故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「やっちまったぜ」です。
これでいいんじゃない。
早めに寝たもんだから、この時間に目が覚めた。
今日はゴルフなので、身体を休めようとしたのだろう。
いつものことなのだが、ゴルフの時は寝不足のような気がする。
眠くないのだから、睡眠は十分足りてるのである。
今日のタイトルは、「未来予想図」です。
昨日は、確定申告をしてきた。
私達は、畑で採れたものを使って「お任せ料理」を夜の予約客に提供している。
カフェの周りの空き家の草刈、耕作放棄地の草取り、裏山の下草刈りは、カフェのためである。
カフェだけがきれいになっていても、周りが荒れていたら楽しくない。
散歩の途中で、カフェに寄ってくれればよい。
確定申告を済ましたのちに、もっと積極的にカフェにお金も労力も投資しようと妻と話し合った。
赤字が続き、カフェを閉じるかどうか考えるのは、その時になってからにしようと、二人で決めた。
近い将来、故郷に移住しようと考えています。
住む家を決める条件を考えた。
考え方は、大まかに二通りに分かれる。
一つは、そんなに遠くない将来を予想し、困らぬ対策が取られた家に住む。
病院まで歩いていける。コンビニやスーパーまで10分で行ける。
いずれは運転免許証を返納するので、歩ける便利さを求めるのである。
家族が増えている時は、郊外の広い家に住む。
子供たちが巣立っていくと、都心のマンションに住む。このような住み替えの話を聞きます。
もう一つの考え方は、今を大事にする考え方です。
今は元気です。元気な時をどう生きるか。
畑もやりたいし、海が近ければ釣りもしたい。ゴルフにも行きたい。
できたら、子どもたちが家族で訪ねてきて眠れるスペースがある。
たまには、友達を呼んで会食をしたい。
荒れた林道を散歩道として復活させたい。山道具を手入れし、保管ができる。
できなくなるまで、楽しむ。
できなくなったら、そこで考える。
行き当たりばったりの考え方である。
定年退職したら、忙しくてできなかったことがしたいと思う。
図書館通い、映画館通い、釣り、旅行も2か月で飽きてしまう。
読みたかった本は、字が小さすぎて、また本が重くて、うつむきで長続きしない。
釣り上げた魚を、近所に配る。最初は喜ばれるが、そのうち「またか」と表情に現れる。
妻は、どうか今日も出かけてと期待している。
キャンプ道具を積もう、夏には寝ることもできるとワゴン車を買った。
一回で懲りた。ワゴン車で寝るのは、翌朝体の節々が痛い。結局、三度の飯は妻が作る。
妻は、次は一人で行ってと願う。
このような経験をした60代の話を聞く。
さて、どちらにしたものか。
私達の「未来予想図」は、きりぎりすの生活を選択するであろう。
今を楽しみたい。元気な時は、元気なように。
介護が必要になったら、自分で抱え込まないで世間に助けてもらおう。
家族は遠くにいるので、あてにはできない。
世間を広くしよう。
属するグループは、3つ以上が良いと言うではないか。
どれかのグループには、必ず気の合わない方がいるものである。
元気の延長線に元気が続くと考える。
いつ来るか分からぬ将来を案じて、胃を痛くすることもあるまい。
2000万円貯金があったって、何年生きるかで過不足が生じることになる。
都度、不足分を働いて得た方がよい。年金プラス4万円が理想である。
切り過ぎた 梅は翌年 さらに伸び
2021年2月10日
絵のタイトルは、「遠い昔のような」です。
風に揺らぐ、蔓物が障子に映っている。
私の「切磋琢磨」は、遠い昔のことなのでしょうか。
かつて勤めたエンジニアリング会社で、プロジェクトマネージャーをやるのは、
容易ではなかったし、怖いことだった。
ジョブ受注のために、プレゼンテーションの企画・実演から試される。
ノミネートされた数社に残り、オファー(見積もり・提案書)を出す。
すべて、社内の部長会、役員会を通過して初めて出せるオファーです。
