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タイトルは、「憧れ一献」です。
自分が体験し、何かの実証をした物語を「プロジェクトエンジニアー」のカテゴリーに入れています。
これはどうかな。一人の想いだなという記事は、「よもやま話」に入れています。
これは、今日のタイトル「個性と横並び」に繋がることではないかと考えます。
一人の想いが個性ならば、その個性は時には迫害され、果ては「嘘つき」とまで称される。
生き残る会社(センチュリーカンパニー)は、元の老舗の看板から程遠い仕事が現業です。
売れなくなってからでは遅いから、売れるうちに次の挑戦をし続けて来たのです。
開発だけとは限らない。ニーズに応えるだけの力が内在していたからでしょう。
それが自由競争のはずなのに、忖度に根差した横並びを選択する。
危険を未然に防ごうとするのが忖度です。上に対する気づかいでしょうか。
上の考えなんて、今の権力を維持することしか頭にない。
そんな頭が、結果が見えない冒険をするわけがない。
平均点の答えばかりを模索する。
冒険を企画してもつぶされる。つぶされ続けて無関心になる。
それが世の中よと開き直る。個性が失われていく。
改めて個性とは、
(Individuality)個人に具わり、他の人とはちがう。その個人にしかない性格・性質。
個物または個体に特有な特徴ある性格。
(広辞苑より)
individualityとは、
個性、特性、人格
(好みなどでの)個人的特性
個であること、一個体(人)としての存在
(英和辞典より)
つまり、人間すべて異なる個性を持っている。
人間だけではない。自然そのものも個体である。
経営用語で「レッドオーシャンとブルーオーシャン」がある。
レッドオーシャンは、競争が激しくて血みどろの戦いを続けること。
ブルーオーシャンは、競争のない領域で唯一の存在として優位にことを運ぶこと。
世の中が求めているから、上がそう考えているのではないかと忖度することは、
レッドオーシャンと言えるのではないか。
私達は、知っているはずである。何度も経験したことである。
それなのに、自分は踏み出せないまま年を重ねてしまう。
「やってみなはれ」と何故言えぬ。
あんたが考えたことは、新しい世の中のためになるかもしれない。
所詮、横並びなんて不可能なのである。敢えて挑戦するのは、時代が解を出しているではないか。
コロナが教えてくれたはずである。
今まで通りにはいかない。三密こそ、世の中の仕組みであり発展の原動力であった。
それが覆されている。
「やってみなはれ」と待つことじゃない。
信じることをやりましょうよ。
できないと 泣きし幼子 寝返りを
2020年6月25日