも、醜く感じるのも生き方に関係する。
笑顔を作る努力をすることで、皮膚は輝き、いつしか見事な笑いじわとなる。
いただいた顔が変わるのである。40歳を過ぎたら自らの顔に責任を持たなくてはならない。
日々の生活は、平凡である。
楽をして、平凡は得られない。
皆さん、良く知っておられることです。
確かに、退屈と感じることもあるでしょう。
若い時に惚れた連れ合いも、見慣れたせいか輝いては見えないかもしれない。
他人まかせにはできないのです。連れ合いを輝かせるのも、自分の責任です。

巻き込んで 何が楽しい 分けるのよ

2019年11月14日
コメント
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