タイトルは、「遠くへ行きたい」です。
海面を斜めにしました。
気持ちが前向きになりました。
今日のタイトルは、「タイトル」です。
毎日、タイトルを決めてから書き始めます。
似顔絵は、出来上がったのち、第三者の目になってタイトルを決めます。
昨日は、クラスター(1時間に100人の訪問者)が起きました。
これは、同じ人が違う記事を読むので、倍数的に訪問者が増えることと気づきました。
ブログを始めて約2200日、書いた記事は1750です。8割の確率で書いています。
報告書には、あとから「タイトル」を付けました。
プロジェクトは、技術者同士が関わる仕事です。
技術者には、詳細から入る。そして、共通事項(タイトル)にまとめる。
恋文にタイトルは必要ありません。只々、発露する想いの丈を綴るだけでした。
小説のタイトルは、時にして最初に読んだ編集者(第三者の私)が付けることもあります。
帯も同様です。売れないと飯のタネになりませんから。
私のブログでタイトルをつけるのは、日々の想いを限られた事項に封じ込めて語りたいからです。
「毎日が楽しい」なんて、一行で終わり、嘘の塊です。
真実を織り交ぜながら、嘘を散りばめます。
いかにもありそうな話に仕上げるのです。必然性とユーモアです。
日記と異なる書体にするために、「タイトル」を決めてかかります。
人の思考は、原野を駆け巡る風のごとくです。
馬を引く手綱のような役割が、「タイトル」です。
読者の選択(読むか否か)を容易にしたい、私なりのサービス精神の顕れです。
日々、体調も違い悩みも様々です。
「なんかなあ」がモチーフであり、「なんとかしたい」がタイトルです。
何とかするためには、集中したい。小さな枠のなかで、溢れる想いをこぼれさせます。
同じタイトルでも、時を経て、体力と経験から異なる印象の文章になります。
それも大事なことと感じています。
終わりに近づいているのか、羽ばたこうとしているのか、毎日試しています。
「タイトル」は、おいそれと浮かんできません。
苦しい時間が過ぎていきます。
紛らわすために、ルーチンワークをします。ああ、今日もできた。
ろ過してもおりもののように、昇華できない事柄が、「タイトル」です。
何とかしなくてはと、書き始めます。
タイトルは、断捨離であり終活かもしれません。
すべての無駄を削ぎ落したい。その事だけに集中したい。交通整理のようなものです。
あといくつ、「タイトル」を追えるか分かりません。
生きてる限り、「タイトル」は出てきます。
それだけ業が深いのです。
タイトルを 求め忖度 吹き溜まり
2020年7月26日
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