利益率、スケジュール、人員配置、専門性、果ては鉄骨トン数、インチ・メーター、
工夫の数々(ストロングポイント)を社内で説明し、クリアーしなければならない。
その上、プレゼンテーションの実演会も試行される。
時計を持ったパフォーマンス・チェックの集団(広報)が目線、ストーリー性、迫力までを査定する。
プレゼンテーション・受注・設計・施工と完工まで気が抜けない日々を送る。
仕事が進行するにつれ、社内のチェックはさらに厳しくなる。
工期遅延、利益率低下、クレーム処理のまずさは、ご法度である。
チーム力が試され、チームのメンバーのその後(他ジョブへの参加、査定)をも担うことになる。
プロジェクトが終わると、マネージャーは脱力感で強い刺激を求めてしまう。大酒を飲むことになる。
失敗すると、進退伺は必須である。連戦連勝のプロジェクトマネージャーだけが生き残る。
プロジェクトで、マネージャーは全責任を持たされ会社の社長より強い権限を持つことになる。
数々の難関をクリアーしたマネージャーを会社の代表として送り出し、全面的にバックアップする。
今日のタイトルは、「切磋琢磨」です。
エンジニア会社では、毎日積まれる技術書の高さは、20cmにもなる。読んだら、次の人に回す。
ただ読むだけではなく、いつ始まるか分からない新しいジョブへの知識集積の機会となる。
200のコピーの中から、一つだけ選んで、ストロングポイントに仕上げる、自分だけの技術書を作る。
社内営業も欠かせない。
チームメンバーは、一心同体で菅笠の集団(裏方)となる。ジョブごとに、メンバーは変わる。
強い団結力と信頼感が無ければ、足元をすくわれる。内部崩壊したら仕事はできない。
強いリーダーシップが求められる。マネージャーは、人としても尊敬される人柄でなければならない。
プロフェッショナルの集団は、若々しく常に挑戦する人たちで溢れていた。
趣味の造形も深く、玄人はだしの人も多くいた。
こだわりの人たちの集まりのなか、人望を集めるマネージャーは、肩書だけでは務まらない。
駅でも鳩が止まらぬ工夫を見たり、人が歩くのを見て人動線の流れの意味を探る。
酒の席でも、技術論と組織論に暮れる。そんな集団にながいこと浸かると、家庭を顧みなくなる。
見積もり提案書のストロングポイントは、他社のものになり広くひきつがれることになる。
隠すことは何もない。常に全力投球であった。
真似ができないから、あるマネージャーだけが連戦連勝となる。
スポーツの世界、ビジネスの世界は常に相手があり、ぶつかり稽古の繰り返しである。
毎日明け暮れ、いつしか強くなっていく。
ライバルは、社内だけに限らず、社外へ世界へと広がっていく。
あの仕事を仕切ったのは誰だ。やり切った集団は、どこの会社だとなる。
それがどうだ。
末娘の結婚式で、娘を夫役に引き渡す儀式に出ている。
粗相のないよう、気を付けて歩いていました。
馬鹿野郎、こんなところにワイヤー(電線)を這わすんじゃない。
見事にこけてしまいました。
笑うに笑えない娘の晴れ舞台に、ちょこっと役で出ています。
そんな夢が実現する日は、いつのことでしょう。
子になって 切磋琢磨は 子を送り
2021年2月6日
<<あとがき>>
真面目な話ばかりじゃ疲れると、落としを入れました。
ライバルがいてこそ、頑張れる。
切磋琢磨は、遠くになりにけり。
(筆者)
短編小説「さなさん」で、作られた「命の水」(絵のタイトル)です。
今は、森の奥深くわずかに水が湧いています。
そんな歴史の遺物として小説の中で取り上げています。
広島市内から水道が引かれ、今では単なる泉です。
テレビで、「原爆の必要性」と「天安門事件の真相」を観た。
原爆は、ドイツより先に完成されなくてはと始められた。
戦線拡大するドイツは、原爆製造にかける費用を捻出できる状態ではなくなった。
最後まで残った日本が、原爆投下の標的となった。
原爆を戦争で使うことで、抑止力として働き、世界平和を実現できると原爆投下の意味はすり替えられた。
