
こないだラジオを聴いていたら政治の話になっていて、
なぜ政治家は、どこが与党になるかという争いばかりを繰り返し、
本当に大切なことを議論しないのか?
という話になっていました。
その中で、誰だったか忘れましたが、
「何やってんだ、政治家は!」
と言ってるうちはダメだ、と発言したことが、
僕の頭に妙に引っかかったのでした。
その人は、こうも言っていました。
「誰がなっても、おそらく同じことになるんだろう」と。
確かに、そうかも知れません。
現在の政治家だって、そうとう頭のいい人たちの集まりです。
あの人たち以外の誰がなっても
同じ結果になる可能性はあります。
つまり
「罪を憎んで人を憎まず」という事なんでしょうね。
誰がやったのか、と考えると、結局
「アイツが悪いんだ!」
となって終わってしまう気がします。
何の解決にもならない気がするのです。
モグラ叩きと同じ気がするのです。
なぜやったのか、なぜそうなったのかが大切なんじゃないでしょうか。
そんな考えに立脚すれば、
世の中の、大抵のことには腹も立たないような気がしてきます。
人間社会は、人間の集合体です。
アリの巣みたいなもんです。
いろんな人間がいます。
僕は、そのラジオを聴いてから、
一人ひとりに注目して、
「アイツが悪い!」
「アイツを裁け!」という方向に動くことは、
間違いなのではないかと思うようになりました。
現在の司法制度は、
おそらく、当然そこら辺の事は分かっていて、
犯人に刑罰を与えるのは、犯人を裁くためではなく、
その事が、
社会に与える影響を考えての事なんじゃないかと
思うようになりました。
日本の司法制度は、おそらく
日本全体の秩序を守るために存在しているんです。
裁判が、被害者の立場に立ってはいないと感じるのは、
それが、良いかどうかは別として、
当たり前ではないのかと思うのです。
【結論】
罪を憎んで人を憎まずという
昔から知られている言葉の真の意味は、
個人個人の犯罪や犯罪被害、悲しみや憎しみから脱却し、
社会全体をとらえる大きな目で見て、
個人の幸せよりも、コミュニティ全体の利益を優先させよ、
という意味なんだな、と思いました。
それが良いかどうかは別として、ですけどね。
なんか、当たり前のこと書いちゃったな。
■流星光Twitter
| Trackback ( 0 )
|
|