故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「海に落つるがごとく」です。
香川県雄島の港の風景です。一日何便かの定期船が高松と結びます。
狭いひな壇に家が密集しています。住めば都です。
コロナで、飲食店は客入りが悪く苦戦している。
私達の地域でも、どの店も苦戦を強いられている。
そんな中、飲食店応援券(1000円払えば1200円分の料理が食べられる)が出た。
換金が2か月に一回なので、自転車操業の小さなカフェでは厳しい。
店側には目に見えるメリットが少ない。大きく構えれば、地域経済がまわる手助けではある。
今度は、Go to キャンペーンが実施される。10000円で12500円分の飲食券が買える。
お客さんにとっては、25%オフとなる。店側には、未入金分(25%)が一時負債となる。
今度は、一カ月に一回の換金である。
回転が速い飲食店では、店側の説明と客側のサイン、双方の手間が嫌がられる。
1000枚の飲食店応援券を売った店は、手間ばかりかかって20万円の売掛金が残る。
私達のようなカフェでも、券の管理(未入金の記載と2か月保管)が煩雑である。
これも、地域経済活性化が狙いである。
面倒と言えば、書類づくりなど面倒である。
これがあるから、客足が伸びたかと言うと、依然として厳しい。
じゃあどうすればと、閉塞感に悩まされる。
カフェの周りの草刈も、生花が客の癒しになるだろう。と考えるのも戸惑いがちになる。
どうも、「お客様と自分」という、比較では語れない何かがある。
どちらかが得をして、どちらかが面倒になる。
私達は、注文生産にこだわっている。
リスク(見込み生産)を減らすと同時に、時間にゆとりがある方に温かい新鮮な料理を食べて欲しい。
レンジで解凍して出す料理は極端に避けている。地域の食材で、手間をかけた料理を出したい。
料理中でも、話したいお客様とはできるだけ会話をしている。
原点に返りたい。
なぜ、カフェをやるのか。
地元密着型の経営方針を貫くのか考えてみた。
コップに半分だけ、水が残っている。これは命の水である。
誰しもいっぱいにしたいだろう。
地域活性化を語るとき、コップの水をいっぱいにしたいでは進まぬことがある。
自分の感性に問うたところ、残った半分の水を大事にしたい。愛おしいほど大事にしたい。
空き家の草刈ができない。それには理由がある。その理由を知ることで、訳など不要で草刈がしたくなる。
少しだけの助成で、地域は光り回り始める。
1億2千万の人が、何十年後には7000万人になる。空き家は朽ち果て、原野に帰る。
それだけのことです。人数が増えても減っても、楽しいし苦しい。
畑を荒らしたくない。誰でもそう思う。
できない人もいて、頑張る人もいる。
頑張っている人の周りは、整然として居心地がよい。
また行ってみたい。頑張る人と触れ合いたい。
だから、大きく構えたい。
コロナだっていつかは収束する。
カフェを閉店させずに頑張りたい。
誰にも故郷がある。
渡航して 日本人から 地球人
2020年10月9日

絵のタイトルも「飛躍」です。
エンジニアリングを担当した、パン工場の社長に竣工記念として送りました。
新設から改造までを含め、20年間に5本渡しました。
その間、私は3社転職しました。転職しても仕事をいただけました。
中には、左利きの息子用の竹トンボを仕上げて渡しました。
右利きの社長が回すと、飛躍どころか下降してしまいました。
にこやかに受け取ってくださいました。
今日は雨。
商工会のゴルフの日です。私は出ませんが、よりによってこんな日になってしまいました。
広域に役員が集まってやるそうです。もう、日取りは変えられません。
今日のタイトルは、「飛躍」です。
とびあがること。おどりあがること。
勢いよく活動すること。
急速に進歩すること。
(論理などが)正しい順序・段階をふまずに先に進むこと。
(広辞苑より)
幼子は、感情表現が豊かです。
嬉しいと跳ねています。
跳ねて降りるまでに、背が伸びる。
急速に大人への階段を駆け上ります。
この頃はパラサイトなのか、いつまでも親の家に同居しています。
ヨーロッパでは、パラサイトは異性に相手にされません。
