土から出て来たばかりのさつま芋です。
絵が下手なのは許してください。
タイトルが気に入りました。「恥じらいは、女の勲章」と書いています。
今日のテーマは、「平凡を恐れるな」です。
平凡とは、
これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。また、そのさま。
反対語の非凡とは、
平凡でないこと。普通より特にすぐれていること。また、そのさま。
(goo国語辞典より)
私達は、平凡な毎日を過ごしています。
SNSやブログ、いろんなメディアで紹介されたり、記事にする時「平凡」は見向きもされない。
人々は、日常ではありえないことに飢えていると言ってもよい。
他人の不幸や世紀の大発明などは、当然のごとく注目される。
求める感情は、段々過激になっていく。
それでよいのだろうか。
SNS上では、インフルエンサー的な投稿者がいる。
世論を誘導すると言ってもよい。
美醜に対する考え方は、時代と共に変わっていくはずである。
食べ物も環境も変化しているから当たり前のことではある。
しかし現実は、さらに過激になって、到底辿り着けない希少な世界へ誘導する。
何か、裏に金の臭いがする。全員をたどり着けない場所へ誘導し、経路で金を儲ける。
画一的な創出される「美」などありはしない。全員がたどり着けたとしたら、すぐさま平凡になる。
例えば、一重瞼より二重のほうが、見栄えが良いとされる。
外見だけで判断する極みである。さらには、裕福なほうがよい。
美も経済的優位も相対的で、きりがない世界である。
絶対的な幸福も桃源郷もない。
あるのは、平凡な日々である。
私も、渾身の記事を書き投稿する。
一向に読者数は増えない。
自分が否定されているとまでは思わないが、世間が求めている方向とは違うと感じるときがある。
嘘のような真実を、本当のような嘘を書きたいとは願っている。
ネタはそんなにあるものではない。背伸びもしたくない。
そこで、「平凡を恐れるな」と、挑戦することにした。
毎日食事をして、ルーチンワークをし、ちょっとした事件に対処する。
平凡である日常だが、昨日できたことが今日もできるとは限らない。
昨日より楽しかった今日も、明日はどうなるかわからない。おそらくは、続かないであろう。
今日より明日がより楽しくなければ、楽しいとは感じない。
ここに落とし穴がある。自ら過激になっているのである。
「平凡を恐れるな」とは、まず昨日と同じことができることから始まる気がする。
その連続のうちに、わずかだけ進化していると後から気づくのである。
昨日と同じ生活をできるか。
親からいただいた顔を美しく見せるのも、醜く感じるのも生き方に関係する。
笑顔を作る努力をすることで、皮膚は輝き、いつしか見事な笑いじわとなる。
いただいた顔が変わるのである。40歳を過ぎたら自らの顔に責任を持たなくてはならない。
日々の生活は、平凡である。
楽をして、平凡は得られない。
皆さん、良く知っておられることです。
確かに、退屈と感じることもあるでしょう。
若い時に惚れた連れ合いも、見慣れたせいか輝いては見えないかもしれない。
他人まかせにはできないのです。連れ合いを輝かせるのも、自分の責任です。
巻き込んで 何が楽しい 分けるのよ
2019年11月14日