
絵のタイトルは、「この人はいつもこうです」です。
補足説明は不要。
流れる川で釣りをしている。
釣れたと喜んだ。連れた場所を記憶しようと、船に印をつけた。
「時代遅れ」とは、そんなことでしょうか。
二十年前にある役をやった。後輩たちを指導して誰もが俺に従ってうまく行った。
困ったことがあったら何でも相談しろ、俺が口添えしてやる。
後輩さえ死んでいく。それは、「時代遅れ」でしょう。
でも、他に話すことがありますか。
生きてきた証と、昔の話をする。
何度も聞いた自慢話です。
じゃあ、年寄は黙っていろと言うの。
そうではありません。
「時代遅れ」が、生きることがある。
今でも槍で突いて、クジラをとる島民がいる。
命がけの漁である。獲れない日が続く。島民全員がひもじい想いをする。
獲れたら、皆に均等に獲物を分ける。漁に出ていない後方支援者にも均等に配る。
ある時、島民の一人が使い古しの銛(クジラ漁に使われた発射銃)を手に入れた。
クジラは面白いように獲れた。一人とそのグループが残った獲物を独り占めにした。
島は荒んでいった。その時から、突き漁に戻したと時代遅れは語った。
誰もが「時代遅れ」になります。
新しいこと(スマホを使いこなす)など、やめた方がよい。到底、若い者に追いつけない。
昔取った杵柄で良いじゃない。人間国宝とはいかぬまでもできることがある。
得意なこと(農業など)をやり続けられる人は救われる。
農業のリベンジは、一年後であり成果が出る迄数年はかかる。
若い者は、そんな風に悠長に生きてはいけない。
お袋の味が忘れられぬ。
お袋は、限られた旬の食材で手早く料理をして、ひもじい子供たちに食わせた。
美味しいと欲張る子に、お袋は自分のものまで分け与えた。
それしかなかった。料理本どおりに作ったって美味しいものには仕上がらない。
お袋だってそうだった。姑に泣くほど絞られて、アウェーで生き抜いた。
料理本にない野菜の切り方だって、いつしか覚え、美味しくなあれと振った塩梅が味を決めた。
汗をかいたときは、少し塩分を効かせた。この心遣いと臨機応変さがお袋の味なんです。
グルメ全盛、男だって台所に立つ時世です。だが、にわかシェフに負けないお袋の味です。
でも、こってり味を好む若いもんにとっては、野菜中心の時代遅れです。
生きざまは、時代遅れになりません。
どんな生きざまですか。
シャッター街の再生に、しわくちゃの眼光鋭い老人の写真を使った。
その顔には、物語が刻まれていた。
だから、シャッター街になったんじゃないと誰も言わない。
昔のようにとも言わない。
俺たちも頑張ろうと、若者が動く。
時代遅れは、ほくそ笑む。
これ美味い 老練シェフよ 舌を巻け
2020年6月23日