新型コロナで、経済も人々の気持ちも下降し塞ぎがちです。
何か良いニュースはないものでしょうか。
森の端に黄色に色づいた蔓が見えます。
山芋です。今のうちに目印をつけておいて、冬に掘り出します。
山芋は、1m以上掘らなければなりません。
下にいくほど太くなっています。
だから、ていねいに土を払いながら、一本を取り出します。
3時間も土と格闘(軍手にこびりつく土が冷たい)しながら、1mものを完璧な姿で掘り出しました。
軽トラに積んで、今は山芋堀をやめた友人に届けました。自慢したい。それだけのことです。
半端ものを自分たちが食べる。本物の山芋は箸に絡まって混ぜられません。
汁を足しながら、つつくように混ぜます。
飛躍でした。
左を指さしながら、口では「右よ」と妻が言う。
どちらが正しいのか判然としません。
これが美味しかった。と妻に教えます。
そりゃ、好きな人と食べたものは何でも美味しかったでしょうよ。
かさねて妻が言う。
飛躍的な展開となりました。言うんではなかった。
飛躍です。
何十年後には、現在ない仕事が半分以上になると、どこかで読みました。
AIが、事務仕事、単純労働と危険な役割を人間に代わってすることになる。
私達は、どんな仕事をすることになるのでしょう。
ワシントンにいて、無人機を操縦し、アフガニスタンの高地を爆撃する。
戦争がゲームになる。
こころの飛躍が追い付くでしょうか。
これからも、五感で感じることができるでしょうか。
第六感が働くでしょうか。
誰かが考えた「正しい」ことばかりになる。
異論が封じられる。
かつて見た情景が展開される。
自然は、何千年・何万年をかけて進化している。
私達も自然の一つです。AIにそれを教えるのも私達の役目です。
いわし雲 せっかくの花 刈り払う
2020年10月9日

絵のタイトルは、「あったかくて」です。
文化の日、野外で仲間と一緒にチュニジアダンスを披露しました。
そのあとのコーヒーがあったかくて、この表情です。
今日のタイトルは、「あったかくて」です。
体温が感じられる記事を書きたいと挑戦します。
母の胸に顔をうずめ、幼子が無心で喉を潤している。
満足し、母のパジャマのひらひらで、自分の顔をすりすりしながら眠りについた。
幼子は、母の胸にむしゃぶりつくことはなくなった。ひらひらがあれば、どこでもいつでも眠られる。
高校一年生の夏、室積海岸で遠泳をした。
太鼓の音を聞きながら、仲間とゆっくりと泳いだ。
二時間後、唇が青いまま砂浜をあがった。
女の先生と同級生の女子が、甘酒をふるまってくれた。
2週間山歩きをした。
高尾山を出てから、やっと天龍迄辿り着いた。
自分の実力からは、ここが限界と京都までの挑戦をやめた。
「先にお風呂に入ってくれる」古刹の寺の奥様の一言。
私にも同じことをするの。
過去別れた女性と、もう会わないための自分の覚悟の行動を話した。
女の眼から涙がこぼれた。胸が締め付けられた。
居酒屋で飲む金がない。
一本の缶ビールを友と交互に飲んだ。
一口飲んでは、全力で走った。酔いは回らない。
また飲んで、走った。交互に相手の顔を殴った。
唇から血がほとばしった。
15mの梁を猿のように昇った。
現場は昼休みで、同僚の者たちが下で見守る。
450mmのH鋼に両足をかけ、両手で吊元に使ったワイヤーを外しにかかった。
務所上りが、残したワイヤーである。吹き出る汗が後悔を物語っていた。
1mのワイヤーが乾いた音を立て、コンクリートの床ではねた。
水平に10m、垂直に15m四肢の筋肉だけを信じて、無事に床を踏んだ。
こんな風景じゃない。
篠竹の林に入り込んで一カ月が経った。伐った篠竹は1600本。妻は、気が振れたと心配した。
山際から耕作放棄地を抜け、駐車場らしき場所を抜けやっと村道まで切り開いた頃、
近所のおばさんが、「私も気になっとった。ありがとう」と言われた。
カフェの周りと隣接する空き家を覆う木を伐ろうと、闘志が湧いた。
女の柔肌を思い出そうにも、記憶が蘇ってこない。
申し訳ないと、寒々とした想いしかない。
「あったかくて」は、瞬時の想いです。
あとから思い出せる、温度の記憶は乏しいことが分かった。
私の名前を忘れた母の手は、がさがさで温かった。
私の中にも、母からもらった温かい血が流れている。
温度の記憶は、哀しい。