中国共産党は、少数の幹部の権力維持のため軍隊を使って百万の人が参加するデモを蹴散らした。
無抵抗の市民に発砲する軍人たちも苦しんだ。
中国の一党独裁政権は今も続く。
どちらの報道も事件や事実から半世紀以上経過している。
歴史を語らせたくない一部の人たちによって国家機密とされ闇に葬られた。
今日のタイトルは、「人生は一本の線」です。
プロフィールの最後に、クエスチョンマークがつくと、その人のすべてがおかしいものになる。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。
私はいじめられた経験がある。体力のある者が、無抵抗の私の首を絞め、投げ続けた。
周りで、手を叩いている人がいた。体力がついた後は、そんなことはない。
50年の時を経ても、その人たちに会うと嫌な気持ちになる。
そういう私も立場を利用して、あるいは姑息に同じようなことをしています。
人生の汚点を消すことはできない。
ドラマ「まれ」で、田中裕子さんが言われていました。
「若い時のどろどろは、歳をとれば笑い話」とうそぶけるほど強くなっています。
永く生きることは悪いことばかりでもありません。
感覚が鈍くなったのか、その頃の自分を許せるようになるのか。
事実と受け止めるしかありません。
歴史を消すことはできない。一方だけに良い歴史も存在しない。
毎日、私の歩く後に航跡が続きます。
迷っていたり、まっすぐだったりします。
小さい頃に夢を抱く、大きく人生はうねるものの、概ね抱いた夢に沿って生きている。
好きも嫌いも、尊敬も軽蔑もいつしか自分の中に作られていく。
それからフリーになることはかなわない。
知らなかった事実に向き合うことで、霧が晴れ、自分も変わることができるかもしれない。
「人生は一本の線」です。
若い時のどろどろが、年をとって笑い話になるよう、自分を鍛え励まして生きたい。
天才も 凡才になり 渋紙に
2021年2月5日
絵のタイトルは、「興味津々、まさに無邪気」です。
ハイハイのあとは立ちました。そして歩けよと後を押された。
年寄りになっても、こんな感じかな。
先輩から電話があった。
そろそろ誘ってくれよ。ゴルフのことである。
毎日家にいて、ソファに座ったままなので床ずれがひどくなってきたよ。
先輩にはゴルフ仲間が大勢いる。皆さん自粛で巣ごもりである。
先輩に、初めて孫ができた。孫が成人した時は100歳近くになると言われた。
先輩は、犬を飼っている。妹さんが、「呆けないように」と送ってくれたそうである。
犬が太って困っているよ。犬がいるから、夫婦二人で出かけられない。交互に散歩に行くそうである。
犬だけ巣ごもりなのです。
今日のタイトルは、「生き抜く」です。
先輩も私も、もう20年生きたい。
先輩は、孫の成人を見たい。
私は、故郷に帰り、恩返しをしたい。
ここでの5年を考えると、一筋縄ではいかないと覚悟している。
柑橘系の苗木を植えても収穫まで10年近くはかかる。
息子が収穫するとも思えないので、自分が収穫することになる。
植えたからには、5年は収穫したい。
畑の準備に5年がかかる。総じて20年である。
どうやって生き抜くか。
病気に罹らぬこと。これはあり得ない。
田舎に暮らしてもかかりつけの病院まで歩いていける距離が望ましい。
500m以内にコンビニがある場所が良い。
年寄りが歩ける距離は、10分間、距離にして500mである。
畑は、軽トラで行ける場所に限る。
瀬戸内海の島で暮らすからには船が欲しい。
気ままに釣りがしたい。自分が食べる分の魚が釣れれば良い。
絵が描きたい。小説を書きたい。できれば、音楽も始めたい。
島で始めることでもないので、今日からでも始めたい。
これまで読めなかった本や小説を読みたい。
小説家が書いた言語で読めれば、なおよいのだが時間があるだろうか。
やりたいことばかりの列挙である。
問題は、「生き抜く」ことである。
つまり、毎日生き続けられるか。
