絵のタイトルは、「永観堂」です。
人の生き方は、「以上」でも「以下」でもない。
自分基準であれば、幸せをより感じられます。
ただ、仏に会うと揺さぶられます。
頭を撫でられるようです。
びっくり仰天。
ブログの読者数が爆発しています。
異常のタイトルで、書こうかとひらがなを変換したら、「以上」(今日のタイトル)が出てきました。
このタイトルで、挑戦します。
まずは、調べましょう。
以上とは、
・程度・数量などについて、それより多い、または優れていること。
・これまで続けてきたこと。今までに述べたこと。
・手紙・目録・箇条書きなどの末に記して、「これまでで終わる」という意を表す語。
・高度の位置・技量などに達すること。
・御目見以上(おめみえいじょう)の略
・(接続助詞のように)・・・・からには。・・・・の上は。
(広辞苑より)
私のブログ(暮らし)も「以上」(これまでで終わる)とピリオドを打つ時が来る。
その時はいつだろう。
書けなくなったときか、生きられなくなったときか、はたまた書くことがなくなったときか。
御目見以上(一万石以上)が旗本で、御目見以下が御家人と江戸幕府では決められていました。
「以上」と宣言して、「世話になったの」と人生を終えたいものです。
そんな晴れやかな舞台はいつ来るのだろう。
野垂れ死にだって、そんな風に天に呼びかけたい。
母さん、俺は全うしたよ。
呼吸の間隔が数十秒になり、やがて数分になり、「思い残すことはない」と賑々しく途切れたい。
あそこの病院(終末医療)に入ったらもう出てこれないよ。
95歳の方が、施設に入ることにしたとあいさつに来られました。
今まで言われたことがない、「さよなら」を告げられました。
暮らしを、「以上」と区切りをつけられました。
数日後に息子さんらしき車が停まっていて、福祉協議会の車とすれ違いました。
箇条書きのような人生でした。
産声を上げ、両親のおかげで人並みに生きてこれました。
親になり、「勝手に作りおって」とかみさんに言われながらも、4人の子供に恵まれました。
子供たちが巣立ち、長い長い老後です。
「以上」が見えない暗闇を生きています。
老人のように、「さよなら」が言えるか不安です。
そんなことはない。
これまでも「以上」と何度も別れをしてきました。
人並み「以上」の幸せも経験しました。
いつの時代を生きたいかと問われたならば、「今」です。
今こそ、本当の自分を生きている。
2024年12月22日
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