もう、感じることができないからだろうか。
できるうち ありがとう書く 妻の手に
2020年10月7日

絵のタイトルは、「距離感」です。
この女性は、日本庭園の一角にあった盆栽を見ています。
昭和記念公園内のことでした。
近すぎても、遠すぎても見えない何かを感じている。
今日のタイトルは、「無病息災」です。
涼しくなって、朝晩冷え込むようになるまであっという間のことだった。
布団の足元に毛布を置き、そのうち羽毛布団を載せるようになった。
「無病息災」とは、
まったく病気をせず健康であること。(広辞苑より)
左右を充分確認せずに右折して、後続車にクラクションを鳴らされて肝を冷やすことがある。
物忘れは、今に始まったことでもない。
畑の畝おこしに息を切らせる。草を抜くのも四つん這いになるようになって久しい。
だが、風邪もひかないし、内臓で痛いところはない。体脂肪も20を切っている。
ゴルフの飛距離も去年より伸びた。
ある朝起きて、元気なのが不思議な気持ちになる。
どうして、こんなに元気なのだろう。
出来ることをやっている。
出来ないことに挑戦している。
あれもしたい、これもしたい。
きりがないくらい仕事があり、夢がある。
望んで、会社の頃よりずっと友人に会っている。
平凡な頭の中を整理して、浮かんでくる想いを綴ることができる。
何時か訪れるであろう変事を心配しても、今はなにもできない。
昨日できたことは、今日もできるだろうと怖気づかない。
ひたすら、平凡な毎日を年輪のごとく刻んでいる。
2019年11月14日投稿記事「平凡を恐れるな」では、
「私達は、平凡な毎日を過ごしています。
SNSやブログ、いろんなメディアで紹介されたり、記事にする時「平凡」は見向きもされない。
人々は、日常ではありえないことに飢えていると言ってもよい。
他人の不幸や世紀の大発明などは、当然のごとく注目される。
求める感情は、段々過激になっていく。
それでよいのだろうか。」
(記事より抜粋)
私達は、平凡が不満なのである。
刺激が欲しいのだ。
「推し」があれば、人生に光明が差すとNHKで特番を組んでいた。
「推し」の生き方にあこがれ拍手をする。同じ「推し」どおしで仲良くなる。
背中を追いたい先輩が多い会社は、発展すると書いたことがある。
その通りである。
私は、たった一つの人生を生きている。
人の真似事に、若い頃は苦しんだ。
やっと、自分の足で立てるようになった。
「無病息災」と平凡を楽しみたい。
刈ると次 種を散らせと 草が伸び
2020年10月6日

絵のタイトルは、「島影に沈む夕日」です。
酒は、静かに飲みたい。
今年の奉納相撲が終わりました。
今年は、コロナの影響で相撲はなしで、神事だけになりました。
私は、今年も写真を撮らしていただきました。今年で、5年連続です。
この地の奉納相撲は、「がち」です。その方が、怪我が少ない。
帰ってきて、撮った写真を印刷しました。今年の枚数は少ない。
役員だけが、お忍びでカフェを利用してくださいました。
お任せ料理を出し終えたころ、酒盛りに交じることにしました。
すっかり盛り上がった場では、私は聞き役です。
奉納相撲を仕切るのは、名誉なことです。
皆さん、別の仕事をされて地域に貢献されています。全員現役です。
私と同年配か先輩方です。
しゃべらず聞き入り、酒だけが進んでしまいました。
あんなに飲んだのに、今日の目覚めは爽やかでした。
いただいた茸を鍋いっぱいに入れ、味噌汁を炊きました。
合わせたのは、煮ても崩れぬ野菜ばかりです。
喉が渇きます。
(中略)
いただきました。飲んだ後の汁物は最高です。
酔っぱらって初めて分かる味噌汁の味です。
「わたしゃ 立つ鳥波に聞け」
ソーラン節の歌詞でした。
舟歌の一節と思っていました。
酔っぱらって未練を吐き出し、突き放さられる。
飲み助には、味噌汁が一番の良薬です。
帰ろかな もう一杯が 命取り
<<あとがき>>
「これくらいが、ちょうどよい」と酒場を出ましたが、すでに酩酊状態でした。
40歳を過ぎたころから、黄色信号と赤色の時間差が、極端に短くなりました。
かかあが、一週間は口をきいてくれない。
こんなことが何度かありました。それでもやめられない。
味噌汁だけが、慰めてくれます。