想定になるが、一人でも生きる。
ひょっとしたら、妻の介護をしながら生きることになる。
今のままではない。
何かができない日が来る。誰かに部分的に助けてもらえるだろうか。
そんな人間関係を作ることができるものか。家族ではない人たちとのコミュニティーである。
筋肉は再生できても、脳や体のあちこちに不具合が生じることになる。
多くのことが自力ではできなくなる。
今のうちにできることを増やし、出来ない時の対処を練習しておく必要がある。
他人のことではない、自分のことである。
真摯にならざるを得ないでしょう。誰にも文句は言えない。
「生き抜く」すさまじさを心してかかりましょう。
枝手折り 姨捨山に レモン花
2021年2月4日
<<あとがき>>
今日を生きる、明日を生きるは、理解しやすい。
10年後、20年後を生きる。
若い時にこんなことを考えただろうか。当然あるものと高を括っていたように思う。
歳を重ねてからの10年単位の話は、途方もないことのように感じる。
こんな時こそ、決して満杯にはならない、「コップに残った水」を楽しみましょう。
一生懸命生きる若者を応援しよう。
(筆者)
世の中、進化しています。
絵のタイトルは、「わっ」です。
先ずは、ここから始めますか。
政治と宗教の話はしない。
地域を特定する記述もしない。
個人を特定できる言動も避ける。
こうして、ブログを続けています。
所謂、あなたの近くに潜むくそ爺のよもやま話と捉えていただきたい。
逃げているわけでもないが、情報と研究が進まない現状での言葉は慎みたい。
今日のタイトルは、「進化」です。
私達は、年齢を重ねるごとに「進化」から遠ざかるように感じます。
スマホの使い方、電子マネーの概念、テレワークの成立等々理解しがたい事象に溢れています。
コンピューターが進化を促し、急速に社会の概念を変化させています。
一つの会社を勤め上げた。社会に貢献してきたと自負しておりました。
気づいたら、朝日新聞より社内報を重んじる井の中の蛙になっておりました。
お国自慢を全国区に照らしたら、とても奇怪な事象や食べ物として取り上げられています。
日本の常識は、世界で色々取りざたされ、一部はクール、他方でクエスチョンです。
進化とは、
進歩し発展すること。
(生)生物が世代を経るにつれて次第に変化し、元の種との差異を増大して多様な種を生じてゆくこと。
その過程では体制は概して複雑化し、適応が高度化し、また種類が増す。
(社)生物における進化の観念を社会に適用した発展の観念。
社会は同質のものから異質のものへ、未分化のものから分化したものへ一方的に進むとする。
(広辞苑より)
この解説を読む限り、進化の過程で複雑化し、適応が高度化し、種類が増す。ここまでは良しとしよう。
同質のものから異質のものへ、未分化から分化したものへ一方的に進むとある。
流れに浮かぶ泡沫は、元の形をとどめず。常に変化している。
ついていけないのは、適応が高度化し、分化したものへ一方的に進むことです。
ゴルフでもオンライン予約し、アマゾンで仮想のかごに買いたい品物を入れ電子マネーで決済する。
ここまでもできる。花子からエクセル迄悪戦苦闘して覚えてきました。
例えば、20年間も投獄されて社会から孤絶されてきたとしよう。
浦島太郎どころか、解放されかつての宿命を背負わされ、社会で祭り上げられる。
これでは、生きた化石に何事も任せるようなことになります。
世の中は、一方的に進んでいるのです。なぜそうなったのか。理解が求められます。
私達は、多かれ少なかれ、遅くても早くても、「進化」と向き合うことになる。
取り残されるのは、必須です。
嘆かないで欲しい。投げ捨てないでいただきたい。
進化に加担したのは、私一人だけではありません。
皆が渡れば怖くないと信号(たまに赤信号)を渡ってきたのです。
面白いことよのう。
不思議なことだわい。
ポイントで飴玉をもらえたと喜びましょう。
風雪も 一筋の陽に なんとのう
2021年2月3日