故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

個性と横並び

2020-06-25 09:32:52 | よもやま話

タイトルは、「憧れ一献」です。


自分が体験し、何かの実証をした物語を「プロジェクトエンジニアー」のカテゴリーに入れています。
これはどうかな。一人の想いだなという記事は、「よもやま話」に入れています。
これは、今日のタイトル「個性と横並び」に繋がることではないかと考えます。

一人の想いが個性ならば、その個性は時には迫害され、果ては「嘘つき」とまで称される。
生き残る会社(センチュリーカンパニー)は、元の老舗の看板から程遠い仕事が現業です。
売れなくなってからでは遅いから、売れるうちに次の挑戦をし続けて来たのです。
開発だけとは限らない。ニーズに応えるだけの力が内在していたからでしょう。
それが自由競争のはずなのに、忖度に根差した横並びを選択する。
危険を未然に防ごうとするのが忖度です。上に対する気づかいでしょうか。
上の考えなんて、今の権力を維持することしか頭にない。
そんな頭が、結果が見えない冒険をするわけがない。
平均点の答えばかりを模索する。
冒険を企画してもつぶされる。つぶされ続けて無関心になる。
それが世の中よと開き直る。個性が失われていく。

改めて個性とは、
(Individuality)個人に具わり、他の人とはちがう。その個人にしかない性格・性質。
個物または個体に特有な特徴ある性格。
(広辞苑より)
individualityとは、
個性、特性、人格
(好みなどでの)個人的特性
個であること、一個体(人)としての存在
(英和辞典より)

つまり、人間すべて異なる個性を持っている。
人間だけではない。自然そのものも個体である。
経営用語で「レッドオーシャンとブルーオーシャン」がある。
レッドオーシャンは、競争が激しくて血みどろの戦いを続けること。
ブルーオーシャンは、競争のない領域で唯一の存在として優位にことを運ぶこと。
世の中が求めているから、上がそう考えているのではないかと忖度することは、
レッドオーシャンと言えるのではないか。
私達は、知っているはずである。何度も経験したことである。
それなのに、自分は踏み出せないまま年を重ねてしまう。

「やってみなはれ」と何故言えぬ。
あんたが考えたことは、新しい世の中のためになるかもしれない。
所詮、横並びなんて不可能なのである。敢えて挑戦するのは、時代が解を出しているではないか。
コロナが教えてくれたはずである。
今まで通りにはいかない。三密こそ、世の中の仕組みであり発展の原動力であった。
それが覆されている。

「やってみなはれ」と待つことじゃない。
信じることをやりましょうよ。

できないと 泣きし幼子 寝返りを

2020年6月25日
コメント
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