絵のタイトルは、「何を包もうか」です。
柏の葉です。あなたは、何を包みますか。
今日のタイトルは、「返す当てのない恩返し」です。
両親に育てていただきました。恩師や先輩に指導していただきました。
友人たちと楽しい時を過ごしました。総じて、故郷です。
返そうにも、故郷は遠しです。
勝手に、4歳で恩返しは終わっていると信じています。
返す先は、未来であり次世代の方々となってしまいました。
信じていたものが、コロナで一気に覆されました。
新しい取り組みや考え方が出てきています。
戦後や大震災の時も同じでした。
なかでも、人材とKnow-howのシェアが見直されていると聞きました。
これまでは、分業が進みトップダウンの組織の中では、隣り通しや地域内でさえ交流はありませんでした。
ましてや、人材とKnow-howのシェアなんて、思いもしないことでした。
すべて経済ありきの世の中です。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、Know-howに関する講演や記述を依頼されたことがありました。
当時の最先端の技術と考え方を惜しみなく公開しました。
何故なら、仮に同じプロジェクトをやることになったにしろ、5年先や10年先だったからです。
だったら、使って欲しいと考えました。そのほうが、迫力も説得力もありました。
考えて見たら、先人たちの生きざまそのものが、Know-howの塊であり知恵の結集でした。
時代の転換は速く、新しい技術の開発者も10年も経てばお払い箱です。
それなのに出し惜しみする。性でしょうか。
情報社会の世の中に隠すものなんて何にもない。ネットを見れば、何だって出ている。
但し、情報通りに料理を作っても美味しくない。塩梅が効いていないからでしょう。
私達は、Yesと言えないくせに、Noとも言えない。
完璧な物なんてないことに、今回思い知らされた。
正直に、「こうであったら良いな」を追求する。
人がやってくれるのを待つなんてできない。
自ら、身近の「こうであったら良いな」をやる。
口もきかない隣り通しが、遠慮となわばりの垣根を越えて動き出した。
巻き込むではなく、シェアが始まっている。
どちらも得するWin-winではなく、無制限のシェアである。
依然として、シェアに躊躇する。
「返す当てのない恩返し」は、闇に葬られる。
キャベツ葉 蝶には外を 内を食べ
2020年6月10日