僕は、誰かが亡くなったとき
何と言っていいのか分からない。
だから僕は、何も言わない。
なんか…モゴモゴ言ってるふりをしていると、向こう(遺族)がお礼を言ってくるので、それに合わせて何か言う。
「ご冥福をお祈りします」とか言えない。
「ご愁傷さまでした」も言えない。
そんな言葉、ふだんから使ってない。意味とか語源も、よく知らない。
そういう言葉を使ったとたんに「こう言っとけばいいんでしょ?」という計算をしている自分がいるような気がしてくる。
「安らかに眠ってください」とかも正直に言うとダメ。
「眠る」って何だよ!と自分に突っ込んでしまう。
死んでるのであって、眠っているのではない。
「天国から見ている」という考え方もできない。
お葬式の時には、ちょっと上の方から故人が見ているという考え方が主流みたいだけど…お葬式とかでご遺族にそう言われた時、どう答えていいか分からなくなる。
僕は、人が死んだらどうなるかを知らない。
おそらく世の中の誰もが知らない。解明できていない。
そういう不確かなことを、人の死という現実の前で口にできないのだ。
そういう不確かな会話をしたとたん、その人の死がかすむというか…現実でないかのような空気にまぎれてしまう気がしてならない。
ネットで検索しても、答えを見つけるのは困難。
そのほとんど全てが、宗教的な思い込みによって支配されているからだ。
確実な科学的な証拠をもとに書いている意見など無い。
魂(たましい)とは何か?
魂というものは、存在するのか?
答えは、分からない。
そうしておこう。
それがもっとも科学的な答えだと思う。
だけど僕の考えは、人間は死んだら何も残らないというもの。
心も魂も脳が作り出したものである。
脳が活動を停止すれば、すべてが止まる。
人間の脳は、発達しすぎて余計なことを考えすぎたのだと思う。
その余計なことが、いま人類をおびやかしている。
「危ない危ない」と言っているのは人間だけ。
本当にヤバくなって、人類が滅亡したら…
また純粋な食物連鎖が地球に戻ってくる。
人類は、「発達」という不治の病に脳をおかされた動物なんだと思います。
病気というより突然変異か…。
この突然変異は、生物として成功だったのか?
人類の歴史は、まだまだ短い。
成功か失敗か…まだ結論は出ていないと僕は思っている。
脳は発達したものの、体力は動物界で最低。
一般の人類は、一部の有能人類が発明した利器を使わなければ、チンパンジーとの知恵比べにも勝てないのではないか。
滅亡したら、地球の歴史の中でもごく短い間だけ栄えた種ということになりますね。
ま、それもアリかと思います。
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